懇意にして頂いた方の「お別れ会」がありました。

2023-12-03 | 交友関係

夫が懇意にしていただいていたK様が数ヶ月前に急逝されました。

お互いに在職中に知り合っていたようです。某会社の社長さんまでなさった方ですが、

とても明るくて気さくで社交的な方で第一印象は風貌大変大変失礼な譬えですが)

故藤田まことさんにそっくりな感じでした。陽気で明るい雰囲気の方でした。

退職後は情報関係の事務所を立ち上げられて多くのシニア仲間に集いの場を開いて

下さっていました。夫もずっと月に1回出かけることを楽しみにしていたのですが、

最近は意欲が衰えて、ご無沙汰がちでした。

春頃から再び通い始めたのですが、方向感覚が悪いので場所に辿り着けずに戻ってきたりして落ち込んで

いました。それで最近はいつも目的地まで付き添って行くことにしています。最後の日、部屋まで送り

届けると、K様にも10数年ぶりにお会いすることが出来てご挨拶をすることが出来ました。

K様は最愛の奥様に(鎌倉文学館がごお住まいであられたようです。)5年ほど前に先立たれて、

最近はお元気がないように伺っていました。お会いしてみて以前の明るい豪放磊落さや気力が

失せられて、笑顔はあってもお疲れのご様子が伺えました。

その後、思いもかけない訃報のメールが事務所から届いてK様がその1週間後に急逝されたことを知り

衝撃を受けました。80代後半でいらっしゃいました。多くの方々に慕われていらした方でした。

こんなに急に逝かれてメンバーの皆達達も残念至極だったと思います。そのK様の1度きりの「お別れ会」

ですから、絶対ミスすることは出来ませんでした。ご冥福を心から祈っています。

その日は丸の内の会場まで送り届けた後、近くのスタバで終わるまで待機しました。

行く機会がないスタバではじめて2時間待機、新聞3日分と読みかけの

本も集中して読めました。終わると日が暮れ始めていました。


友人の素敵なマンションは私にとって異次元の世界でした。

2023-10-22 | 交友関係

40代の頃でしたか、子供の英語教材を通してT先生主宰のグループで知り合った同世代の気の合う

4人の仲間がNさん中心にその後も交信を続けていました。そのNさんが去年10月に逝かれて、その後

今年春にずっと病と闘っていらしたHさんも他界されてしまいました。淋しいものです。

残されたFさんと私は中心格だったNさんを偲んで相寄りました。自動車会社にお勤めの

息子さんとはお目にかかったこともありませんでした。二人であれこれ話しているうちに、暑い夏を

過ごしてしまい、Fさんの案で一周期までに気持ちばかりのお供えをしようということになり、彼女、

Fさんに全て取り計らって頂き連名でお供えを送ることが出来ました。少し気持ちの整理がつきました。

Fさんは一番熱心な勉強家で当時からずっと英語教育を続けておられるので尊敬しています。

近いうちにお目にかかりましょうと約束していたところ、9月末に私が夫をOB会の会場に連れて行く

機会があって、その足で彼女のマンションに伺うことになりました。駅で待ち合わせをしたのですが、

お互いに目を合わせながら最初は分からずに、携帯をかけ合ってやっと相手を確認、少々滑稽でした。

駅から徒歩5分もかからない利便性のいいホテルのような48階建てのマンションです。

エントランスです。

手入れの行き届いた緑に囲まれた広いロビーです。

ゆっくり食事も出来で同い年のせいか、積もる話に花が咲きました。

彼女に案内されて、図書室や学習室にも事務室にもなる眺望のよい広間等を拝見しました。

集会室やホテル仕様の和洋の広いゲストルームもあって、低料金で利用が出来るので地方から

親戚や友人達の上京時などに便利だそうです。田舎者の私には進んだ異次元の生活環境でした。

お互いに「Nさんが引き合わせてくれたのね。これからも頑張りましょうね。よろしくね。」と

言いながら名残惜しく別れました。とても意義深い一日を過ごしました。


年賀状で知った友人の安否

2023-04-25 | 交友関係

今頃になって年賀状の整理をしています。私の枚数は50枚足らずだったのですがお年玉は3枚の切手シートでした。

年初、毎年必ず年賀交換をしていた友人、同志のうち二人から返信がありませんでしたので不安な気持ちが

続きました。1月半ばにその内のNさん宅に電話を入れると、息子さんが出られて、

「昨年10月に亡くなりました」と告げられて、お悔やみもきちんと言えないほど、動揺して、失望しました。

Nさんは乳がんの手術を数年前に受けられていました。昨年の夏頃、用件があって電話をした時、

腕が痛んで力が出ないと言われ、気になって案じてはいました。

Nさんとは50年来の友人であり同志でした。私たち二人の共通の人生の師である

Tさんが当時のラボクループの仲間と「杏文堂」の協力を得て「ABC研究会」を主宰され

自分の子達の為の教材を目標に研究考案された数々のカードやテキストを書店に置かれていました。

手頃な値段で書店で手に入れられるので、そういう嗜好のある主婦層に受けて結構普及していました。

Tさんは絵の子供の表情まで気を使うような方でした。

Nさんも私もTさんのセンスに魅入られて研究会のメンバーとして知り合い共鳴し合っていた

同志でした。お互い下手の横好きで英語に触れていたかったのだと思います。杏文堂の

ABC教材は主に有隣堂と紀伊國屋書店で30年以上英語教材ベストセラーとして存在していました。

切り離してカードにします。

教える人の裁量で自由に使えるところが受けていたと思います。

近所の子供達と、この教材と他を組み合わせて遊んで貰ったこともあります。

最後は孫達3人に大いに活用して、今でも大事に取り置いてある楽しいABC教材です。

 

Nさんを忍びながら、今は絶版になっているABCシリーズの一部を載せさせて頂きました。


人間万事塞翁が馬

2021-11-25 | 交友関係

私共が上京した昭和30年代半ば頃は地方から東京に住居を求めて

転居することは今に比べれば簡単だったと思います。

山手線の外側の駅から少し離れた所でしたら,こじんまりとした建売の家は

300万円位で買えたのです。物価水準が今とはかなり違いましたが。

母は文京区弥生町育ちで府立第一高女に通っていました。(沢村貞子さんとは同級生でした。)

親戚や友人の多い東京の生活にいつも郷愁を感じていました。父がサラリーマンを止めているから

転勤の可能性もありません。それやこれやで(もしかしたら渡りに船と)子供と共に東京に

出ることを決めた様です。

なにより吉祥寺に住む母の妹の美しい叔母が親身になってなにかと世話をしてくれたのでした。

お茶の水出の叔母は私共にとって女神様のような存在でした。恩返しも出来ぬまま

見送ってしまいましたがいつも感謝の念を忘れていません。

そういう訳で叔母の住む近くの杉並区に家を求めて弟達と5人で上京しました。

(イメージです。)

Sさんも都庁の母方の叔父さんのお世話になったようです。まず弟さんの大学進学前後に

弟と2人で上京して自炊から始めて最終的にお母様も上京されたと聞いています。

お父様が北関東に単身赴任中だったのですが戻られなかったようです。

戦後間もなく父は大企業を辞めて今でいう起業をして個人事業でしたが

一応軌道に乗っていましたのでそのまま仕事を続けて最後は全部倉庫にして貸していました。

Sさんのところも私のところも父親たちは親として子供達に対する責任は果たしてくれたように

思います。男の子達は皆大学に行きましたし、親同士の葛藤はあったと思いますが

今思えば、それぞれの望む人生を選択をしてよかったのではないかという気がしています。

親子の縁は切れません。 我が家の娘達(孫)は父に懐いていました。

「人間万事塞翁が馬」ということわざがありますが、Sさんも私も上京したお陰で間もなく

良き伴侶に恵まれ、似たような郊外の分譲地で、それなりの生活を送ることが出来ました。

優しそうなご主人と親思いの娘さん息子さんに囲まれて彼女は幸せだったと思います。

それぞれの兄弟姉妹達も恙なく暮らしていることが今回お通夜に行って分かりました。

Sさんとは共に首都圏に住んで繋がっていることで安心し満足しきっていました。

子供の時の遊び相手の印象が先入観で染みついていて、大人になってからの遊び方がうまく

出来なかったことが少し残念です。一緒に楽しく過ごしてもっと多くの思い出を残したかった

ような気がします。


友去りて涙する日々

2021-11-22 | 交友関係

次のブログを書こうとしていた矢先、小学生の頃、初めて信頼出来る同年の友人として

意識をした幼馴染とも言えるSさんの訃報が仲間のWさんからた届いたのです。

Sさんとは1か月ほど前に電話で長話をしたばかりだったので強いショックを受けました。

少し前から認知症の傾向があり乳癌の転移があるけど今回は薬を飲むだけだと

聞いていて、変わりなく小康状態だと受け止めていました。

彼女とは小学校3年生~6年生まで家が至近距離だったこともあり仲良く頻繁によく遊びました。

穏やかで暖かい性格の彼女のことが大好きで、私の方からより積極的に遊びに誘っていたような

気がしています。

彼女も私も4人姉弟の長女でしたが5年生頃に彼女には妹が産まれてお母さんは一層忙しそうでした。

彼女の住んでいた市営住宅はとても狭く、逞しい感じのお父さんはいつもインドに出張していました。

彼女宅では弟さん達3人が賑やかなのでいつも広い庭のある我が家に来てもらって

(ブランコや鉄棒を父が造ってくれていました。特に頑丈なブランコはいつも愛用していました。)

他愛もなく日の暮れるまで遊んで私はいつも彼女の性格に癒されていたように 覚えています。

5年生の時とても明るく活発なWさんも仲間に入り今に続いています。

私が私立中学校に行くようになり彼女達とは別々になり2人と疎遠になった時期がありましたが、

断続的にお互いに連絡し合い変わらぬ友情で繋がっているつもりでした。

そのSさんと私は高校卒業前後、父親達の女性関係で家庭が混乱する運命に遭遇したのです。

そういうこともあって、私も彼女も短大を出てすぐに二十歳そこそこで上京していたのですが、

お互いに目の前の自分達のことで精一杯ながら連絡は絶やさず、共に20半ばで結婚して

3人の子育てをしながら転居を繰り返していたのでした。 Sさんは子育てをしながら、

ご主人と共に都庁で福祉関係の仕事を続けていたので 遠慮もあって偶にしか会えませんでした。

お互いに年賀状や電話で折々安否を確かめあう仲でした。コロナが落ち着いたら会いたいねと

話していた矢先、その日が突然来てしまい狼狽えてしまいました。

     (彼女は齢を重ねてから自然な銀髪がよく似合う典雅な老婦人になっていきました。)

遠い所でしたが通夜には万難を排して、彼女への最後の手紙を携えて出かけることが出来ました。

私が怠慢を続け彼女の晩年の支えになり切れてなかったような心残りを綴らずにはいられませんでした。

悲しみの中で70年ぶりに会えた弟さん達は後期高齢者の白髪の好々爺になっておられました。

昔に思いを馳せて暫しお話をすることが出来ました。つくづく人生は短いと感じました。

 


友人は寡黙に去っていきました。

2021-09-11 | 交友関係

先日、スーパーに行く途中、最近ずっとお会いしていない友人Kさんのお宅の前を通りかかると

解体用の足場が掛かっていてアレッと違和感を覚えました。帰り際もその道を通り足を止めていると

お隣の方(大学の講師をされていた外国の方です)が立っておられて、

「Kさんのお友達?」と話しかけて下さったのです。彼女によると

Kさん一家はここの家を売却されて車で20~30分位離れた娘さんのお宅の近くに家を

建てられて越されたとのことで驚きました。お隣の方も直前まで知らされていなかったとのことでした。

そちらはこの辺りより新しく開発されたニュータウンで敷地も広々としたところです。

 

Kさんはご近所3人組の一人で長女の方は才能豊かなピアニストで大学の先生です。

もうひとりの友人Tさん(夫同士が同じ会社)のお宅に呼ばれた時にKさんを紹介されて3人で

意気投合して何度か音楽会や会食などの楽しいお付き合いしたご近所仲間なのです。

ただお2人は私より10才から一回りもお若い奥様方でしたので年増な私はは少し浮いた存在でした。

一度Kさん宅に私1人がお呼ばれして新鮮な手作りの土佐料理を振舞って頂いたことが思い出されます。

ご主人が12~3年間も全国を転々と単身赴任をされていて、やっと間もなく戻られる目途がついた

というお話には、私自身に置き替えてみて気の遠くなるような思いでお聞きしたものでした。

やがてご主人が本社に戻られたのでした。ある日、新聞のいつもは見ていない人事欄が偶々目に入って

ご主人がお勤めの1部上場会社の社長さんになられたことを知り驚きました。

Tさんに確認したところ、彼女もご存じで、お電話でお祝いの挨拶をしたのでした。

ご夫妻の長年のご苦労が報われて本当に嬉しかったです。

その後ご主人は会長になられて、その間次女の方のご結婚もあってお孫さんにも恵まれ

彼女は毎日ご長女の出勤の車でお孫さんのお手伝いに行かれるようなことになり、

その頃からお付き合いがなくなってしまいました。

その頃、道でお会いした時に、次のお孫さんの予定日が近いのだけど「状態がよくなくて」と

話されていたのが最後でその後3~4年一度もお会いしていない状況で昨年の賀状には

「年賀状は今年で終りに致します」という趣旨のことが書いてありました。

Tさんともご近所の何方とも全くお付き合いを断たれていて、それがどうしてかは藪の中なのですが。

こちらの家は彼女がご主人の単身赴任中に社宅の契約が切れて取り合えず探して

求められたお宅でしたので以前から相応な防音室も備えたお宅を建てられるお話は3人の間で

出ていましたので、それが実現したことは本当に良かったと私は祝福しています。

中学校の先生も経験されていて自尊心と強い信念をお持ちのKさん、これからは

終の棲家でご家族で寄り添われて幸せに生きていかれることを陰ながら祈っています。


カナダの友人からアイロン台のカバーを送ってもらった。

2021-09-01 | 交友関係

今回パラリンピックを見ていて先のオリンピックにも増して大きな感動を得ました。

努力次第で人の身体がここまで補完しあって目的を達成するに至っていることを

知り驚きと希望と勇気を与えられました。皆さんお若く資質にも恵まれているから

でしょうけれど。私こと先月半ばに又誕生日を迎えましたが老いに向かっても

それなりに努力を重ねていこうと勇気づけられました。

少し前にいつも電話で会話をしているカナダの50年も前のママ友にある悩みを相談しました。

それはカナダから持ち帰ったアイロン台をずっと愛用しているのですが、

そのカバーが経年劣化で傷んで(1~2回は当時アメリカ駐在の友人にお願いをして取り替えが

出来たのですが)買い替えたいと探がすにも、Amazonなどのネットでも長さが137センチと

大きのでどうしても見つけることが出来ない悩みです。それでご当地で探してもらえないだろうかと

いうお願いごとなのでした。「分かったわよ」と彼女は寸法を聞いてくれて誕生プレゼントと

一緒に今回送ってくれました。(向こうはいまだにインチとセンチの両表示なのですね。)

最高のプレゼントでした! 夏にはアイロンがけはあまりしませんが、この台の上に

洗濯済みの衣類をつみ重ねておいてまとめて一気にアイロンします。

季節の変わり目などの糊付けした布団カバーなどのアイロンがけにはこのアイロン台は

とても威力を発揮しますので涼しくなる秋に向けて少しやる気が出てきました。


遅れてきたクリスマスプレゼント

2021-01-17 | 交友関係

毎年クリスマスと誕生日にカナダの友人とプレゼント交換しています。

主に嗜好品です。年末は海外航空便が混雑するので早めに出すように

しているのですが、今年はコロナ禍で混乱や遅延が酷かったようです。

友人は12月7日に追跡調査の出来るEMSで発送していましたが、

空の便が大きく減少してカナダを出国できなかった為、

(友人も心配して何度も電話で連絡を取り合っていましたが。)

到着は1月9日でした。友人はラッピングの名人、開けるのをためらって

写真を撮りました。そうしてゆっくり楽しんでいます。

一方私の方は一昨年、追跡調査の出来ないSAL便で出した荷物が、

バンクーバーで何処かに紛れ込んで、先方に1月末に到着した経験が

あるので、11月24日に郵便局に持ち込みました。

そこで局員から「今日からカナダ行きEMS便は受け付け停止です。

SAL便でしか受け付けられません。」と云われ、仕方なく荷ほどきして、

何品が抜き取り重量を減らしてSAL便で出したのでした。

運が良かったのか、こちらは12月初めにトロント郊外の先方に到着し

たのです。その時の運もあるようです。

 


「のどぐろ」は美味しかった。

2020-08-31 | 交友関係

親戚からお魚セットを中元に戴いていました。粕漬けなどは先に

焼いて口にしてしまっていたのですが、真空パックに入っている

「のどぐろ」と書かれている一夜干しの方は、この大きさのは初めてで

美味しさを噂に聞いていたので、後の楽しみにと云う訳では

ないけれど、食べる機会を先延ばしにして冷凍庫にねかせていました。

この土日に三女が帰ってきた機会に、フライパンにシートを敷いて

慎重に見張って焼いて供しました。その名の通りのどぐろは喉が黒いのですね。

今回はジュウシィーにうまく焼けました。何とも言えないいい味のする

油がのっていて噂に違わぬ美味しさに思わず皆で「美味しいね!」と絶賛。

最近は世間一般も私もお中元もお歳暮も殆どしない暮らしになってきています。

ただ最低限のお付き合いはありますので、その品物選びに苦慮することが

多々あります。品物次第では(お互いにですが)迷惑がられることもあるかと

思われます。その点「のどぐろ」は自家用にあまり買わない私には

外れることは少ないのではないかと思ったりしています。


プレゼント

2020-08-28 | 交友関係

安倍首相が持病再発の為に辞任されました。長い間粉骨砕身働かれて

本当にお疲れ様でした。いろいろと成果を挙げられたけれども、

首相が頑張られても周りの人々の絶大な協力や協調がなければ物事は

いい方向に運ばれないのではないかと浅学菲才な私は思ったりしています。

         四街道店 | ペットショップのコジマ       

先日カナダの友人マリアンヌからプレゼントが届きました。

コロナ禍で買い物は大変だからお互いに省略しましょうと

言っていたのですがビッグプレゼントにびっくりでした。

カナダもアメリカほどではないけれども、コロナが蔓延していて人口が

日本の約3分の1程度なのに、亡くなった方々は9,000人超で日本の

約9倍ほどです。郊外の町ではお店が閉まっているところが多いそうです。

友人は日本の亡くなられた方々の数字に驚き、日本人の国民性に感心していました。

今回一番嬉しかったのは

こちらの室内デオドラントです。ほのかな香りに癒されます。

リンツのお店は日本にもありますがわざわざ買ったことはありません。

こちらは使い方が良く分からないので聞いてみるとエコな布巾でした。

絵が楽しくて給水性がよくて乾きも早く何度も繰り返し使えるようです。

深刻に考えてみるともう一生会うことは出来ないかも知れないけれども

こうして若い時からの友情を繋げていくことで、励ましあって

お互いに老いに向かっていくのも幸せなことだと改めて思う日々です。


夫のゴルフ友達Sさん

2020-07-26 | 交友関係

一昨日夫はゴルフに出かけてくれので、少し清々しました。電車バス利用です。

いつも日取りや時間取りや連絡を率先してやって下さるのは91才のSさんです。

10年以上前にクラブでお会いしたことがあるのですが、長身でハンサ

ムで礼儀正しい紳士でした。東大テニス部出身のスポーツマンだそうです。

その後、Sさんの奥様が糖尿病で亡くなられたのです。Sさんは大変な

思いをされて苦労されたようです。娘さんは関西の自営業の方に嫁がれ

息子さんは名古屋の会社で将来も戻られる予定がないとのことで、

高齢者施設に入る選択肢もあったのですが、一人娘さんの奥様の

ご養子という立場や田園調布の隣町にあるお宅を空屋にすることも気にされて

結局、今は週に2回の家事をご親戚の知り合いの方に頼んでおられます。

月20万とか?

お一人になられて間もなく、周りの勧めもあって、ワンちゃんを飼われまし

た。白い毛のふさふさした可愛い小型美犬だそうです。愛妻のお名前と同じ

「玲子」さんと名付けられたそうです。

この玲子ちゃんはとても元気一杯で我儘ですが、Sさんにとても懐いて

Sさんと一時も離れるの嫌い、ゴルフ等の外出を察知するとお小水を部屋

中にまいて抵抗して大変手を焼いていらして、どうなることかと他のメン

バーも心していました。89才のFさん、88才のIさん、うちの夫が一番

若くて86才です。今は少しお利巧さんになって落ち着いたようですが。

そのSさんが5年ほど前に前立腺がんになられたのです。もう年だから進行

も遅い等ということで医師とも相談のうえ、手術しないで、大変お元気だっ

たのです。

ところが、5月に異変を感じられて、診察を受けられたら、「大腸がん」と

診断されて、先月内視鏡手術をされたのですが、3センチほどの腫瘍が

取り切れなかったということで、来月開腹手術をされるとのことになってい

るのです。夫と共ご無事と成功を祈っています。


人生100年時代

2020-02-15 | 交友関係
親しくしていたT子叔母に紹介されてその後お付き合いしてる

遠縁のM叔母はとても素敵に年を重ねられた方で尊敬しています。

勿論、T子叔母も聡明で器用で今でいうデザイナーとしても

身を立てられる素敵な方でやはり尊敬していました。

娘達や私の洋服作りをお願いしたりしていました。

学ぶところの多いお二人ですが、残念ながら二人共、

お嫁さんなので血は繋がっていません。

そして、T子叔母は4~5年前に施設に入られて間もなく95才で

確か肺炎で急に亡くなられてしまい、私は頼りにしていましたので

大変残念でM叔母と共に悲しみを共にしました。

その後はM叔母のご家族と行き来したり交信したりしています。

           

そのM叔母がこの2月に目出度く100才になられたのです。

昨年の暮れに電話でお話をしている時「年が明けて2月になったら

もう100才になるのよ。」と云われ「え!ほんとですか?」と驚きました。

小柄な方ですが、以前転んで足の骨折でリハビリをしていらした他は

普通にしておられて、補聴器なしでお話が出来て、手紙やはがきも

いつもさらさらとよどみなく、金釘流の私は恐れ入っています。



T子叔母がよく「MさんはS子さんの特殊学校や施設作りやでご苦労されているから

長生きしなくてはいけないのよ。」と言われていましたが、それはよく分かりました。

「二女のS子さんに障害があって、今は音大を出てピアノの先生をしていらした

長女のW子さんがお世話をしているけど、やはりMさんがいてあげないとね。」とも。

S子さんは60代半ばだと思いますが、丁度私が訪ねてて行った日、

デイケアから夕方帰ってこられてご挨拶が出来ました。

脊椎骨折で背中が丸くなって最近は車椅子を使っておられます。


「W子ちゃんがお食事から何もかもお世話してくれてとても感謝しているのよ」

いつもいつも叔母様は和やかにW子さんへの厚い感謝の気持ちを語られます。

毎週立ち寄られるご長男のところには曾孫さんが3人になられたとのこと。

世の中のことにも関心が多く、以前原発事故に関して書かれた持論を

一寸見せて頂きました。その中に「何故、製造元のアメリカの会社

GE(General Electoric)は一端の責任を取ってくれないのか?」とあり

私も少し引っかかっていたことなのでなるほどと同じ思いを抱きました。

尊敬する人生の師でもあるM叔母様にはこれからもずっと長生きして頂きたい。

京都にある「ローム」という会社の創業者の方がお亡くなりになられたと新聞で知りました。

2020-01-28 | 交友関係
佐藤研一郎氏という方で異色の経営者といわれていたそうです。

若い頃、ピアノコンクールで1位が取れなかったことを契機に

もう一つの才能である電子部品で特許を取られて「ローム」

という世界に通じる電子部品の会社を設立されたそうです。

あまり人付き合いやメディヤに出ることを好まれなかったようです。


 
以前、ご近所の奥様Kさんと気の合う3人でお付き合いをしていました。

Kさんの長女のNさんが音大でピアノを専攻されて、その頃、

ハンガリーのリスト音楽院に4~5年留学されていました。

その折、留学の学費や滞在費などの話がでたのですが、

Kさんが「「ローム」という会社の奨学金を受けて助かっているのよ。」

と言われたのを覚えています。




帰国後の演奏会でNさんはリストの超絶技法を見事にこなされた

絶妙なテクニックで聴衆を魅了されていました。

今は母校で後進の指導に当たっておられるようです。
 
ロームの佐藤研一郎氏が1991年に私財を投じて

「ロームミュウジックファウンデーション」という財団法人を

設立されて、若手音楽家の育成に情熱を注いでいらしたとの

ことを知り、今回、私の中で、二つの点が線でつながりました。

天与の才能を十分に世の中に生かされた方だと思いました。

ご冥福をお祈りいたします。
 

自分がその立場になってみないと分からないこともある。

2020-01-20 | 交友関係
昨日は夫に先立たれた方に「メリーウイドー」などと顰蹙を

かっても仕様がない書き方をしてしまい反省しています。

その時の年齢にも依りますが、実際自分がもしその立場に立ったら、

私は最も動転して取り乱して、落ち込んでしまうタイプだと思います。

どう立ち直れるのか想像も出来ません。


 
少し遠くに住む親しかった友のAさんですが、家庭環境や孫の

年恰好までよく似ていて気が合っていたのですが、10数年程前に

ご主人が癌で2年ほどの闘病生活の後、亡くなられました。


その後、先方から、近所に住む年上の家族構成も似た頼れる

未亡人の方と意気投合して親しくお付き合いしていると、

何回か聞かされました。彼女にとって安らげて頼りになる

お相手が身近に得られたことは幸せなことだと思いました。

彼女は浅く広くというより、深く数人に集中して付き合うという

タイプですから、それなりに理解出来て自然に疎遠になりました。


表参道でいつものランチ会をしました。

2020-01-19 | 交友関係
1週間ほど風邪を引いた後、体調がすっきりせず、怠けて

しまいブログからも遠ざかってしまいました。


10日にエヴィリンさんグループのランチ会で、Tさんの案内で表参道の

リストランテ ヒロ 青山店に行って参りました。(約4000円)

8人グループなのですが、 参加者5名でした。

そしてお正月早々なのですが、Taさんのご主人様が

2日に(享年85才)Mさんのご主人様が7日に(享年77才)

ご逝去されてしまわれたとの訃報に一同は接しました。

ご両人とも1~2年間、それぞれ病院と高齢者施設に入って

おられましたが、急に容態が悪くなられてのことでした。

お悔やみ申し上げると共に高齢者夫婦である私は身につまされる思いでした。

8人のうち、3人の方がご主人に先立たれてしまいました。

            

でも一般的に、奥様が残られた場合、「メリーウイドウ」に

なられている方々が多い様に感じたりもしていますが。

人生の終りに向かっては末広がりに「ケセラセラ=なるようになるさ」

と明るく生きていきたいと思います。