プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

松下健次

2015-05-31 22:03:33 | 日記
1961年

北九州の高校球界で速球投手として注目されていた大濠高(福岡市)の松下健次投手=右投、右打、1㍍81、70㌔=はこのほど巨人入りが決まった。同投手は今夏の福岡県予選で活躍し大濠高は準決勝に進出したが、村松投手(南海入り決定)を擁する小倉工に1-0で惜敗した。しかし速球投手として注目され、南海、阪神、中日、西鉄、阪急、巨人の六球団が松下投手獲得に名乗りを上げ、一時は地元の西鉄入りをうわさされていたが、巨人のまきかえしが成功してこのほど巨人入りが決まった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鈴木宇成

2015-05-31 20:55:28 | 日記
1960年

広島カープは、かねてから豊橋工高の鈴木宇成選手(18)に勧誘の手をさしのべていたが、同選手は二十八日早朝、特急さくらで母親キミさん(51)と来広、広島入りが内定した。鈴木選手は豊橋工高で外野手(右翼手)が正位置だったが、阪神入りの牧投手のリリーフ役をつとめ、長身左腕からくり出す速球は東海地区屈指の好投手として注目をあびていた。今夏の全国高校野球選手権大会の愛知県予選決勝戦で享栄商にやぶれたが、牧投手とともにプロ球団スカウトの注目の的であった。地元中日はもとより国鉄、阪神がほん走したが、本人のカープ入りの意思が強く、今回内定の運びとなったもの。身長1㍍80、体重70㌔、昭和十七年四月六日生まれ。左投左打。

鈴木投手の話 カープのチーム・カラーが好きなので、入ることに決めました。自分としては精進、努力して一人前のピッチャーになりたいと思っています。

広島・白石監督の話 まだ荒けずりだが、ウチには左投手がいないし、その貴重さを買った。本格派だけに、ものになれば貴重な戦力になる。

母親キミさんの話 最初から本人の好きなところを選ぶようにさせました。好きな野球をプロでやりたいというのだから。ただ、しっかりやってくれることのみ願っております。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中峰清二

2015-05-31 20:37:32 | 日記
1960年

捕手の補強に力を入れる西鉄ライオンズはこのほど興国商高の四番打者中峰清二捕手(18)の獲得にのりだし、ほとんど内定の線までこぎつけた。中峰捕手は身長1㍍76、体重69㌔、右投右打の大型選手で二年生以来チームの四番の重責をになっていた。昨年の選抜大会で甲子園に出場した経験もある。西鉄では竹井重役が交渉にのりだし同捕手の去就に決定権をもつ次兄誠喜氏(32)と去る二日話合ったがまだ最終決定までには至らなかった。だが最初予定していたノン・プロ大日本製薬と積水化学への就職はあきらめ、ほとんどプロ入りにふみきったもようである。

中峰誠喜さんの話 西鉄の竹井さんと会ったことは事実だ。しかしまだどこへいくかはぜんぜん白紙といっていい。もちろん大事な就職のことだから慎重にやりたいと思う。就職に関しては距離の問題は考えない。

興国商高村井監督の話 中峰君の就職のことは本人まかせでこちらはタッチしていない。だからもし決定すれば連絡してくると思う。西鉄入りの話はさきに一度きいたが、その後のことはしらない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

初村義治

2015-05-31 19:30:39 | 日記
1959年

西鉄ライオンズではこのほど柳川商高の初村義治外野手(17)の入団を決定した。同選手は身長一・七六㍍、体重七〇㌔、夏の福岡県予選では10打数5安打の健棒を振い大物選手として注目されていた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

釜井敏晴

2015-05-31 19:11:18 | 日記
1960年

今夏の全国高校野球大会三岐代表決定戦で岐阜商に敗退したものの球威を買われた上野商工の釜井敏晴投手(17)=三重県上野市玄番町=はこのほど中日入りが決定した。なお正式契約の発表は名古屋市中区西川端町の中日ドラゴンズ球団事務所で行われる。同選手は身長1㍍74、体重70㌔という恵まれた体格の持ち主で、とくに左腕から繰り出す速球、シュートに威力を秘めている。その球威を買われ、このほど中日入りが内定したわけだが、巨人をはじめ各球団、さらにノン・プロ球界からも熱心な勧誘を受けたもの。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

櫛笥厚正

2015-05-31 18:53:26 | 日記
1960年

中日ドラゴンズでは九日の正午中区西川端町のドラゴンズ事務所で埼玉県川越工の櫛笥(くしげ)厚正投手(18)と契約した。同投手は身長181㌢、体重75㌔の恵まれた体格の持ち主、左投左打で速球とシュートが武器、打者としても四番の重責を果たしていた。なお投手に転向したのは三年生からではあるが、16勝4敗の好成績を残している。

櫛笥投手の話 東映、国鉄からも誘いがあったが、ボクは中日のチーム・カラーが好きなので、中日にお世話になることを決めました。高校ではスピード・ボールだけで勝負できたが、プロではスピードだけでは通用しないので、これからカーブを研究し、期待にそいたいと思っています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

上杉嘉章

2015-05-31 18:39:44 | 日記
1961年

大洋ホエールズではこのほど高知県安芸高の上杉嘉章投手(18)獲得に成功。甲子園の全国高校野球大会終了後、正式に入団の契約を行なうことになった。上杉投手は左投左打、1㍍80、78㌔の体格に恵まれ、まっこうから投げおろす速球は高知県下の対外試合では一試合平均14三振を奪っていた。大洋のほか巨人、南海、近鉄からも誘いを受けていた。

大洋・森代表の話 体もあるし、鍛え方によっては伸びる投手と報告を受けている。入団の正式発表は甲子園大会が終わってからにしようと考えている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中山実

2015-05-31 18:38:53 | 日記
1961年

新人補強に意欲をみせる西鉄ライオンズではこのほど佐賀商高の中山実捕手(18)をも手中におさめた模様である。中山選手は身長176㌢、体重71㌔という恵まれた体の持ち主で攻守そろった好捕手であり、佐賀県№1の呼び声が高い。中山捕手に目をつけた西鉄では佐賀商の先輩である西鉄の鬼崎課長が率先して熱心に佐賀まいりを行い、このほど西鉄入りに踏み切った模様である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山本勲

2015-05-31 18:09:48 | 日記
1961年

東映フライヤーズではこのほど博多工高の山本勲選手(18)=右投右打=を獲得した。同選手は身長1㍍77、体重73㌔の恵まれた体格で、一年生から正選手となり、常に三割台をマーク、7本塁打をはなつなど超高校級スラッガー。八月下旬には一週間ほど大洋の練習に参加するなど、九分九厘まで大洋入りが濃厚だっただけに、これを東映入りに踏み切らせた瓜生スカウトの努力がこの劣勢をみごとにひっくり返した。大洋旋風に吹きまくられている今季のストーブ・リーグ中にあって、あざやかな東映の逆転だった。なお山本選手は投手、内外野手いずれもこなせる万能選手である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

下川満康

2015-05-31 18:03:31 | 日記
1961年

西鉄ライオンズではこのほど福岡県大川高のエース下川満康(18)=右投右打=を獲得した。下川投手は身長1㍍81、体重72㌔という恵まれた体格の持ち主で、真っ向からの剛速球と、鋭く落ちるアウドロに威力をもつ本格派投手である。福岡県南部予選では準決勝(三回戦)でシード校大牟田南と対戦し、善戦空しく3-0で敗れたが、福岡県南部ではナンバー1投手との呼び声が高かった。西鉄は早くからこの下川投手の非凡な腕に目をつけ、東映との激しい争奪戦を展開していたものだが、熱心な勧誘と地元の利で獲得に成功したものである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

坪井猛

2015-05-31 17:56:58 | 日記
1961年

中京商の林と並んで愛知県下で屈指の好投手として定評のあった名古屋電気工の坪井猛投手(17)はこのほど広島カープに入団が決まった。同投手は身長1㍍73、体重64㌔右投右打で、今春の県大会では中京商から三振10個を奪っている。夏の県予選では四回戦で豊田西に惜敗したが、切れのいい大きなドロップは林にまさる球威の持ち主である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岡田幸喜

2015-05-31 17:33:41 | 日記
1961年

東映フライヤーズでは、このほど熊本鎮西高の岡田幸喜選手(19)=右投、右打=を獲得したもようである。岡田選手は身長1㍍76、体重70㌔という恵まれた体格の持ち主。東映をはじめ阪急、大洋、阪神などの球団が勧誘を行っていた。リスト、腰のきいた豪快なバッティングは、そのダイナミックな三塁守備ぶりとあいまって、九州高校球界ナンバー・ワン三塁手との呼び声が高い。さらに熊本の長島との異名をもち、岡田の前に走者をおくなとさえいわれていたほどである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

藤田正一

2015-05-24 20:36:06 | 日記
1960年

近鉄バファローでは立大中退の藤田正一選手(19)=右投右打=と正式契約を完了した旨二十一日午後三時から大阪阿倍野の同球団事務所で水江球団社長から発表した。なお背番号は39。
藤田選手は身長1㍍78、体重78㌔の大型一塁手、高松商から三十四年春立大に進学したがこのほど家庭の事情で退学、近鉄入りとなったもの。高校時代三十一、三十二年の選抜大会に出場、三十三年夏の甲子園大会、同年秋の国体にはチームの中心打者として活躍、国体は優勝。高校時代の通算打率は三割強。本塁打7本とうから大型選手としてその打撃は期待される。

藤田選手の話 この十月に学校へ正式に退学届けを出しました。プロ野球は5試合ほど見ました。そこで感じたことはスピードの差です。だから僕もこれから練習でプレーにスピードをつけたいと思っています。これから合宿所に入れてもらいますがとにかく皆さんの期待にこたえるようがんばります。

千葉監督の話 大学時代スター選手でなかったからといってそんなことを気にせず、すべてをご破算にして一から出発してもらいたい。体があるんだから大型内野手として期待している。昨日の練習のフォームはよかった。なかなか勉強していると思った。バッティングは大きなクセがない。まだ細部を勉強してもらわねばならないのだが全体的にはソツのないバッターだ。ちょっと直したところを早くもマスターしているあたり、飲み込みが早いので楽しみだ。二割八分を目標にしてがんばってほしい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

槙尾達男

2015-05-24 20:12:59 | 日記
1957年

柳井商工の槙尾選手は在学中の通算打率三割六分二厘、今夏の対ハワイ高校選抜チームにも県下選抜軍の一員として出場している。早くから大洋をはじめプロ球団から勧誘もあったが、阪神二軍には先輩の新田法昭内野手もいるので阪神入りとなった。昭和十四年九月七日生まれ、五尺八寸、二十貫、右投右打。

槙尾選手の話 一番最初に話のあったのは大洋ですが、いろいろ相談して先輩もいることだし阪神入りを決意しました。十日ごろに上阪正式に契約したい。柳井高の遠井君も阪神に入るそうなので、いままではライバルだったが今後はお互いに励まし合ってやりたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

太田枝雄

2015-05-24 20:06:06 | 日記
1957年

阪急ブレーブスは十四日鳥取県境高の太田枝雄投手(18)と正式契約したと発表した。同投手は右投右打、二十貫、速球とシュートが武器である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする