プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

尾西和夫

2012-05-28 21:45:45 | 日記
近鉄対広島 オープン戦

近鉄の島本がいい感じで打っている。第一試合に二本塁打。
四回に外木場のシュートを右中間に。
八回は金城のカーブを右翼へ打ち込んだ。
球を捕らえるポイントと振りの鋭さが目についた。
第二試合は近鉄が尾西(中津工高)。
広島が北別府(都城農高)小林(広島工高)の新人投手を起用した。
尾西はシュートが鋭い。北別府は得意の速球をあまり投げなかったが、
大きなカーブがよく小林は制球の良さが見られた。
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鏑木悦純

2012-05-26 18:36:19 | 日記
阪神8-4東映 倉敷

勝 鏑木 敗 森安

東映森安、阪神鏑木の両先発投手はともに立上り手痛いところで本塁打を打たれるなどさんざんのスタート。鏑木が二回から立直り、シュートとカーブを外角低めにきめて六回までなんとか持ちこたえたのに対し、森安は球威なく、二回にも乱打された。二番手の尾崎はスピードは出てきたもののまだタマには伸びがなかった。東映は投打に精彩なく、わずかに初回右翼場外にオープン戦6号を放った張本のバッティングが目についていただけ。

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簾内政雄

2012-05-26 18:29:42 | 日記
東北人の粘り強さ
大活躍の簾内投手

日鉱50年目の宿願に一役

後藤監督が胴上げされると、日鉱のスタンドは一斉にワッショイ、ワッショイ」-三間社長も副社長もほとんど顔をそろえた会社幹部も、勝利の興奮にほおを紅潮させている。何しろ大正五年にチームが結成されてから苦節五十年にして初めてつかんだ栄光だから大変な騒ぎである。しかも社会人野球の大鵬といわれる日本石油を堂々と寄り切り、ナンバーワン投手平松をKOしての勝利だからなおさらだ。「全国大会に優勝したのは初めて。準決勝に進んだこともなかったんだから・・」と後藤監督がいうと、勝利の立役者・簾内投手も「四試合完投(うち三日間は連投)は初めて。それにホームランも生まれて初めてです」と顔をほころばせる。初めてずくめの輝かしい優勝だった。それにしても、社会人野球にはすばらしい新星があらわれたものだ。簾内といっぷう変わった名前の投手が出て来たのは三年前。当時からタマは速くてノーヒット・ノーランなどの快投をやってのけたこともあるが、ヒジを痛めたりしてパッとしなかった。ヒジの故障がなおった昨秋から、彼なりに自信というものをつかんできたようだ。身長175㌢、体重76㌔というめぐまれた身体から重みのあるストレートと大きな落差のドロップを武器に、この大会は四試合をひとりで完投、防御率0.75という快投だった。「相手が強い日石さんだから打たれてもともと」と楽な気持ちで投げたという。一昨年東京オリオンズからリストアップされたとき「プロでやるガラではない。いなか者は山の中にいればいい」と断ったという話がある。能代高時代に全国高校選手権に出場したが、東北人らしいぼくとつな選手だ。練習熱心で夜でも室内練習場で投げるほど。それに根性もチーム髄一といわれる。努力でかちとった初優勝といえるだろう。
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奥田敏輝

2012-05-26 16:12:17 | 日記
フォーム・・・スリークォーター  球種・・・カーブ、シンカー

阪神5-0東映 勝 奥田 敗 伊藤 ◇大津

阪神は打力を生かして捕手から外野へコンバートされた和田が二回低め速球を左翼場外へ先制ホーマーした。高校(明星)時代から低めに強かった和田らしい一撃。オープン戦七試合中六試合まで二ケタ安打を記録し大いに当たっていた東映は一回の一死一、二塁を白の遊ゴロ併殺でのがすなどこの日は元気が無かった。もっとも阪神の先発奥田(桜塚商、二年目)は低目の変化球によいコントロールを見せた。6イニングを投げ、ベルトより高いタマは一球もなかった。すごみには欠けるが、決めダマのシンカーとカーブはなかなか味がある。阪神は八回代わったばかりの落合(中野実商)に小玉が左翼へ2ラン、さらにカークランドも右翼へオープン戦第四号の2ランホーマーを飛ばし力のあるところを見せた。

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長島吉邦

2012-05-26 15:37:11 | 日記
登板二度目のルーキー・長島が阿部に本塁打された1失点だけで完投した。スピードはなかったが、小さなカーブとシュートで左右をていねいについた。中盤ボールが先行したが、四球は四個でまずまずのでき。広島にとっては使える見通しがついた。東尾は変化球を多投したが、スピードはもう一歩でコースが甘かった。
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田尻茂敏

2012-05-14 22:10:00 | 日記
オーバースローからドロップ、今で言うカーブを投げていた。
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大石直弘

2012-05-12 00:04:23 | 日記
1978年
・ドラフト3位指名・大石直弘投手の仮契約が無事終了した。同投手担当の三輪田スカウト、当銀スカウトらの入団要請が実ったもので、契約金は1200万、年俸は240万。無論、将来性を買ったものだが長身の本格派左腕で、左投手が少ないだけに、梶本監督が彼に寄せる期待は大きい。

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浜田知明

2012-05-12 00:03:10 | 日記
1983年
・阪神の投手陣にラッキーボーイが出てきた。ドラフト5位で入団したルーキー浜田だ。5月17日に念願の一軍入りを果たし、リリーフで5試合に登板、5イニング無失点を続けている。コントロールが良く小気味のいいピッチング、よっぽど強運の持ち主なのか打たれてもホームインを許さない。小林以下、先発要員が4人しかおらず、ローテーションの谷間に苦しむ安藤監督は、強運のルーキーを近いうちに先発させる予定でいる。三重県の長島高から電電東海を経てプロの門をくぐった。「コントロールがいいのが取り柄かな。ストレートはまあまあ。カーブをはじめ変化球は大したことないですよ」と控えめだが、実戦派と呼んでいいだろう。一昨年のドラフトで中日に5位指名されたが、事前のあいさつにやってきた阪神に「プロには行きません」といった手前、仁義を守った好漢。切手、コインの収集が趣味の落ち着いたムードを持ったルーキーだ。

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待井昇

2012-05-12 00:02:31 | 日記
1975年
・太平洋の成長株・待井外野手が投手として再スタートすることになった。入団1年目の待井はウエスタンで3割近くをマーク、昨年は一軍戦にも出場し、南海戦では決勝打を放ち注目を浴びたものだった。だが、江藤政権の今シーズン、待井の存在価値はそれほど大きく認められずファーム落ちしていた。それでも「投手」としてのチャンスを与えられた待井は恵まれている方だろう。阪神6回戦に5回から登板、3イニングを5安打の1失点。「あいつは足腰のバネがいいし、もともと投手タイプ。思ったよりいけそうだ」と、首脳陣の評判も上々だ。待井も「コンバートを言い渡されたときは正直いって戸惑いがありましたが、今は投手一本で全力投球です」と、再起へ確実に歩み出している。

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松岡高信

2012-05-12 00:00:43 | 日記
1975年
・ウエスタンリーグ
太平洋のオープニング投手、松岡はちょっとした異色の存在。ルーキーでいきなり開幕試合に登板、期待の大きさを物語っているが、もともと本職は外野手。大阪学院大学時代はクリーンアップを打ち、外野手として活躍していた。ところが人間、ひょんなところから思わぬ方向に進んでいく。試合前の練習で、この松岡がバッティング投手として投げていた。それをたまたま見ていたのが太平洋のスカウト。コントロールがいいし、伸びもある。184センチという長身も魅力だ。こうして昨年のドラフトで投手として4位指名された。「ピッチャーをやるんですか。きらいじゃありませんけど・・・。ハイ、入団させてもらいます」プロの魅力に勝てず、OKの返事を出したものの、心境は複雑だった。それもそうだろう、一生懸命に取り組んできた外野手としては認められず、試合前のバッティング練習で投げているところに目をつけられるとは・・・。こうして誕生した異色投手がいきなり開幕試合で先発デビュー。さすがに体はコチコチ。「自分ではアガっていないつもりだったのに・・・」一回、近鉄打線につかまり、本塁打を含む連続安打を浴びてダウン。散々の「初体験」だった。それでも二度目の南海戦では、藤田と互角に投げ合うなどチーム内の評判は上々。スリークォーターから投げ込む球は打者の手元でグンと伸びている。その投球フォームは大洋に移籍した河原にソックリだ。和田二軍監督も松岡のことになると目を細めっぱなし。「球の回転がいいネ。素質があるんだから、どんどん投げさせますよ」と、いかにも楽しみといった口ぶりだ。

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江幡和志

2012-05-12 00:00:12 | 日記
1982年
・大洋の3年目、江幡が徐々にではあるが、イースタンでの実戦に顔を見せ始めた。これまでは故障に泣かされてきたが「今季にはいり、ようやく体ができて見違えるピッチングをするようになった」こう稲川コーチがいえば、「上背もあるし、腕の長さを利かした投球ができるのは強みだ。ドロップ気味にストンと落ちる球を投げたかと思えば、次は横へ流れるスライダーだったりするんだヨ」と、山根二軍監督もその逸材に一目置いている。

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松原由昌

2012-05-11 23:59:55 | 日記
1975年
・巨人の背番号「68」が、華やかなルーキー勢にまじって懸命に汗を流している。松原由昌投手。昨年秋、雨の多摩川で行われたテスト、その志願者80人の中からただ一人選ばれた異色のルーキーである。前職は東京都水道局南部第一支所で、各家庭に鉛官を引く工事の監督補佐をしていたというから、異色度は№1かも知れない。月給12万也。「初給料で親父にプレゼントができました。いままで一度もコーチを受けたことがないし、基本もサッパリです。でも、やる以上は誰にも負けたくありません」と、この番外ルーキー なかなか骨っぽい。一回目の遠投テストで110メートルの測定ラインを楽にオーバーして「即合格」になった
バカ肩。エリートたちにもまれてどんな開花ぶりを見せるか・・・。

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清水治美

2012-05-11 23:56:56 | 日記
1985年
・西武から左腕・杉本の入団を沖縄・具志川の自主トレで聞いた清水は「ボクにとって厳しい状況になりました」悪い予感が現実となってしまった。「左の即戦力」として鳴り物入りの清水投手も、実戦派・杉本が相手では歯が立たない。目下は一軍と同行しているものの「打撃投手」の毎日だ。川越高から日通を経て昨年暮れ中日入り。「あのカーブは実戦で使える」と山内監督も買っていた。実際、杉本合流後もオープン戦終盤まで一軍当落線上で、きわどく競っていた。「テストの最後まで残れたことが救いですワ」打撃投手として再出発の清水。「この中から何かをつかんで」と前向きの姿勢だ。

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金田義倫

2012-05-11 23:56:06 | 日記
1971年
・日本シリーズに備えて巨人が西宮球場で初練習したとき、渡辺のピッチングを食い入るように見つめていた男がいた。この大柄な男が阪急のバッティング投手金田義倫だった。8年前、「第二の米田」というふれ込みで阪急に入団しながら、その後芽が出ず打撃投手に転向。今シーズンも上手から下手に変えた投法で近鉄・佐々木、東映・高橋直攻略用のけいこ台になってきた。その下手投げを巨人・渡辺に仮想してシリーズ用に切り替えるための研究でもあった。「ボクが少しでも役に立てば・・・」縁の下の力持ち金田が花やかな舞台裏でポツリともらした言葉が印象的だった。

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黒田正宏

2012-05-11 23:55:11 | 日記
1978年
・ホークスのユニフォームを着て8年目。長い下積み生活を続けていた黒田正宏にとうとう「春」がめぐってきた。法大時代には田淵「阪神」、プロに入ってから野村と彼のいくところ常に球界を代表する「大捕手」がデーンと待ち構えていた。だから彼の歩んできた野球人生にはいつも自分の力とは関わりのないところで「控え選手」、「第二の男」という暗くよどんだレッテルがはられていた。「調子がいいのに出られない」・・・黒田正宏は自暴自棄の生活を幾度繰り返したか知れない。だが「出られない」という理由だけで野球を辞めるわけにはいかなかった。野球で身を立てようと決めた男の意地もあった。が、それよりも何よりも彼には妻もあり子もあった。そんな人知れぬ苦闘を経ながら彼は無意識のうちに「耐えること」をしっかりと学びとっていた。「野村解任劇」でポッカリとあいた「正捕手の座」を苦闘を繰り返した「第二の男」への、この上ない報酬であるといったらいいすぎだろうか。


1980年、6月19日の阪急戦では福本豊が試みた3度の二盗を全てアウトにした。

「守りの人」のイメージが強いが、西武時代の1982年日本シリーズ第一戦「対中日・ナゴヤ」では、先制2点タイムリーを含む2安打、3打点で「打のヒーロー」になった。


1984年、4月11日の日ハム2回戦「後楽園」では7回ウラの守備中に打者・大宮の折れたバットの破片が捕手・黒田の頭部を直撃するというアクシデント。タンカで運ばれ退場した黒田は頭部を4針縫うというゲガを負った。

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