プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

今西和男

2014-07-29 21:05:39 | 日記
1972年

・・今西和男一塁手

小さいときから真っ先におみこしをかついだり、お祭り騒ぎには目がなかったという「おっちょこちょいだから、こんなときはいいんでしょうかね。フフフ・・・」いかにもなれない手つきで最優秀選手賞のカップをかかえて引き揚げたロッカー。腹がでっぱり、ジュニアとはピッタリしない二十六歳の顔は、テレていた。四回表、一死満塁でたたき出した決勝の中前2点タイムリー。相手は、巨人を押えていまや売り出し中の大洋・竹内だった。「負けられますかいという気持ちで打席に立ったのがよかったのでしょう。でも、ヒット一本でこんなものもらっていいのかな。前半を押えた三沢君(中日)に申しわけない」とおもはゆそうに笑った。負けられますかいが、この男のトレードマークだという。七年間のノンプロ(日本熱学)暮らし。昨年の都市対抗に電電近畿から出場して、優秀選手に選ばれてからすっかり自信をもった。ひそかにプロに勧誘されると予想を立てていたが、ドラフトもれ。やっとドラフト外で入団したが、入団発表の記者会見が終わったとき「オレより力のないヤツがたくさんドラフトではいっている。連中に負けられますか」と球団関係者にいった。ウエスタン・リーグでは打率二割九分五厘、1ホーマー(二十日現在)だが、パワーのあるバッティングは入団してすぐ首脳陣に目をつけられた。望月、中村勝らとともに、一軍の安芸キャンプにも参加した。キャンプ地から途中で帰らされたときのセリフも「このまま引っ込んでいられますかいな。トシも若くはないし、生活もかかっている。雑草のように生き抜いてやりまっせ」だった。神戸市兵庫区の自宅には、三年前に一緒になった陽子夫人(26)と博子ちゃん(二つ)清晃ちゃん(一つ)が待っている。試合後、ヒーローになった朗報を電話で知らせるかと思ったら、いやに落ち着きはらっていた。「抜き打ちにカップをみせて驚かせてやります。これにビールを入れて飲もうかな?いや、待てよ。やっぱりもったいない。デンと飾って飲むか」入団当時、81㌔もあった体重は75㌔に減った。生活派としては春先から懸命に腹筋運動を重ねてきた成果だという。だが、このところ、またおなかが出てきたのが悩み。「きょうをきっかけに早く一軍に認められるようにならんと・・。もうひとふんばり腹筋運動をやらなくちゃね」
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高山勲

2014-07-29 20:11:06 | 日記
1965年

プロ入り三年目の高山投手が、八日のサンケイ14回戦(神宮球場)の九回から先発の高橋をリリーフ、一軍マウンドに初めて上がった。高山(宇都宮学園)は高校時代に故加藤投手(作新学院ー中日)と、栃木県で投げ合った好投手だった。ところが昨年暮れ、伸び悩みを理由に球団からホエールズの運転手になるよういわれた。高山はこのとき「あと一年でいいから野球をやらせてください。お願いします」と申し出て奮起し、今シーズンはイースタン・リーグで6勝3敗の好成績。この著しい進境でサンケイ戦にデビュー。九回サンケイ打線の連打を浴びて、シャット・アウトはならないかに思われたが。後続をうちとって無理に逃げ切り、その責を立派に果たした。高山は試合後、「野球を続けさせてもらったかいがありました。初登板を機会にこれからはがん張ります」と意欲満々。高山のピッチングに以前から注目していた秋山は、「角度のあるカーブを投げるので、度胸さえつけば一軍で立派にやれると思う。球威はあるのだから要はマウンド度胸だ」とこれからの高山に大きな期待を寄せていた。
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佐々木剛

2014-07-27 20:09:04 | 日記

1967年

佐々木剛投手・・釜石北高、1㍍75、77㌔、右投右打、宮城県、合宿

・テストに合格。ノンプロ岩手トヨタをふりきって入団した。上手からの本格派。

1969年

・フォームは理想的だが、小さくまとまっていてすごみがない。

68年イースタン 0勝4敗

1970年

・別所監督著ピッチング教室のモデル。まとまりすぎてすごみがないのが一軍への壁。

69年イースタン 8勝11敗


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副島末男

2014-07-27 19:57:12 | 日記
1969年

副島末男投手・・塩田工、1㍍81、77㌔、右投右打、佐賀 背番号66

・まだストレート一本。「とにかく時間をかけて・・」というのが首脳陣の考え。これからの素材。
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竹口幸紀

2014-07-27 19:43:08 | 日記
1973年

竹口幸紀投手(18)=5位指名、北海高、1㍍83、75㌔、右投右打=上手から投げおろす本格派。落差の大きなドロップが武器で、一試合平均10奪三振をマーク。将来性を買われた。
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池尻勉

2014-07-27 19:36:32 | 日記
1966年

島根農大付属・池尻君が合格

南海は二十二日正午から大阪・中モズ球場で捕手の採用テストを行った。試験官は松井、杉浦、木村の三コーチと石川、山下の両スカウト。ポジションを捕手に限定したため応募者は十五人。スローイング、バッティングの二課目で合格点をとったのは島根農大付属高の池尻勉捕手(18)=1㍍68、72㌔、右投右打=で入団が内定した。

池尻勉捕手(18)・・島根農大付属農林高、1㍍68、72㌔、右投右打、島根

・「退屈しのぎに受けた」テストで採用決定。野村二世と首脳陣の評判はいい。
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斎藤芳明

2014-07-27 17:23:49 | 日記
1967年

・・・斎藤芳明投手

・斎藤は「剛球投手で速球が武器」(丸尾スカウト)の本格派。今夏、栃木県の最優秀選手に選ばれている。バッティングもよく今シーズンは四割台をマークした。
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一ノ関英徳

2014-07-27 16:48:24 | 日記
1970年

一ノ関英徳投手(18)・・1㍍76、74㌔、左投左打、秋田、五城目高 背番号75

・典型的な荒れ球左腕投手。18四死球、13奪三振の記録保持者。

1971年

ヤクルトの一ノ関英徳投手(19)は三日午後、東京・中央区日本橋の球団事務所に徳永代表をたずね、ヘルニアの悪化を理由に退団を申し入れ、受理された。球団では任意引退選手の扱いをとる。同選手は四十五年、秋田県五城目高から入団、一軍の実績のないまま病気にとりつかれてしまった。退団後は郷里で農業をやる。
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渋谷洋一

2014-07-27 16:25:49 | 日記
1967年

・・・渋谷洋一外野手

・渋谷は選択もれで阪急が獲得した選手でベース一周14秒台という俊足の持ち主。ことし春の県大会では三打席連続ホーマーを記録するなどバッティングもいい。
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高松秀恒

2014-07-27 15:05:17 | 日記
1972年

高松秀恒(たかまつ ひでつぐ)投手・・小田原城東、1㍍83、78㌔、右投右打、神奈川 背番号76

・喫茶店のボーイを三年間していたという変わりダネ。テスト採用。

1973年

大洋・高松投手は七日、球団事務所をたずねて退団届を提出した。四十六年秋のテストで入団したが、二シーズン、イースタン・リーグでも登板のチャンスがなく、バッティングピッチャーのままだった。二歳の子供もいて、親子三人の生活がかかっているだけに、再びもとの職業(コック)に戻って堅実な生活設計を立てるそうだ。
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藤井信行

2014-07-27 14:29:06 | 日記
1970年

藤井信行選手(20)・・外野 徳山商工、1㍍82、80㌔、右投右打、山口

・ノンプロ時代、三年間で三割四分、13ホーマーをマークしている。体格がよく将来が楽しみ。
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政山恵一

2014-07-27 13:52:54 | 日記
1968年

政山恵一投手(24)・・藤沢商、神奈川大、1㍍77、75㌔、右投右打、大阪 背番号70

・テスト入団。米田(阪急)に似た本格派だが、手首にたよりすぎるきらいがある。
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望月彦男

2014-07-27 13:25:55 | 日記
1971年

望月彦男投手(28)=1㍍77、74㌔、左投左打

・同選手は三十六年東海一高から静甲いすゞに入社、同時に肩の強さを買われて一塁から投手に転向した。三十九年、電気化学にかわり、八年間在籍して公式戦百五十試合に登板、防御率1・59、奪三振463。重い速球と切れのよいカーブを武器にして、エースとして活躍した。望月は、ことしの都市対抗後、電気化学野球部が解散になると同時に退社していたが、西鉄は即戦力として指名。城島スカウトが交渉に当たっていた。
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大西忠

2014-07-27 11:53:35 | 日記
大西忠選手(19)・・・外野手 1㍍75、73㌔、右投右打 土浦日大高 茨城

1971年

・高須とクリーンアップを打った長距離打者。持ち前の負けん気がどこまで続くか。

・46年入団。同10月6日の対西鉄26回戦に代打で初出場、見ごと安打を放った。これからが期待できる選手。今年の目標は一軍に上がるための地盤を固めること。今一番してみたいことはシベリアやアフリカへの一人旅。
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今増伸一

2014-07-27 11:08:00 | 日記
1975年

今増伸一選手(19)・・・捕手 1㍍75、68㌔、右投右打 兵庫育英高 兵庫 背番号54

・高校時代は柔道の選手という変わり種。課題は多いが根性で解決していく。
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