プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

川崎泰央

2021-05-29 07:45:54 | 日記

1995年

MAX144キロの超高校級右腕。一試合平均奪三振は11個をマークする。オリックスとは相思相愛で、早くも「イチロー選手のサインがほしい」とか。守護神平井に続く存在として、早期一軍入りを目指す大物投手だ。

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佐々木健一

2021-05-29 06:34:16 | 日記

1990年

就任三年目の武市監督が優勝への条件として強調する投手力はエース佐々木が安定し、五年ぶりの甲子園を目指す。右腕佐々木は182㌢の長身から投げおろす威力のある速球が武器。切れのいいカーブを織り交ぜ、打者を打ちとる県内屈指の本格派。不安は突如制球を乱して連発する四球病。春季大会準決勝の名西戦では二死後から4連続四球を出し、反撃の機会を与えてしまった。「佐々木は連打されることはめったにない。心配は制球力だが、四球の連発はなくなった」と武市監督は佐々木の右腕にかける。立ち上がりの力みさえなければそう点を与えることはない。

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上田好剛

2021-05-29 06:25:58 | 日記

1989年

上位浮上の夢を上田好に託す。184㌢の長身から投げ下ろす速球が最大の武器。春の兵庫県大会1回戦(0-3津名)での奪三振9が非凡なスピードを証明している。

1993年

上田の交渉は午後三時から、大阪市大正区の中山製鋼で本人と両親、野球部の小坂信夫副部長と竜スカウトを交え、約三十分で終了した。上田は「大好きだった元広島の津田投手や元ロッテの村田投手のように、ファンに感動を与えられる投手になるのが目標」高校時代は無名、そして社会人でもチームで三番目だった投手は、プロのひのき舞台での活躍を力強く誓った。また、「一日も早く練習し、プロの水に慣れたい」という上田の希望で、九日から二十日ごろまでドミニカ共和国のカープアカデミーの一員としてドミニカ教育ウインターリーグに参加する予定。

1994年 粗削りながら150キロ近い速球が魅力。入団発表前にドミニカのウインターリーグに参加するなど意欲十分の即戦力右腕。

 

ルーキー上田は球威に見るべき面もあったが、球道が定かでなかった。初登板だから緊張もしたろうが、今後は若さをぶつける投球も必要だろう。

 

上田にとって思い出のキャンプ初日は、宿舎のシャドウ・ピッチングで締めた。そこで待っていたのは山本和行投手コーチのフォーム改造指令だった。「野球センスがないんです。馬力だけで押すタイプですからね。コーチから下半身の使い方を直すように指導されましたけど、呑み込めなくて…。まあこれからですよ」初日にブルペンで捕手を立たせたまま50球を投げた。その後、山本コーチから徹底的にチェックが入ったのが下半身の使い方だった。背筋力230㌔と、プロでも十分に通用する上体の強さで投げ込むだけで、ストレートは140㌔を軽く超える。だが、コントロールという課題を克服するためにも、下半身のスムーズな使い方が必要だ。「肩はしっかり出来ているから、フォームをいじることができるんだ。あの投げ方では、いくら投げ込んでもよくはならないからね。真っすぐは速くなりそうだし、楽しみだよ」昨年12月、入団発表の前にドミニカ共和国のウインター・リーグで武者修行。そこで好投したのが認められ、キャンプは一軍の沖縄組に抜テキされた。「初めての海外だったんですけど、いろいろな刺激がありました。体や肩を鍛えるのには最高だったと思います」もちろん、1月20日の自主トレから沖縄に入り、そのまま居残ってキャンプを迎えた。キャンプでは腹筋、背筋1000回という強烈メニューも用意されていたが、若手ピッチャーから「あいつの体はすごいな」と感心する声が上がるほど体力は十分だ。だが、強じんな体にもウイークポイントはあった。初日の投球練習で、両足の内転筋が弱いことを指摘された。そこで今度は相撲力士がよくやるシコを踏んで、下半身の強化に取り組んでいる。「今の段階ではまだ何ともいえない。でもいい素材だ。積極的で素直な性格だし、努力もしている。11人に残る競争に参加する資格は十分だ」三村監督から合格点も出たルーキー。社会人としての実績はないが、即戦力の期待もふくらんできた。

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上田好剛

2021-05-27 12:43:45 | 日記

1994年

期待のルーキー、上田が三番手でオープン戦に初登板。六回のピンチは野村の好守で切り抜けたが、七回は二死からの3連打で2失点。課題の制球も4四球と散々で「結果はだめだった、の一言です」フォーム改造中で、「球を投げる感覚が違う。納得のいくボールが投げられない」と迷いを口にする。それでも、「自分でこれ、というのがつかめたら、ある程度できると思う」と次のチャンスに意欲をみせた。

1996年

広島のファームの投手をスタンドの一角から眺めていて、スリークォーターから球速のあるピッチングをしている投手を発見した。これが上田だった。彼はたしかオーバーハンド投法だったはず。3年前だったと記憶しているが、中山製鋼が都市対抗野球に初出場、ベスト8入りしたとき、オーバーハンドから速球をビシビシ投げていた。取材をしてみると、入団した年の5月に右ヒジの状態がいまひとつ思わしくない、医師に診察を受けたところ「手術の必要あり」と診断されて右ヒジ遊離骨折除去に踏み切ったと言う。手術後、リハビリに専念。今シーズンに入って投法をスリークォーターにしたそうである。なぜ、オーバーハンド投法から変更したのか。「課題である制球が相変わらずの状態だった。それで悩んでいたとき、外木場二軍コーチからスリークォーターにしてはどうか。そうすれば制球力もつくし、球速も増してくると助言してくれた。そういうわけでフォームを改造したんです」彼は、こう語っている。こうしてスリークォーターの投法になった上田は、自分でもアレッと思うほど制球がよくなったと言う。それだけではない。球速が増してMAX150㌔を記録した。このスピードはもちろん広島投手陣№1だ。「オーバーハンド時代より腕の振りがずっとシャープになっている。この投法が上田に合っていた。本人も努力した甲斐があったが、すべてはこれから。これからが大事」外木場コーチは上田について報道陣に、こう語っている。上田は「手術をしてよかったし、フォームも改造してよかった」と言って「現在では投げていても何の違和感もないし、気持ちもいい。前へ前へ向かっていけるのがうれしい」と話している。こういう内容の話ができるのも「やれる」という自信がついたからだろう。そして「スピードで勝負できる投手になって一軍へ」と述べている。「彼は近い将来、必ず上のマウンドに立つ。しかし、そのためにはまだまだやらなければならないことがいっぱいある」。首脳陣はこう言って、広島№1の球速男に期待している。上田が、首脳陣の「上で使える」という言葉を耳にする日はそう遠くはあるまいが、首脳陣が先に述べているように、彼が身につければならないことがヤマほどある。投手としての細かい動き、牽制球などもそうだが、これらをうまくこなせるようになれば最速男は関門を突破できると私は思っている。

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田中由基

2021-05-27 11:17:26 | 日記

1993年

大阪の高校球界で左のナンバーワンと騒がれた。今春の大阪大会で7試合に投げて74奪三振で準優勝。「小さい時から広島の大ファン。プロでやるならカープしかない」と早くから表明したため、他球団は引き下がった。「直球の切れがいい。変化球の球種も多く、先発、中継ぎのどちらにも育てられる」と宮本スカウト。「山本昌(中日)のような左腕」とは備前スカウトの見方だ。

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品田寛介

2021-05-27 11:12:39 | 日記

1993年

右の本格派の素材。三人兄弟で次兄の操士君(20)も投手で、近鉄に在籍している。「腕の振りにしなりがあり、直球の切れがいい。変化球はスライダーとフォーク」と苑田スカウト。

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山根雅仁

2021-05-26 20:43:04 | 日記

1993年

高校の投手では平井(オリックス指名)平田(中日指名)と並んで大器の呼び声が高い。今夏の甲子園では1回戦で修徳に0-2で敗退したが自責点はゼロ。横手投げの球威は潮崎(西武)二世と評判だった。140㌔を上回る速球、シュート、スライダー、高校では横の変化だけで押し切ったが、潮崎のようにシンカーを身につければ、縦の変化が大きな武器となる。69㌔のスリムな体だが、下半身を鍛えれば、まだまだスピードは増大しよう。横手の速球が145㌔となれば、打者は上手投げの150㌔級に感じる。「腕の振りがしなやかで手首が強い。地元の選手でもあり、なんとしてもほしかった」(備前スカウト)「横手からの直球の威力は最近の中国地方では見当たらない素材。プロで落ちる球を覚えれば、バネがあるだけに楽しみだ」と佐伯スカウトは話している。

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日笠雅人

2021-05-26 20:43:04 | 日記

1995年

中日7位指名の新日鉄君津の日笠雅人投手は「うれしいと同時に大変だな、と感じました」と喜びを話す。直球は最高144㌔、得意球はスライダーで制球重視と、緩急織り交ぜた投球が日笠の持ち味。今季は先発から抑えまで何でもこなし「どこでもいけます。ピンチにも動じない粘り強さをアピールしたい」と、もう気分はドラの一員だ。左投手王国の中日に、また楽しみな左腕が一人増えた。

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長見賢司

2021-05-26 20:37:09 | 日記

1990年

189㌢、75㌔の大型右腕・長見に期待が集まる。新チーム結成から35勝(9敗)をマーク。落差の大きなカーブは、かなり打ちづらい。「腕の振りがよくなり、スピードが出てきた」と後藤監督。

伊丹西のエース長見(三年)が評判通りの好投を見せ、飾磨工に完封勝ちした。奪った三振が11個。散発的に許したヒットは5本だが、当たりそこねの内野安打が2本も含まれているからまずまずの内容といえる。「春はヒジが下がって悪いクセが出ていたが、きょうはいい時のフォームで投げられたみたい。後半はほとんどストレートで勝負できましたから自分でも納得しています」というのが長見の自己採点。ただ奪った三振数が多くてもスリーボールになったケースが5回もあり、投球数が多かったのはいささか気になるところ。

川西明峰は伊丹西・長見のスピードボールとカーブに全く手が出ず六回まで三人ずつの攻撃。

伊丹西のエース長見があわや完全試合の好投を見せた。惜しくも七回、川西明峰の畑木に左前へもっていかれ夢は消えたが、二つのダブルプレーもあって相対した打者は毎回三人ずつの二十七人。最後の九回は九番バッターできっちり締めくくった。「六回の守りについた時に自分でも意識しました。畑木君には内角を降らそうと真っすぐで狙ったんだが…。きょうはストレートの走りが悪かったので前半は変化球を多く投げたのがよかったみたいです」と大記録達成が消えたことなどまったく気にしていない口ぶり。それよりも「みんながよく守ってくれた」と9個もの遊ゴロをファインプレーもまじえ見事にさばいた野村遊撃手らバックの好守を改めて見直したよう。伊丹西の後藤博雄監督は「なかなか頭の切れる子で、自分の調子を見てピッチング内容を切り替えたのはさすが」と教え子の好投に目を細めていた。

西武の鈴木スカウトは二十六日、兵庫県伊丹市の伊丹西高を訪れ、ドラフト1位指名の長見賢司投手、父親の司氏(41)、学校関係者に指名のあいさつをし、夜には大阪府箕面市のステーキハウスで条件(契約金六千万円、年棒五百万円=推定)を提示した。長見側から即答は得られなかったが、基本的に支障はなく、次回の交渉(日時未定)で入団が決まる可能性が高い。長見は意中の球団に1位指名されたとあって「指名された時よりもうれしい。支障は何もありません。(気持ちとして)西武の長見はもう始まっています」とはやる心を抑え切れない様子。鈴木スカウトは「本人のほっとした姿を見て僕もほっとした。二、三年先には一軍に出てきてほしい」と将来性の豊かな右腕に期待を寄せていた。

1991年

ー今年の二軍公式戦での成績は0勝3敗0Sでしたが、黒潮リーグの10月16日対ダイエー戦で初完投初完封しましたね。

長見 公式戦で勝っていなかったので、この黒潮リーグではとりあえず1勝をすることが目標だったからよかったです。カーブは教育リーグに入ってから投げられるようになって、高知に入ってからは10のうち7つは投げられるようになった。それが完封できた要因でしょう。

ーカーブを覚えたことで投球に幅ができた?

長見 今年の6月ぐらいからカーブを投げ始めたんですが、僕のカーブは全くストライクが入らなくて、相手打者は変化球は打つ気なしで、速球ばかり狙ってました。7月31日の日本ハム戦では、斎藤(浩行)さんに本塁打を打たれたうえに、サイン・ミスをして代えられたんです。ここからガタッと使ってもらえなくなって、カーブのコントロールをつけろと森(繁和投手)コーチにいわれたんです。

ー森コーチからどんなアドバイスがあったのですか?

長見 9月の初めから、練習後、森コーチに残されて、マンツーマンに残されて、マンツーマンで握り方とか、こう投げたらいいとか…。森コーチのカーブを投げてる感じですよ。

ーカーブの習得で、得意の速球が生きてきたわけですね。

長見 そうですね。カーブを見せ球に、フォーク、最後は速球でドン!という組み立て。これがあったから初完封ができたのでしょう。やっぱりボクは三振を取りに力で押すタイプ。森コーチからは最初はスピードをつけろといわれていて、9月6日の対大洋戦で148㌔をマークしたんです。だからあとはコントロールだけなんですが、ボクは、体が開いて投げるクセがあって、それだと対角線上に投げられないんですよ。体を開かないように、左足を真っすぐ打者に持っていって、球を切る感じで投げているんです。

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藤田達也

2021-05-24 14:09:36 | 日記

1978年

四十五年の春の選抜、三十九年と四十八年の夏、過去に合わせて三回甲子園の土を踏んでいる。「来年同校は普通高校と商業高校に分かれる。ことしをのがせば甲子園出場のチャンスは当分まわってこない」と谷辺部長。背水の陣をしいての県予選出場である。このカギを握るのがピッチャーの藤田。183㌢の長身からスピードの乗ったストレートと、切れのいいカーブ。外角低めのストレートが決れば、ちょっと手が出ない。九学の右田とともに本格派№1の呼び声がたかい。腰痛の持病が快方に向かっており、完全に立ち直ればことしの八代東はあなどれない。

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金子貴博

2021-05-24 12:35:20 | 日記

1991年

 

エース金子は右横手投げ。制球よくスピードもあるが、後半のスタミナが課題。

ダークホースの一角に挙げた船橋法典が、エース金子の力投と活発な打線の援護で、ついに3度目のベスト8入りを決めた。成田を初戦で破った勢いで天羽、生浜と波に乗るチームも撃破。この日の相手は、同じ無シードながら快調に勝ち上がってきた野田北という強敵だけに接戦が予想されたが、結果は船橋法典が一方的な試合運びで快勝した。やること成すことすべてがうまくいき、5年ぶりの8強を手にした二階堂克行監督の「波多野のインコースのタマにぶつかっていけ。甘いタマをセンターから右へ打て」との指示を選手が「良く守った」ことが勝利に結び付いたといえる。21日にやった野田北ー市川の一戦をビデオに撮るなど研究も怠りなかった。しかし、それ以上に選手が見せた気迫はすばらしかった。金子が「成田の時に比べれば全然だめだった」と言いながらも4回をパーフェクトに抑える力投を演じれば、打線も6回までに長短12安打で盛り立て、中盤で試合を決め、二階堂監督に「理想的なパターンで攻撃できた」と言わしめさせた。「みんなが、それぞれの役割をきちっとやった」と同監督の舌も滑らか。会心の勝利に「百点でもいい」という言葉が思わず口をついた。ベンチ内は「ヤジのかけ合い」で、時には「ケンカにでもなるのでは」と心配するほどだと言うが、逆に言えばそれだけ選手が乗っているということ。大黒柱の金子も「とにかくマリンに行きたかったので、実現できて良かった。あとは一戦一戦勝つだけ。チームワークは抜群にいい」と、急上昇ムードに笑みがこぼれる。6年前に秋ベスト4があるが、夏は未知の世界だけにプレッシャーもかかってくるが底抜けの「明るさ」でどこまで頑張れるか注目したい。

ベスト4に突き抜ける壁はあまりにも厚かった。初戦に昨年の覇者・成田を破ってチーム全体が波に乗っていた。金子が11奪三振の力投。しかし、終わってみれば・・・。何度か訪れた好機に水ものの打線は湿ったままだった。「公立高校として優勝し、甲子園の土を踏みたかった」という二階堂監督。悲願の栄冠は幻となったが「もう一つ踏み込んだ練習で一から建て直したい」(同監督)と、大きな敗北は来季への闘志をかき立てたようだ。全身を使うダイナミックな投法の金子は、風速10㍍以上で人口芝でも粉じんがまく中、奮闘よくマウンドを守った。「前半のスピードが終盤まであったら危なかった」(相手選手の話)というほど、金子のストレートにはスピードが乗っていた。しかし、それが力みにつながり、本人が認めるように「カーブが曲がらなかった」ことにつながってしまった。涙を見せまいとしてか、うつむいてさかんにタオルで顔をふいていた金子の言葉は途切れがち「疲れはしなかった」「半分ぐらいの出来」「負ける気がしなかった」と若者らしい精いっぱいの強気をみせた。「悔いはない…」と言った後「初回にゲッツーをくらいオレが流れを変えてしまって…」と悔しそうな顔をした。一回、一死後川口が三塁打、続く高橋が死球で一、三塁の先制機に金子は遊ゴロに倒れていた。風と猛暑の中、マウンドで躍動した金子。「頭がボーとしている」(金子)。金子は燃焼した。最後はマリンの人工芝で。

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白坂勝史

2021-05-24 09:44:36 | 日記

1997年

春の全国大学選手権でのピッチングは圧巻だった。1回戦の佛教大戦では8回まで毎回の12三振を奪い、2安打完封。準決勝の亜大戦でも打線の援護が得られず敗戦投手になったものの、大学球界でもトップクラスの強力打線を4安打2失点(自責1)に抑え、関東学院に白坂ありを全国に印象づけた。横浜高時代から速球派左腕として注目されていた白坂だが、桧舞台での活躍はこれまでほとんどなかったと言える。3年の時に高橋光信(国際武道大)とバッテリーを組んで出場した春の選抜高校野球では初戦敗退。関東学院大入学後も勝ち星に恵まれず、「ラストイヤー」を満を持して臨んだ今春のリーグ戦でも打ち込まれたわけではなかったが、本来の豪快なピッチングが陰を潜めて2勝止まり。エースの座を後輩の高井に奪われた形になった。「春のリーグ戦でもそうだったんですけど、これまで抑え込んでやろう、三振を取ってやろうという気持ちが強すぎて、力んで自滅するパターンが多かったんですよ」力まなければ、自分のピッチングができる。春季リーグ戦の途中でそのことに気がつき、神奈川大学リーグの優勝をかけて戦った横浜商科大とのプレーオフあたりから徐々に自分のピッチングを取り戻すことができた。とはいえ、初めてマウンドに上がった時から持ち続けてきた三振へのこだわりを捨てたわけではなかった。「マウンドに立つからには三振を取りたいという気持ちはあります。たとえ完封しても、三振の数が少ないと納得できないというか。三振を取った瞬間の何とも言えない爽快感。ホント、あの瞬間、ピッチャーやってて良かったと思うんですよ」最大の武器はストレート。精悍(せいかん)な顔つきに似合わない?しなやかなフォームから繰り出されるストレートは、MAX145㌔。ゲームでも常時130㌔台後半を記録する。球種はチェンジアップ、カーブ、スライダー、フォーク。これらの変化球は「カウントを稼ぐためのボール」と白坂は言うが、ストレートが速いだけに、バッターにとっては打ちづらい。秋の目標はもちろん、リーグ戦優勝。その後に控える神宮大会でも、「いいピッチングをするだけでなく、確実に勝利をものにしたい」と目を輝かせる。そして、子供の頃からの憧れであるプロへー。「球団はこだわりません。声をかけていただければ、どこでも行きますよ。ただ、プロに入っても、三振を取れるピッチャーであり続けたいですね」精神面での成長でひと回りもふた回りも大きくなった白坂が、今後、どんなピッチングを見せてくれるか。秋の楽しみが、また一つ増えた。

1998年

星野監督に「こんな順位まで残っているなんてまさかと思った」という掘り出し物。140㌔の直球と大きく割れるカーブ、それに魔球のチェンジアップが武器。

1999年

小さな故障で泣かされたプロ元年、二軍での登板も2試合に止まった。145㌔の速球を持つ本格派左腕だけに、まずはケガのない1年を

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国沢道雄

2021-05-24 09:27:06 | 日記

1978年

184㌢、76㌔の大型投手・国沢を前面に押し立て、初の甲子園出場をともくろんでいる。その国沢、これまでは、ただ球が速いだけだったが、最近はそれに若干伸びも加わるようになっている。また、ことしが最後の大会とあって「自分がやらねば」の自覚が生まれ、ピッチングにムラがなくなるなど、頼れるエースに変身しつつある。

国沢の球威のなかった外角球や切れの甘いカーブを捕え、国沢もろうばいするほどのパンチ力を見せた。

宿毛戦で乱打された伊野商・国沢はこの日、見事な立ち直り。宿毛戦で下がっていた腕が上に上がり、投げ下ろすストレートとカーブがびしびしとコーナーいっぱいに決まった。

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馬渕隆雄

2021-05-23 22:07:41 | 日記
美濃加茂は馬渕の球が高めに浮き、カーブのきれもいまひとつ。打線も八、九回に1点を加え、追い上げたが及ばず、4回戦で涙をのんだ。
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坂本勉

2021-05-23 09:54:37 | 日記

1989年

バックネット横に、県予選開始までの残り日数を示すボードがある。残りわずか。練習にも決戦を間近にした緊張感が漂う。エースで四番の坂本を中心にまとまったチーム。坂本の出来がチームの浮沈を握るが、昨年来の課題だった下半身も安定感を増し、左腕からのインコースを突く直球、カーブに威力がある。配球は自分で組み立て、打者の打ち気をかわすテクニックも身についた。

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