プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

佐藤文男

2020-06-27 11:41:27 | 日記
1977年

「野球をやっていて本当によかった」プロ入り六年目でようやく初白星を飾った近鉄の佐藤文投手はしみじみとした口調。四十七年、テスト生で近鉄に入団。「落ちていた新聞でテスト生を募集しているのを知って夜汽車でかけつけて」合格したが、ここ五年間はもっぱらウエスタン。昨年一試合に登板、一回投げたがもちろん勝負に関係なかった。しかし、今シーズンは打者とのかけひきも知ってすでに8試合に登板。この試合は4試合目だったが「流れるカーブをブルペンで投げたら良かったので試合で使ってみた。力を抜いて投げたのが勝因ですかねえ」花の六年組(佐々木、羽田)のなかで一人遅れていた佐藤文は「これで私も仲間にはいれそうです」と遅咲きの初勝利にホッと胸をなでおろしていた。

このところ好調な近鉄打線。この日も集中打と島本の二打席連続本塁打で楽に逆転勝ちし、佐藤文はプロ入り六年目で初勝利を飾った。三回まで佐伯に6三振を奪われ、完全に抑えられていた近鉄だが、四回やや高めに球が集まった佐伯に平野以下が三連打し、さらに羽田の風にもどされる幸運な中前二塁打で同点にした。その裏、ミッチェルの本塁打でリードされると、五回にすかさず西村以下が三連打して追いつき、六回には島本が左へ勝ち越しの本塁打。五回から登板した佐藤文は、カーブとシュートで日本ハム打線をゆさぶり、見事な救援。近鉄は一分けをはさみ四連勝。

1978年

近鉄の切り札・佐藤文が大きなショックを受けた。あと二人うちとれば五つ目のセーブが転がり込んできたのに、代打長池に手痛い本塁打を見舞われて引き分けてしまった。マウンドを降りた佐藤文は無言でロッカールームへ。二十分近くもうなだれ、放心状態。この日まで防御率0.73というリーグただ一人の1点以下の成績で、トップに立っており、彼なりに自信を持っていた。そのプライドが崩れ落ちるようなショックを受けたのだから無理もない。「引き分けだって?負けたのも同じですよ。カーブがあんなところ(真ん中)へ行ってしまいよった」
コメント
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