プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

塩谷治

2014-08-30 16:17:14 | 日記
1971年

塩谷治投手(しおや おさむ)・・山田高、1㍍80、76㌔、右投右打、背番号44

・リストの強さは抜群。シュートが武器だが、体力不足が問題。
イースタン 1勝2敗
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成重春生

2014-08-30 15:42:19 | 日記
1977年

23年4月20日生
大分高田高、大昭和製紙→ロッテ
1㍍78、76㌔、右投右打
妻=加津子、長男=竜一郎
・大きな鼻の穴をプカプカさせて何事にも動じないポーカーフェース。サイドスローでどこから球が出てくるかわからないクセ球はリリーフの切り札か。後輩・田中の台頭に闘志を燃やす。
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斎藤芳明

2014-08-30 15:17:46 | 日記
1966年

阪急ブレーブスでは去る五日の新人選択会議で交渉権を獲得していた斎藤芳明投手(鹿沼農商高 十八歳 右投げ右打ち)とこのほど正式に契約した。同投手は丸尾スカウトがマークしていた投手で、大陸的なピッチングに将来を期待されている投手。「まだ十八歳ぐらいだからどのていどやれるか分からないが、将来性はある。みっちり鍛えれば期待できそうだ」と丸尾スカウトの話。この斎藤投手が阪急と正式契約したのはドラフトで獲得権を得たことしの新人第一号というわけ。
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畑口健二

2014-08-26 22:09:28 | 日記
・・畑口健二投手、横浜高、1㍍79、80㌔、左投左打、神奈川、背番号62

1966年

ダイナミックなフォームの若手有望株。三年後を別所コーチが期待。バッティングも素質十分。

1967年

いい打撃センスをしているが、まだ線が細い。二、三年後が期待されている。
イースタン・178

1970年

阪神は五日、テスト生として、二十七日から練習に参加していた前グローバル・グローバルリーグ、東京ドラゴンズ畑口健二投手(22)=1㍍78、78㌔、左投左打、横浜高出=の入団を決めた。同投手は戸沢代表と練習後、甲子園球場二階ロッカー室で会い、契約書にサインした。契約金はなしで、年棒六十万円(推定)。畑口は、四十年に大洋に入団し、四十一年には、三原監督にバッティングを見込まれて打者に転向したが、パッとせずその年退団。東京ドラゴンズに入団したが、グローバル・リーグが解散になり、「もう一度、チャンスをつかみたい」と投手として阪神のテストを受けていた。
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末永吉幸

2014-08-26 20:46:24 | 日記
1967年

鹿児島鉄道管理局の末永吉幸内野手(21)=1㍍73、69㌔、右投左打、小倉工出=は、十二日午後五時から福岡県八屋市赤熊の実家で東映・瓜生スカウト、鹿鉄・永井監督、同選手の両親立ち会いのもとに、東映と正式契約した。同選手は高校時代、通算三割二分一厘を打った好打者で、二塁、遊撃手としても軽快なフットワークに定評があった。東映では東芝・二宮についで今シーズン二人目の新入団選手。入団発表は十八日、東京・銀座西の東映本社で行う予定。
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羽場勇二

2014-08-25 19:30:30 | 日記
1965年

師走の特訓といわれた大洋の第三次特別練習が二十日打ち上げた。「若い選手は、短い期間でも能率的に指導すれば、長足の進歩があるもの。基礎的なものもあわせて非常に効果的な練習だった」と三原監督はじめ首脳部は大喜び。そんな中でされtれも、「ピッチングというものがよくわかった。教えられたことを反復しながら、来シーズン活用したい」と目を輝かしているのが、4年目を迎える羽場。羽場は東京国士舘高校から、重い速球、キレのいいカーブを買われ、大いに期待されて入団したが、ことしも一軍戦には登板できず、イースタンでも10試合で0勝2敗というパッとしない成績。毎年、いい球をもっているのに・・・といわれながら伸び悩んでいる。しかし、この特訓ではかなりの収穫があったようだ。「もともと、体の開きが早すぎる欠点があったんだけど、大分直ったと思う。ボクなりにフォームにも自信がついた。スライダーがきまりだしたし、ピッチングがいい感じになったと思っています」と明るい表情。いくらしぼられても83キロを割らなかった体力。1メートル78センチと上背にも恵まれ、天性の重い速球があるだけにピッチングのコツをおぼえた羽場の65年度の成長には楽しみがいっぱい。「64年はパッとしなかった。しかし、秋のオープン戦でも投げさせて貰ったし、少しずつ自信はついてきました。オフの間も腹筋や背筋を鍛えて来年の準備だけはしておきます」多摩川の合宿を引きあげたのが二十五日。いまは東京・府中の紅葉ヶ丘にある自宅で、毎日ランニングと腹筋運動を楽しそうに続けている。若い羽場たちには球団からオフの練習課題としてダッシュの練習、腹筋、背筋の鍛錬をすることというプリントが配られているが、そんなものは百も承知。「いわれなくても自分のために一生懸命走りますヨ」と寒風をついてきょうも基礎体力の強化に励んでいる。府中あたりだと、都心と気温が二、三度違うが、トレーニング・シャツに着替えると寒さなんか吹っ飛んでしまうそうで、真冬の寒風を突っ走る十九才の若さは頼もしい限りだ。
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山本晴三

2014-08-25 07:09:38 | 日記
1970年

南海は先の新人テスト公募者の中から、大商大・山本晴三外野手(22)=1㍍75、72㌔、右投右打、兵庫県立小野高出=の採用を決めた。入団発表は後日行われる。同選手は高校時代に捕手の経験があるので捕手として契約する。
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松谷栄司

2014-08-24 21:21:42 | 日記
1965年

「朝起きて気分が悪いと、その日はもうさっぱりダメ。ピッチングに熱は入らんし、やることがから回りばかりする。ことしはどうしてもこのムラ気を直したいです」と東映の松谷は3年目の今シーズンにやる気を見せている。「一人前になるまではクニへも帰らない」と正月も札幌市南六条の自宅へ帰らず、合宿でとうとう年越し。正月の三日からトレーニング・シャツを着て自分に鞭打っている。いまは土橋・安藤順のベテラン選手も加わって、松谷らの自主トレーニングも一段と熱を帯びてきた。午前十一時すぎに多摩川のグラウンドまで走り、霜柱がとけてグラウンドが軟弱になる三時ごろまで、じっくりランニングやダッシュ、徒手体操をくり返すのが日課。合宿へ引き揚げてからも暇を見てはバーベル上げをやって、基礎体力の養成に力を入れている。「昨年はまた減棒されましたから・・・。球団へはことしダメだったらクビにしてほしいと申し入れはしてあるんです。だからことしは背水の陣でがん張るつもりです」と、今までの気分屋を一掃して北海高の松谷といわれた当時のピッチングを取り戻したいという。「ことしは合宿を出てどこか、自分ひとりで生活できる下宿でも捜そうかと思ってるんです。自分にもきびしくして、気分を転換するにはそれが一番いいような気がして・・・」と目下思案中。昨年はライバルの田中(高松高)が開幕から起用されて、近鉄、東京戦で2勝の星を残した。イースタン18試合に投げたとはいえ、3勝3敗で一度も一軍戦で投げられなかった松谷には、それが残念でたまらないらしい。「去年は速球だってかなり自信をもって投げられた。ただ気分のムラがすぐに出てしまって。だから、ことしは自分から球団へ進退を申し入れ、首を洗って再出発してるんです」と異常なファイトを見せている。
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守岡茂樹

2014-08-24 19:57:20 | 日記
1970年

・広島がドラフト七位に指名した岡山東商・守岡茂樹外野手(17)=1㍍69、70㌔、左投左打=の入団が決まった。契約金は四百万円、推定年棒九十万円、正式発表は二十日広島市基町の球団事務所会議室で行われる。同選手は春夏の甲子園大会に三度出場、通算打率三割六分、実戦向きのタイプで、各球団のスカウトからも好打者として目をつけられていた。担当した横溝スカウトは「ウチには左打者が少ないだけに面白い存在になると思う。必ず注目される選手になります」とひそかに期待をかけている。
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高橋幸広

2014-08-24 19:49:02 | 日記
1970年

岐阜短大付・高橋幸広投手・・1㍍86、78㌔、右投右打、背番号86

・高橋は湯口(巨人)のカゲにかくれて二年からは外野手兼リリーフ投手に回っていた。今夏の甲子園大会ではホームランを打ち、打力も高く評価されている。しかし高橋自身が「湯口より速い球を投げる」といい、投手一本で再スタートすることを望んでおり、球団も投手として登録する。
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緒方修

2014-08-24 18:43:55 | 日記
1968年

緒方修投手・・厳木(きゅうらぎ)高・右投右打、1㍍77、69㌔

・ドラフト会議の第二位で指名した緒方は九州では屈指の本格派投手。巨人、西鉄、中日なども目をつけたいたもので、九州では稲尾二世と評判が高い。
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青木政美

2014-08-24 18:37:32 | 日記
1970年

広島の外木場タイプ

西鉄は十六日午後、福岡市天神二丁目の球団事務所で、ドラフト六位に指名した鹿児島、出水商・青木政美投手(18)=1㍍76、67㌔、右投右打=の入団を発表した。背番号は未定。

青木投手「大洋の平松投手のように、スピードを主体にし、力で押すピッチャーになりたい。プロにはいった以上すぐにでも一緒に出られるよう死にものぐるいでやります」
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大庭清

2014-08-24 18:23:42 | 日記
1965年

佐世保北高からの選手で四年目。武末コーチの指導でサブマリン投手を志したが、未完成のままで退団。
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安藤敏雄

2014-08-24 18:21:16 | 日記
1965年

杉町と同じ年に、芦屋高から西鉄入りした甲子園組の投手。高校時代は上手投げからの速球が身上だったが、入団直後に肩をこわした。三十九年に一勝したのが、プロ生活ただ一つの白星。ウエスタンのエースというありがたくない異名をつけられるくらい、ほとんど二軍生活で終始した。来季からは審判員として再スタートを切る予定である。
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杉町攻

2014-08-24 18:17:44 | 日記
1965年

プロ生活六年、毎年「ことしは出てくるだろう」と期待されながら、とうとう1勝もできず西鉄を去る。入団は一億五千万の札束攻勢で、西鉄が球界の耳目をそばたたせた三十五年に本格派の大型投手として、長崎南山高から西鉄に投じた。同期には左腕の井上(日大二高)がいる。三十四年夏の甲子園大会で、その力感あふれるピッチングが認められ、一千万円で西鉄に入ったが期待外れで、途中、その体を生かし、外野の控えとして使ってみたが、バッティングアイが甘く、せっかくの力を生かせなかった。三十八年から再び投手にカムバックしたが、これにも失敗、昨季から二軍落ち。野球をやめたらプロボウラーになりたいというのが本人の意向。
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