今夜、NHKBSで9時から、ダークサイドミステリー「三億円事件」が再放送されます。事件のあらましから時効まで、面白いのでおすすめします。
昨日、アップするつもりが、週刊誌掲載報道でアタフタして後回しになってしまいました。「はね駒」の松浪先生について、
『影のある美しさにほれぼれし、隠し切れないオーラに「ジュリー!」と叫んだシーンも多々。』
朝日新聞近畿版、5月20日
ジュリーさま、本当に優しく厳しい先生がピッタリでした。希林さんの演技も素晴らしかった。
そして、34年もたって気がつきました。38歳を目前にした当時のジュリーの、ジッと見つめる優しい眼差し、ほんわかとほころぶような笑顔、睨まれた目の怖いほどの厳しさ、哀しみのこもった目のやるせなさ・・ 声に出さなくても、あの大きな目だけで雄弁に語る様々な表情を、どれもこれも思い起こしては「ジュリ~」と叫ばずにはおられない。
なのに、なのに、当時のジュリーを「老けた」と思って見ていた自分。いや、それは私だけじゃない、当時の他のファンもそう言っていたし、雑誌にもはっきり「歳をとった」と身も蓋もなくそう書かれていました。
誰もが認め憧れた完璧な晴れやかな美貌に、40を前にして年齢という時が、少しづつ見える形で影をその表情に刻んでいきました。その翳りの中にある人間味に気がつかず「老けた」という簡単な言葉でひとからげにしてしまった事を、今にして恥じています。歳を重ね熟成することの良さに気がつかず、「若さ」だけに価値を求め有難がる世間は、私を含めて等しく精神的な子供だったのだ。
20代のジュリーに翳りのある松浪先生が演じられただろうか?30代後半のジュリーだったからこそ。これだけ魅力的な松浪先生だったのに、年齢なりの陰りと重みの出た表情を「ジュリーは歳をとった」若さと言う物差しでしかジュリーを見られなかった当時の自分を叱っています。「ごめんよジュリー」
ドラマで松浪先生のお言葉は、女性にとって勇気を与えられる言葉ばかりの素晴らしさでした。しかし「男女雇用機会均等法」が施行された1986年放送の朝ドラという所に、今になってそうだったのか・・と気がつきました。当時が、それほどフェミニズムの機運が高まっていたという思いは殆どなくて、いまだに女性の地位は高まっているとは思えないです。
松浪先生の語った女性に対してのお言葉は、自分がこの年齢になって、新たに深く深く染み渡るのでした。