11月13日(月)8/14℃
種・死して恵み
「一粒の麦、地に落ちて死なずば、ただ一粒にあらん もし死なば、多くの実を結ぶべし」(新約聖書・ヨハネ福音書12章24節)
ロシアの作家ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」の本の扉にもこの聖句があった。
子供の頃教会で聴いた「一粒の麦」の説教は今も心に残る。
麦一粒はそのままだとそれまでだが、いったん土に撒かれた時、太陽と水の恵みから新しい芽が出る。
それはやがて穂となり、沢山の実りとなり、それがまた新しい実りを次々と生み出していく。自ら死して恵みを繋ぐ話。
少し前、万博記念公園の「蓮の池」で縄文時代の美しい蓮の花に見とれた。日本の考古学者が昭和26年に二千年も昔の縄文遺跡から種を見つけ、その種子を20世紀の土と水で生き返らせた世界最古の花「大賀ハス」と説明書きにあった。
今やその種子は次々と世界中に流布され、縄文時代の一粒の蓮の種が現代人の我々の心を癒してくれる。
考えて見れば一粒の種の役割の大きさに仰天する。もう間もなくこの世での生を終える年代となったが、ボクの種はどう開くのか、その実りはどんなものなのか興味深い。
ボクの小さな種から子供、孫、曾孫たちを見ながら百年・千年後を想う時、天空から見るそれらの景色が楽しみでワクワクする。
* < 1粒の麦> rewrite