あれやらこれやら いろいろ沖縄

沖縄に住み30数年の県外居住者が見た沖縄の生活や人情・自然や文化、観光。「あれやらこれやら」気ままに。

沖縄の工芸民芸~かりゆしウエア専門店・Kully(クリー)工房~快活で聡明な案内に惚れ込んで

2013年04月29日 16時18分01秒 | Weblog

写真は指宿シーサイドホテルを訪ねた一昨年初夏の頃の写真。
指宿シーサイドホテルのホームページはこちら

 4月、鹿児島・指宿温泉指宿シーサイドホテルの会長が那覇に来られた。
沖縄ハーバービューホテルのラウンジで10:00過ぎにお会いした。
今では、ホテルは息子さんに経営を譲り、ご本人は会長として名誉職に没頭している。
最初の出会いから36、7年になる。
 一昨年、指宿のホテルに遊びに行った。2年ぶりの再開だ。
海辺で景色のいいのは昔ながら、兎に角、料理が抜群に美味かった。
そのことから始まり、今のこと、今までのことなどよもやま話で話が弾み尽きることがない。
気がついたときには昼の1時をまわっていた。
 かりゆしウエアの「本物の沖縄の織物で作りたい」という。
「いいものは5,6万するよ」
これ以上説明はできない。かりゆしウエアは着たこともないし、知識もない。
取り敢えず「沖縄のデパート」に行ってみたいということで久茂地の「りうぼう」を案内する。
「りうぼう」又は「パレット久茂地」と呼ぶが、ホテルから徒歩で10分位のところであるから、県外の友人知人が来たときは徒歩にするが、当日は雨がひどくタクシーを利用した。
かりゆしウエアは紳士服売り場にあった。
かりゆしウエアの長袖が目的だったが、フロアには長袖は少なかった。
価格票を見て、本人は驚いたらしい。
13万円近くする。
安くても、いいものは5,6万だ。
 お目当ての「Kully工房」に向かうことになった。
会長がわたしを待つ間にハーバービューホテルの女子社員から薦められたという工房だ。
彼女は数軒のかりゆしを扱う店を用意してくれていたが、お勧めのKully工房に行くことに決めた。



 Kuuly工房に電話して、タクシーを止めるべき目印を訊いた。
「今どこにいらっしゃいますか?そこからでしたらタクシーは大変時間がかかります。モノレールでおいでください。首里儀保駅から歩いて2,3分のところです」
応対に出た若い女性が歯切れ良く案内してくれた。
「とても感じがよかった、いい店かもーーー」


 

沖縄かりゆしウエア専門店Kully(クリー)工房」コーディネーターのスコ太郎(ブログ名)さん。

 儀保駅で再び道順を尋ねる。
横殴りの雨がひどかったので、小降りになるのを待った。
しばらくして、指示に従っていくとビルの前で若い女性が笑顔で手を振っていた。
遅いので迷ったたと思われたのだろう。





注文が決まり寸法取りや説明をするスコ太郎さんと工房風景。
 会長殿は若い頃からお洒落で身につけるものには、兎に角うるさかった。
これはずいぶん時間がかかるなと思いつつ、展示された工房内をみていた。
案の定、コーディネーターに質問攻め。
助言でもしようかと思って傍に寄ってみたが、素材や織り、染などについて質問し、見本を手にしている。こりゃ本格的だと身を引いた。
かりゆしウエアや琉球絣や首里織、宮古上布や紅型なんていうのは、せいぜい観光土産にひと言ふた言助言することくらいできるが、本格的なものをもとめようとする人には役に立たない。
邪魔にならないよう離れて生地を見たり、触ったりしていると、スコ太郎さんがそっと近づいてきて、
「迷っていらっしゃるようですから、ご納得行かないようでしたら結構ですから、気になさらないでください。お気に召してからご注文いただいてください。お時間もあるようですから他のお店をごらんになってからでも。お断りなっても気になさらないでくださいね」
う~ん、文章にするといやに素っ気なくなるが、実に心配りが身に沁みた。
 かれこれ1時間くらいが経っていたが、敢えてこの言葉は伝えなかった。


 「かりゆしウエア製造工場認定証」 「沖縄県衣類縫製品工業組合」発行だ。毎年、更新されている。
壁に順序よく並べられていた。相当歴史があるんだと感じた。
 見本帳などを出して説明していたが、突然、寸法を取り始めた。
「これに決めたよ」
首里織であろうと素人目にも判る琉球柄のいい物であった。



 型見本が並べられていた。
制服の注文も受けるらしい。





 生地見本や柄見本。

 帰りのモノレールの中で
「気に入ったものがあってよかったですね」というと、
会長曰く、
「あの夫婦は人柄がいい、信用置ける。商売も大きく成長するだろう」。
自分が紹介したわけでもないのに嬉しかった。
さすが、本物指向は微動だにしていなかった会長殿であった。
帰りのモノレールの車中で
「背広が買えますね」
と云ってふたりで笑った。
ふたりでがんばっている「Kully工房」。
もうそろそろ会長殿のかりゆしウエアが出来上がっている頃だ。

{余談}
 帰って早速琉球絣を調べてみた。
 琉球絣は次に分類される。素材別に
   木綿   :琉球絣 琉球紺絣 ミンサー
   紬(絹) :琉球紬 久米島紬 読谷山花織
   上布(朝):宮古上布 八重山上布 首里上布
   芭蕉布  :喜如嘉芭蕉布 今帰仁芭蕉布 竹富芭蕉布
その他琉球絣の起源や技法、紅型について判りやすい説明が「日本の染め織」琉球絣のページにある。。 

 琉球絣をネット販売しているHPを見つけた。参考までに。


左上のスケールを下に動かすと広めの地図となる。Kully工房はモノレール儀保駅を降り、儀保交差点を渡って右に数歩のところ、
 


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沖縄の季節~沖縄本部半島伊豆味のベゴニア園~花期 3月下旬~5月中旬

2013年04月24日 16時10分58秒 | Weblog



 4月20日、いつものように友人M氏から
「ベゴニアを見に行こう」と誘われた。もう家の近くまで来ているという。
久し振りの好天気に恵まれ、ブログの投稿をしようと机に向かった直後であった。
気のいい奴だが我儘なM氏である。
ベゴニア園というけれど
「ベゴニアをどのように植えたってどうにもならないだろう」とやんわり断るが承知しない。
久し振りのことだ、ドライブでも楽しむかと重い腰を上げ、ブツブツいいながらM氏の車に乗り込む。
 ベゴニア園は本島北部本部半島の本部町伊豆味にある。
西原ICから沖縄自動車道に入り、終点の許田ICでおりる。
58号線を更に北上し、名護市から沖縄海洋博公園の標識に従って58号線バイパスを左折して伊豆味街道に入る。
許田ICから30分もかからずに伊豆味の町の中心に入る。
最初の信号を左折する。
直ぐ右手に伊豆味小中学校があるから、これを越えればベゴニア園はすぐである。



 入園料は300円だった。
事務所は園を見渡せるところにあり、これがベゴニアかと少々驚いた。
谷あいに、周囲の緑に囲まれてベゴニアの赤が輝いていた。
「へえ、結構いいね」というと
「だろう」とM氏は得意気である。
本土であれば、自動車道を走り、一時間以上もかけてわざわざ来るところではないなと思ったが、この時期この辺りまで来るなら是非見ておきたいものだ。





 なんと云っても、手作りで丁寧に作り上げた園主の人柄が感じられた。
見学路(歩道)は雨を考慮してか木材のチップが敷き詰められていた。



 百合は今が最盛期だ。
本島の方々で見かけた。



あじさいの花があちこちに咲いていた。
アジサイ園はこの園の丘の反対側にある。去年も一昨年も見に来たが、この日は夕方の約束があったので行くことが出来なかった。






 園内には見学路の路傍に植えられたこの時期の花々が美しかった。





 2,3年前のこの時期に、南部で個人の自宅の庭園を一般公開していた「オープンガーデン」を見に行ったついでに、訊ねた民家にあった「ヒスイカズラ」が咲いていた。
時期が越えたのか足元には散った花が拡がっていた。

沖縄本部半島伊豆味のベゴニア園





左上の目盛りを上に上げると拡大する。


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沖縄の観光~糸満市喜屋武(きゃん)岬の断崖沖縄戦の悲しい記憶~4月28日は屈辱の日

2013年04月03日 17時49分47秒 | Weblog

 喜屋武岬は本島最南端に近い岬だ。
岬に立って左が太平洋、右が東シナ海だ。波が眼下の岩に激しく打ち寄せる。
 昭和45年(1941年)4月、米軍は読谷村と嘉手納町の海岸沿いに海が真っ黒になるくらいに艦船を浮かべ、一斉に艦砲射撃を始めた。
最初の上陸地点は嘉手納町と読谷村の境を流れる比謝川だった。
日本軍は次第に米軍に押され作戦を持久戦に変え、最後の防戦基地と考えていた首里を捨て、南部へと戦線を後退させた。
住民たちも戦火を逃れ兵と共に南部へ南部へと逃れた。
 6月23日摩文仁ヶ丘で、司令官牛島中将、長参謀長が自決し、沖縄での組織的戦闘は終った。
喜屋武岬に取り残された住民や兵もこの崖から身を投げた。ある者は手榴弾などで自決した。
6月23日は沖縄県では「慰霊の日」とし、休日である。「沖縄全戦没者追悼式」が行なわれる。





 岬には1万余の住民や兵の遺骨が奉納されている「平和の塔」がある。
それと小さな展望台があるだけだ。



 潮風に風化してしまった案内板が悲しい。
30分余りの間に訪れたのは、3人の男のグループと若いカップルだけだった。


 
 足元にこのようなものが嵌め込まれていた。
素朴で寡黙なだけに胸に沁みた。





 眼下の岩に砕け散る波は荒かったが、遠く眼をやれば広く海原がひろがる。
左が太平洋、右が東シナ海。
感無量であった。

 喜屋武岬への道路も整備されていないし、案内も少ない。
那覇空港から糸満に向かって331号線を走る。糸満を過ぎて5分くらいで喜屋武岬方面の標識が道路脇にあるが、これがなかなかみつけにくい。
ようやく見つけても、村落の中を走るので不安である。それらしき道がないのである。
もちろん、バスは入らない。

 4月28日はサンフランシスコ平和条約が発効し、日本の独立した日である。
政府は祝典を開くといっているが、今、沖縄のマスコミや県民はこぞって猛反発している。
沖縄ではこの4月28日を祖国から切り離された「屈辱の日」としているのだ。
「日本の平和を守るために」と日本国内の基地の75%を沖縄が負っている。
「日本が独立した記念すべき日」と祝おうとしているが、沖縄とってみれば日本と分離された屈辱の日だ。
 どうして、沖縄の事をもっとわかってくれないんだ、という悲痛な叫びである。
自分は「ヤマトンチュウ」であるが、そんな素朴な県民の声が届かないのに腹立たしい思いがする。
もうすこし、目線を変えて、基点を変えて、沖縄を見つめてやって欲しい。




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