プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

羽村起夫

2023-09-30 23:20:31 | 日記
1964年
平均身長1㍍74、体重69㌔と大型選手ぞろいなのがこのチームの特色の一つだが、投手力が幾分ひよわい。投手陣は1㍍79、82㌔、横の変化を頼む下手投げの技巧派戸田、1㍍82、74㌔、速球、シュートが武器の速球派羽村の二本立て。どちらを先発させてもさしつかえないが、たがいにたより合うことが少なくない。

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森光正吉

2023-09-30 23:16:15 | 日記
1958年
土性骨のしっかりした投手。172㌢、70㌔の体は投手として上背にいささか不足だが幅のある肩、負けずぎらいな性格はタイガースぴったり。入団についての抱負も他の高校生と違っている。「生きるため、生活するためにこのきびしい勝負の世界を選んだ。もちろん野球は好きな道だが、自分の力がどこまで通用するかは未知だ。情け無用、実力のあるものもにが勝利者というプロの世界でだれにも負けない闘志と練習で力いっぱいやる」と語っている。生活のためと割り切っているのも立派だ。バク然とした気持や、あこがれ、あるいは取巻きにあおられてプロ入りする新人の多いなかで、彼のシンの強さを知るにふさわしいことばだ。小松(巨人)の去った高知商のマウンドを守った二年生の秋にはまだ技巧派といった投手だった彼が、厳しい練習による鍛錬でスピードをつけて力の投手に変わり、さらに落ちるタマをマスターしたことによって完成の城に近づいた。下手気味からの外角への速球、内角に食い込むシュートと落ちる球をこれに配して甲子園でも効果をあげたことは記憶に新しい。だからといってこの森光がプロの世界でそのまま通用すると考えるのは早計だ。下手投げ投手としてまだ腰の回転がスムーズでないこともその一つだし、いまのスピードだけではまだまだ物たりない。スライダーを覚えることも急務だろう。大友バリのピッチングだから、こうした先輩の長所をどしどし取り入れていくべき。南国土佐産だけに夏場に強いことは投手として条件がよい。土佐っぽい情熱と激しい闘志で精進すればタイガースとしては特異な下手投投手として成功するに違いない。(右投げ、右打ち、17歳)

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深代芳史

2023-09-26 12:42:41 | 日記
1964年
第一試合、沼田のスタンドに家族連れで観戦する姿があった。沼田深代投手の一家で父親の沼田市議忠さん、母親のはなさんと妹の利根商二年智佳江さん、川田中三年恵美子さんの四人家族総出の観戦は22日の2回戦高商を相手にして以来二度目。忠さんが県社会人野球の利根、沼田支部長をやってる関係で、スタンドには連盟の人たちもいっぱい。忠さんは「名もない沼田が代表決定戦まで持ち込んだのだから上等です。大差で負けたとはいえ芳史もよく投げたし、ナイン一同よくがんばった。桐生は立派なチームです」といっていた。

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井上勝巳

2023-09-26 12:29:11 | 日記
1960年
十六日、対南海戦の試合前、練習する大毎選手にまじって、眼鏡をかけた背番号「30」の見なれぬ選手が、練習にはげんでいた。兵庫育英高を中退して、大毎に入団した井上勝巳投手である。野口コーチの話によると、「すぐ戦力にプラスするとは思えないが、左の少ない大毎で小野、荒巻、三平に次ぐ投手として育てたい。若いし、体もあるし、期待の持てる投手だ」とのこと。「大毎が好きだから入りました。まだ何も分かりません。得意とする球ですか、別にありません。また、あったとしても、プロの選手に通じるはずもありません。たあガムシャラに練習するだけです。小野さん、荒巻さんを目標に頑張ります」と、記者の質問に、学生服の彼は、直立不動の姿勢で答えていた。


1961年


ことし育英高から入った井上勝巳投手。野口ピッチング・コーチは「球速の速いことはナイターにもってこいだ。スピードの点だけなら小野より速い。しかしコントロールと、打者のかけ引きはまだまだ、だから、夏場ごろから一軍に上がるようにしたいと思っている。しかし、一軍からSOSがくれば、いつでも送れるよ。井上だけでなく、長谷川もいいしね。だが一軍にやってもバッティング・ピッチャーや、ベンチばかりにおかれては、調子が狂うから、この辺がむつかしいよ。ぼくの考えからすれば、もっと練習させ、勉強してからやらせたい」と、眼鏡の奥の眼を輝かせながら語っていた。

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白滝政孝

2023-09-26 11:28:43 | 日記
1971年


中日は先のドラフト会議で第三位に指名、獲得に成功した元新日鉄広畑の強打者白滝政孝外野手(23)=1㍍76、73㌔、右投げ右打ち=と二十一日午後三時、名古屋市中区栄の球団事務所で正式契約、同四時から同事務所で本人と父親安太郎さん(56)兄登さん(31)が同席、中川球団担当から入団発表が行われた。関大時代からシュアなバッターとして知られ、ことに今夏の都市対抗で新日鉄広畑優勝の立て役者として投の三沢、打の佐々木(近鉄第一位指名)、白滝と一躍脚光を浴びた。チャンスに強いのが彼の身上。新日鉄広畑の高田部長は「予選の決勝で鐘化を3-1で破ったのは白滝の2ランホーマーによるもの。また、後楽園で第一戦の三菱重工を破ったのも彼がいいところで2ランを放ったからだ。とにかくここという大事な場面でよく打ってくれた」という。ノンプロ一年間の成績は136打数39安打、打率・289、3ホーマー、19打点。これを見ても打点が多いことで勝負強さがわかる。


一見、色白でおとなしそうに見えるが、シンはなかなかのファイター。どんなタイプの選手になりたいかーの問いに「巨人の長島さんのようなガッツのある選手」ときっぱり。外野陣は多いがーの質問には「とにかくはいったからにはみんなに負けられない。第一線に出られるように努力する」と答えた。まじめ人間で、高校時代(郡山高)から一日としてバットの素振りを欠かしたことがないという。それを物語るように、両手のヒラにはマメがカチカチに固まっている。入団発表の直後、三沢投手が姿を見せた。三沢と白滝は新日鉄広畑でつい先日まで同じカマのメシを食べた仲。しかし、一足先に入団の三沢は落ち着いたもの、緊張気味の白滝選手を暖かくかばい「しっかりやろう」と握手をかわした。三沢投手の白滝評は「いいところでよく打ちましたが、それ以上にコンスタントに打っていたという印象があります」と、巧打者であることを説明していた。中日外野陣は目下十一人と数多いが、定位置が決まっているのはレフト谷沢だけ。それだけに白滝の努力いかんでいきなり第一線出場のチャンスはある。与那嶺監督は「ウチには広島の国貞のようにしぶとい、いやらしい打者がいない。白滝がそういうバッターなら申し分ない」と楽しみにしていた。中川球団担当は「ファイトをむき出しにしたしぶといバッターになってくれることを望んでいる」といった。たしかに白滝はそうなってほしい選手だ。正月五日から三沢投手と奈良でトレーニングを開始。十日には合宿入りするという。努力家白滝の加入が、中日の外野陣にどのような新風を吹き込むか楽しみだ。背番号は36。

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星野秀孝

2023-09-26 09:44:21 | 日記
1967年


星野は軟式出身、177㌢、63㌔、左投げ左打ち。
星野投手は異色の軟式出身。今夏まで軟式でしか投げたことがなかったが、「本格派でフォームにムリがなくタマが速い。硬式に転向してもいける」と、素質を買ってドラフト会議にリストアップ、入団が決まったもの。人一倍からだは柔らかく、運動神経も発達しているという。将来が楽しみだ。


星野投手の話 高校では軟式の大会しか経験がない。硬式のボールを握るようになってから三ヶ月くらいしかたってない。しかし、一生懸命がんばります。

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相川進

2023-09-26 09:37:44 | 日記
1965年
相川進内野手(17)=佼成学園中退、1㍍81、75㌔=の正式入団が決まった。一月下旬の自主トレから練習に参加しテストを受けていたが、「体はいいし、鍛え上げたらおもしろい存在になりそうだ」という首脳部の意向で採用が決まったもの。この新人、父親がアメリカ人という混血児で、その風ぼうもむしろ外人に似ている。目の色も青い。本職は遊撃手で、なかなか粘り強い性格の持ち主。


1966年


このところ、ウエスタン・リーグでバカスカと本塁打を打ちまくって、注目を浴びている打者がいる。その名は相川進二塁手。すでに最近、ウエスタンの公式戦で四試合連続本塁打をカッとばし、相手チームの投手たちから「いいバッターだ」とこわがられている。相川は、立正佼成高を中退して、一昨年養成選手のような形で入団。キャンプでテストした結果、採用されたが、ある幹部は「将来性はある。ひょっとしたら大型選手になるかもしれない」と見込んだのが図に当り、このところ体格も見ちがえるように大きく、たくましくなった。この相川、あまり知られていないが、菱川と同じで日米の血が流れている混血選手。生活態度も、いたってまじめそのもので、首脳陣もその成長ぶりを楽しみにしている。


1970年


「アイツ、どうなってんの?突然変異とはまさしくアレだ」ナインも、担当記者団も目をむいたのが相川進三塁手(近鉄)の変わりよう。中日に四年間いたが、芽が出ず、昨年放出されて近鉄に拾われた。だが、この大男、戦力になるにはほど遠かった。ところが、ことし三塁手に予定していた松原が打撃はともかく守備がボロボロ。「気長に育てます」といっていた三原監督もさすがにシビレをきらしたのか、オープン戦中盤になって相川と交代させた。これも「変わりばえしないねえ」という状態。ところが、22日からの対巨人戦あたりから、突如相川が別人になった。快打連発、それも「ONそこのけの強烈なライナーで本塁打するンだから」という物凄さ。しかも、不得意の守備でも「長嶋ばりのダッシュで超ファインプレー」を見せる。こんな相川を見て三原監督がニンマリする。相川進、22歳、白系ロシア人を父にもつ混血である。「父はボクが小さいときに死んだので顔も覚えていません」と表情を曇らせる相川だが、野球の話になると青い目が輝く。「ええ、長嶋さんのあの思いきりのいいダッシュに魅せられてしまったのです。で、ボクもマネして思い切ってダッシュしたらうまくいって…打撃も思いきって振ってみたらよく当るので…」やっぱり天下の長嶋!近鉄にまで幸運の星を運び込んだようである。

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寺田吉孝

2023-09-25 20:59:44 | 日記
1984年
シーズン・オフに厳しい粛清の嵐が吹く。今オフも、161人中30人が何らかの事情でユニホームを脱いだ。そのひとり南海二軍外野守備コーチだった寺田吉孝氏(31)が語る。「解任を言い渡されたのは、今月の9日です。前日、球団事務所に来いと言われたときに、うすうす感じましたけどね。プロ入りして14年、コーチに就任して2年ですが、毎年、そうなったときの覚悟はしていました。残れないかなと思う反面、大丈夫じゃないか、という気もしてたんです。だから、他のコーチらと語らって、秋季練習の計画を12月20日すぎまで組み立てていたほどです。今後のことですか?いまはまだ分かりません。他の球団からもお話はありませんね。さしあたって、福岡の実家に帰るつもりです。引越しが12月6日に決まったんで、いま、その準備で忙しいんですよ。郷里では、母がタバコ屋をやっているんです。私も、そこで職を探すつもりです」しばらく野球のことは忘れますー寺田氏は、第二の人生に賭ける決意を、こう表現してくれた。

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中村武敏

2023-09-25 20:50:19 | 日記
1978年
中日の捕手に、中村武敏がいたのをおぼえているファンも多いだろう。彼はことしヤクルトから日本ハムへトレードにでた中村国昭の兄さんである。豊田駅前で喫茶店「きんぎょ」を経営している。

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山本格也

2023-09-25 20:42:55 | 日記
1956年
毎日球団は十一日山本格也捕手(22)の入団を発表した。同捕手は五尺九寸、二十一貫、平商高から仙鉄に入り、昨秋米子で行われた鉄道大会に盛岡の補強選手として優勝に一役買い最優秀捕手に選ばれた好選手である。

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松本照夫

2023-09-22 12:51:26 | 日記
1964年
阪急ブレーブスは三十一日立大松本照夫投手(20)=栃高出=の新入団を発表した。松本投手は慶大の渡辺、法大の木原とともに東京六大学の三羽烏といわれ昨秋のリーグ戦では四試合連続完投するなど大活躍した。不品行を理由にさる十三日退部させられたが、プロで野球を続ける決心をし、二十七日退学、阪急入りに踏み切った。右投げ、右打ち。178㌢、70㌔。背番号17。


松本投手の話 大学だけは卒業するように親たちもまた自分も考えていたが、阪急から誘われて気持ちが変わった。どうせやるならプロ野球でと思ったわけだ。阪急には山口、森本君ら立大の同級生もいるし心強い。退部させられたいままでのことは忘れてがんばります。

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柳原隆弘

2023-09-22 12:22:51 | 日記
1977年
ヤクルトに1位指名された大商大の柳原隆弘外野手(22)=175㌢、76㌔、右投げ右打ち、智弁学園出=二十二日午後、東大阪御厨(みくりや)の大商大での記者会見で「プロ野球でやってみたい」と、早くもプロ入りを表明した。この日のドラフト会議指名選手の入団表明第一号である。同外野手は「以前からプロでやってみたいと思っていた。希望のセ・リーグでもあり、ヤクルトはこれから伸びるチームだと思う。もっとも1位指名とは予想しなかったが…」と語り、気持ちはプロ入りにすっかり固まっている。関西六大学リーグきってのスラッガーであり、今秋のリーグ戦では打率4割3分2厘で初の首位打者となるなど大商大優勝に貢献した。吉野郡出身。


高嶋監督の話 柳原君は大淀中から智弁に入学し、四十七年春には近畿大会で優勝するなど、三番打者として活躍した。大学で首位打者になれたのは、本人の努力のたまものだと思う。プロに行くなら、早い機会に活躍してもらいたい。


ヤクルトがドラフト1位で指名した大商大・柳原隆弘外野手(22)(1㍍76、78㌔、右打ち)の入団が一日決まった。ヤクルトの小山スカウト部長、片岡スカウトが同日午後三時すぎ、大阪府東大阪市御厨の大商大をたずね、本人に同大学の村上監督、兄の造園業恵司さん(36)をまじえ、二度目の交渉を行った。ヤクルト側は、初めて金銭面の条件を提示した。この条件に対し、柳原側は約一時間検討したあと快諾、仮契約書にサインした。正式発表は今月中旬に行われる。

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西本和美

2023-09-22 11:50:47 | 日記
1987年


プロ野球選手には珍しい国立大学(筑波大)出身の西本和美(巨人ー日本ハム)は、教員資格を利用して来年教壇にチャレンジするという。

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小川清一

2023-09-22 11:40:42 | 日記
1970年


小川清一君の話
いきなり阪神に指名されて驚いた。すでに実業団(住金和歌山)に就職が決まっているし、いまさらプロに行く気持ちはない。プロに入ってもやれる自信はないし、実業団チームで力いっぱいやりたいだけ。
小川清一…ことしの夏の甲子園で準々決勝、国体決勝進出の立て役者になった。コントロールは抜群で、変化球の切れもよい。178㌢、72㌔。右投げ、右打ち。


プロ野球阪神に指定されていた小川清一投手(18)=大商=の阪神入りが三十日、内定した。二十九日に続いて村山阪神監督、河西スカウトが大商を訪れ、校長室で高木校長、小川投手の両親清水さん、アヤ子さん、山本野球部長、小川投手をまじえ、話し合った結果、小川投手は村山監督の入団要請を内諾した。村山監督は「小川投手は素質十分だ。技術もいいが、クセのないピッチングがなによりいい。阪神も私もはじめ、若生も年齢的に限界にきているし、若手の養成をするためにも、小川投手の入団はうれしい」と話していた。正式入団は、小川投手の住友金属入りが決まっているため、住友金属との話し合いが終わってから決める。小川投手は夏の甲子園で準々決勝進出、国体準優勝の原動力となった。178㌢、72㌔。右投げ、右打ち。


小川投手の話 自分では実業団で野球をするつもりだったが、村山監督と会い、いろいろと話し合った結果、プロに進む気持ちになった。プロに入る以上、全力を尽くしてやるつもりだ。住友金属とはこれから話し合う。

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井置博文

2023-09-21 21:55:13 | 日記
1961年
阪急ブレーブス入りを決めていた飾磨高校の井置博文投手(18)は、二十四日午後二時三十分から大坂の事務所で正式契約をした。同投手は今年29勝6敗の投手成績を収める一方、打っても打率四割三分、本塁打16本を数え、三年間を通じて25ホーマーを記録しているスラッガー。兵庫県下でも屈指の強打者として注目されていた。身長179㌢、体重79㌔、右投げ、右打ち。

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