伊東良徳の超乱読読書日記

雑食・雑読宣言:専門書からHな小説まで、手当たり次第。目標は年間300冊。2022年に続き2023年も目標達成!

極みの京都

2006-11-30 09:13:54 | 趣味の本・暇つぶし本
 京都人による京都観光ガイド。
 前半は、京都観光検定試験や雑誌の京都特集の上っ面・半可通の知識を批判して、京都人の心を語っています。そのあたりは、私も学生時代を京都で過ごしましたので、半分くらいは、まあそうだねえと思いながら読みました。
 でも、後半は京都の名店ガイド・グルメ記事です。全体としては少し落ち着き気味の京都観光ガイドというところですね。
 私としては、京都については基本的に二十数年前の記憶ですので、地名はなつかしく、店の名前はわからずというところが多くありました。


柏井壽 光文社新書 2006年10月20日発行
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きみのいもうと

2006-11-28 07:43:41 | 小説
 かつて貧乏人で今は有閑マダムに囲われている主人公アルマンが、貧乏人の友人リュシアンとの再会にとまどいながらその妹マルグリットの部屋を訪れキスしたことから、有閑マダムに追い出され貧乏人の世界に戻るというようなストーリーの小説。

 アルマンの貧乏人への同情・友情と違和感・嫌悪の間を振れる思い。現在の不自由ない生活にどこか居心地の悪さ(むしろ据わりの悪さというか)、自分がそこにいることがふさわしくない気持ちを感じつつ、しかしそれを失うことへの恐れを持つアルマンのアンビバレントな思い。この小説は、そうしたアルマンの心理劇が主要なテーマと、私は読みました。
 ストーリーそのものや、リュシアンの怒りやマルグリットのおののき、そして有閑マダムジャンヌの反応などは、アルマンの揺れ/振れる思いを導く装置・配置に過ぎないようにも見えます。
 ストーリー的には、ふとしたいたずら心から、あるいは同情心から、幸せな生活が崩壊したアルマンの悲劇と読めますが、アルマン自身は、貧乏生活への逆戻りに、どこかそれでいいんだとホッとしています。
 それはそれで哀しさを感じさせますが、でも貧乏生活を脱していたアルマンが友人だった貧乏人への違和感・嫌悪・いらだちを示す前半にもやはり哀しみがあり、そのままには終われないところでした。貧乏人への共感の視線の先にはこういう結末がふさわしかったのでしょう。でも、やはりやるせなさが残りますね。


原題:Armand
エマニュエル・ボーヴ 訳:渋谷豊
白水社 2006年11月10日発行 (原書は1927年)
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永井荷風という生き方

2006-11-27 22:14:30 | 人文・社会科学系
 永井荷風の日記(「断腸亭日乗」等)を中心に永井荷風の人生や当時の風俗を紹介した本。
 昔の文体や漢語が苦手なもので永井荷風の作品は読んだことがないのですが、新書で軽めにまとめられているのでわりと手軽に読めました。

 反骨、人嫌い、女好きの永井荷風の人柄が偲ばれます。
 日記で反戦を書いていたのはともかく、金の国勢調査が来て国に取られるのなら捨ててしまえと金の口金付きのキセルを捨てに行った話(207頁)とか、かつてわいせつとして発禁になった永井荷風の「腕くらべ」が出征兵士の士気高揚のために贈るとかで5000部増刷になった話(212頁)とか、けっこう笑えます。
 人嫌いの荷風ですが、全財産入りのカバンを落として(それは戻ってきたのですが)その報道を見て、そんなにお金があるのなら少しお恵みをという手紙やはがきが全国から舞い込んで荷風の人嫌いがひどくなったという話(175頁)は、さすがに同情します。いつの時代にもそういう信じられないほど厚かましい人っているんですね。
 でも親の遺産と莫大な印税で生活に困ったことがないからやりたい放題やっているというところもあって、そのあたりはちょっと幻滅。


松本哉 集英社新書 2006年10月22日発行
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搾取される若者たち バイク便ライダーは見た!

2006-11-26 17:39:02 | ノンフィクション
 バイク便ライダーとしての稼働経験を元に若者が「やりたい仕事」に不安定雇用で従事したときにワーカホリックとなって企業に使い捨てられていく様子を論じた本。
 歩合制のバイク便ライダーは請負契約の形をとることで売上がなければ収入もゼロの最低賃金法以下で使われ、事故にあっても労災ではないとして自己負担が強いられるという厳しい条件で働かされています(24頁)。
 「13歳のハローワーク」などで巷に氾濫している「やりたいことを仕事に」ということでバイク好きがバイク便ライダーになったときには、仕事によってその趣味の内容が更新されて労働者の純然たる趣味の領域がなくなり、趣味でありかつ仕事であるバイク便の業務に没頭しワーカホリックになっていく(72~75頁、86~87頁)ということが著者の主張の根幹となる指摘です。

 そして最初時間給で入ってきたバイク便ライダーが歩合制を選択してワーカホリックになっていく原因は、配車係が元歩合給ライダーであること(力量を見切られて時間給では割が合わないように仕事を入れられる)、ユニフォーム(趣味のバイク乗りにはださく、バイクのパワーではなくすり抜け等での速さを誇りにするバイク便ライダーのプライドを支える)、時給から歩合給に転換できるが逆はできない一方通行のシステム(事故や病気で働けなくなったライダーは歩合給では食えないので辞めるほかなく結果として歩合でバリバリ働けるライダーしかいないので、時給で入った者には歩合給ライダーが格好良く見える)の3点にあると著者は論じています。著者は、会社は悪意でそうしているのではなく、誰が悪いのではない、職場のトリックだとしています(123~128頁)が、経営者側がそうしたことを全く意図していないというのは、私にはかなり疑問に思えます。

 バイク便ライダーの場合、交通事故のリスクや、排ガスによる呼吸器系の病気のリスクが大きくなりますが、著者も言うように「やりたいことを仕事に」した非正規雇用の若者が、雇用条件の不安定さへの不安と「やりがい」からワーカホリックになり健康を害していく危険は他の職種でも同じです。
 著者の指摘する「『13歳のハローワーク』に代表されるような無責任な自己実現を促す職業教育」(131頁)だけでなく、昨今の「規制緩和」の号令下に財界の言うままに労働条件の切り下げや非正規雇用の拡大を容易にし企業にやりたい放題にさせてきた政治の問題の解決こそが重要だと、私は思いますが。

 自分の経験部分というか社会学者としてのフィールドワーク部分を「体験型アトラクション」なんて書くセンスは読んでいて気恥ずかしいし、「処方箋」部分はあまりに貧弱ですが、本体部分はものすごく読みやすいし、問題提起としてかなりいい線行っていると思います。


阿部真大 集英社新書 2006年10月22日発行
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統計数字を疑う なぜ実感とズレるのか?

2006-11-26 17:34:28 | 人文・社会科学系
 各種の統計について、元にするデータの性質や算出方法によって様々なバイアスがあり、必ずしも実態を反映していないことを紹介する本。
 警察庁発表の交通事故死亡者の激減は24時間以内の死亡者だけを対象にしているため救急医療の進歩によって見かけ上減っている(4~6頁)、平均初婚年齢には結婚しない人が入っていないから実感より若くなる(47~48頁)、合計特殊出生率はその年の各年齢の女性の出産数だけで算出するので晩婚化が進んでいる時期には実態より低くなる(49~53頁)、「割れ窓理論」によるニューヨークの犯罪発生率の減少は実際には軽犯罪取締よりも景気の回復による部分が大きいのではないか(59~64頁)、消費者物価指数には上方へのバイアスがあり景気回復の判断に使うのには慎重であるべき(172頁~)などが論じられています。
 シンクタンクが発表する各種の「経済効果」の計算手法とその限界というかいい加減さ・無意味さや、各国が算出している経常収支がすべての国の経常収支を足すと大幅な赤字になるという不思議(理論的にはゼロにならなければならない。企業の海外収入の一部が申告されていないためではないか:166頁)、中国やインド、ロシアなどのGDPの精度への疑問など、経済問題を議論するときに当然の前提としている各種の数字がけっこう危ういものだという指摘は目からウロコでした。


門倉貴史 光文社新書 2006年10月20日発行
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現場で使える統計学

2006-11-26 17:30:55 | 実用書・ビジネス書
 営業や企画の仕事で統計学を使うための統計学の解説書。
 前半は平均や標準偏差などだけで、比較的簡単なものの組み合わせでもけっこう使えるということを論じています。後半では、少ないデータで仮説を立てて検証する際のやり方を論じ、統計学で文系の人間にはいやになる「仮説検定」を使う前にグラフの組み合わせ等を勧めた上で、仮説検定の説明もしています。
 仮説検定で出てくる「有意確率」って、問題にしている仮説の原因の変化が結果の変化と関係がない確率(因果関係があるという判断が間違いである確率)のことなんですね。つまり「これが原因だ」という仮説を立てた場合、有意確率が小さければ仮説が正しいと考えた方がいい。有意確率が大きければ仮説は間違いでそれは原因でないと考えた方がいい。言葉のニュアンスと逆ですよね、これ。

 統計学は使わなくてすむのなら使わない方がよいと「はじめに」で書いているように、仕事に使うという観点からは、統計はデータの要約だから必ず情報が捨てられるが捨てられる情報にこそビジネスヒントがあることが多い(18頁)とか、データは多ければいいとは限らず135名のデータなら要約前に元データを検討できその検討の上でのグラフと信頼できるが135万人のデータでは元データを見る気もしなくていきなり要約したものかも知れないからビジネスの現場では135名の結果の方がいいこともある(149~150頁)とか、統計の落とし穴の指摘もなされています。
 万能のように扱われがちの仮説検定(カイ二乗検定等)も、例えば有意確率がほぼゼロとなった仮説(結果の原因はこれと判断できた仮説)を原因と結果を逆にして検討すれば同じ結果となり、仮説検定自体では因果関係を確定できない(163~164頁)とか、仮説の前提部分(何が指標として重要か、何を判定基準とするか等)を崩されたら論証が崩壊する(171~172頁)など、統計学を用いた論証の限界(相手方の論証への反論方法)も紹介されていて、勉強になりました。


豊田裕貴 阪急コミュニケーションズ 2006年10月7日発行
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インターネット公売のすべて

2006-11-24 21:56:16 | 実用書・ビジネス書
 元東京都主税局職員・現ヤフー官公庁担当の著者が、税金滞納者から差し押さえた物のインターネットでの公売を推進した経緯を紹介し、積極的展開を薦める本です。
 税金(社会保険料も)というのは法律上最強の債権者で、滞納者に対しては裁判も裁判所の決定もなく、役所の一存で自宅や職場などに踏み込んで財産の差押えができます。
 著者はその権限をどんどん行使することを推進し、ヤフーと提携してインターネット公売をすることで税収の確保をすることを推進してきたのだそうです。そのいきさつの話は、まあおもしろいと言えばおもしろいですし、税金を滞納するのが悪い、滞納者を放置するのはまじめな納税者に申し訳ないという著者の言い分は、もちろん正論です。
 しかし、権力を持つ者が正義を振りかざしてやりたい放題に権力を行使する姿は、私にはとても共感できません。滞納者が協力しないからといって金庫を電気ドリルで破壊した(結局何も入っていなかった)話(52頁)や、差押え禁止財産以外は何でも持ってくる姿勢が重要だ(61頁)とか、差押え終了後は相手から何を言われても振り向かずに「何か言いたいことがあれば、明日、役所に来てください」と言って帰る(67頁)とか、ここまで言う?って思いますが。
 それにインターネット公売にしたって、役所は宝石とか本物かどうかは保証しません。参加者は役所が出品するってことで信頼していると思うんですけど。そのことはもちろん参加前に文書を読んで「同意します」のボタンを押してから参加するわけですが、そういう文書ってまじめに読む人、一体何人いますかねえ。それから、著者自身が言うように「せり売り方式ですと、落札額は必ずと言っていいほど市場価格より高くなります。・・・特に終了間際になると、値段がぐんぐん上がっていくため、自分でも気がつかないうちに熱くなります。」(78頁)というのに、それで落札してやっぱりやめた人から著者は厳しく公売保証金を没収しています(36頁)。もちろん、手続上それは適法なのですが、熱くなって冷静な判断ができずにしたことだと判断していることを、行政がそれを利用して稼いで、冷静になってやっぱりやめたというのを全く認めないというのは、行政のやり方として、私はかなり疑問に思います。


掘博晴 ぎょうせい 2006年9月25日発行
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古代エジプト 文明社会の形成

2006-11-24 21:51:05 | 人文・社会科学系
 エジプトの先史時代から古王国前半までの歴史を解説した学術書。
 必ず古代史から入って現代史に入れずに終わる日本の学校の世界史の実情を反映して、私は古代史が比較的好きです。古代エジプトも興味を持っています。それでも、こういう地道な学術書を通し読みするのはけっこうきつい。
 対象が古王国から新王国までの王朝よりも、その前に比重があって、ナカダ文化とか知らなかった時代と遺跡が語られているのは、勉強にはなりましたけど、やっぱり興味を持ち続けるのは厳しい。それよりももっと後の時代の記述で、「ファラオの墓」(竹宮恵子の漫画)のスネフェルって実在の(それも第4王朝のかなり有力な)王だったんだ、とかいうミーハーな発見に喜んでしまうのは不謹慎でしょうか。それとか古代エジプトの象形文字というか絵で、人物は髪の生え際(額)から足元までを18分割したグリッドを元に決まったプロポーション(地面から腰までが9、地面から脇の下まで14.5、地面から首まで16とか)で描かれていた(263頁、273頁)なんてことも興味深かったんですけど。
 古代エジプトの集落は日乾し煉瓦と植物で作られ(雨も降らないし地震もないからそれで十分)ナイル川の定期的な増水にあわせて集落自体移動するし集落跡はナイル川の増水で洗われてしまうため、集落の遺跡はほとんど発見されないそうです。その結果、ピラミッドなどの王や高官の墓の絵やレリーフ、副葬品などを手がかりにせざるを得ず、王権や王家の神話、王家や高官の生活が中心となります。古代エジプトの生活様式の考察もされていますが、庶民がそういう生活をしていたかは疑問ですね。
 著者は、エジプト文明はエジプトの人々の独自の発展と自主的な受容の結果で、西アジアからの文化の移植や伝播ではないとの立場のようですが、終章で論じられているように、エジプト文明への西アジア(メソポタミア文明)の影響については、議論があり決着を見ないようです。うーん、奥が深いけど、やっぱり素人にはわかりづらい。


高宮いづみ 京都大学学術出版会 2006年6月15日発行
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となり町戦争

2006-11-22 20:59:19 | 小説
 居住地の町(舞坂町)がとなり町との戦争を始め、町から一方的に偵察業務従事者に任命されて戦争に巻き込まれた主人公北原君と、ともに戦争推進室分室勤務となる公務員香西さんの戦争下の日常を描いた小説。

 2005年の文学界を席巻した「となり町戦争」、図書館で寝ているのを見つけて、読んでみました。
 確か、昨年あちこちで見た書評類では、「戦争」というタイトルに引きづられてか、リアリティのない戦争、ヴァーチャルな戦争の不気味さみたいな書き方が多かったような記憶があります。

 でも、実際に読んでみると、行政・役場の救いのなさ・怖さがテーマなのだと私は思います。戦争、多数の戦死者を出すことさえ、まるで道路の拡張工事のように予算を立て計画し、汚れ仕事はすべてアウトソーシングして自らは手を汚すことなく着実に淡々と実行してしまう役人たちの懲りない、非人間的な姿。となり町との間での戦争を、となり町との間で協力して戦争を遂行していこうと協定書を結び定期的な勉強会をしながら遂行していく両町の役人たち(147頁)。ほとんどの住民が戦争を知らず参加せず関心も持っていないのに「今の時代はやはり地域住民の意向を無視しては戦争や工事はできないんですよ」(141頁)と住民の意向で戦争をしているという誤った使命感。分室での「性的な欲求処理に関する業務」の分担のために週1回北原君の部屋を訪れて必ず自分が上になって性交する香西さん(それがわかった後も淡々と続けられる北原君も、ちょっとすごいけど)。住民への説明会で「なぜ、となり町の人間と殺し合いをしなければならないのか」と問われて、「なぜ」には答えずに「我々はとなり町と“殺し合い”は行っておりません。殺し合うことを目的に戦争をするわけではありませんし、戦争の結果として死者が出る、ということですからお間違えのないようにお願いします。」と説明する戦争推進室長(89頁)。
 しかも、こういうテーマだと役人が何か利得している姿を書きがちですが、この作品では役人たちは何か利益があるわけでもありません。
 ただただ業務だから計画したからそれを実行することが自己目的化したものとして、自己満足的な使命感だけで淡々と続けているわけです。そういった役人の業というか性というか、そういうものを戦争という極端な素材を用いることでアイロニカルに自嘲的に描いたものだと、私は読みました。その意味では、「戦争」でなくてもよかったのだと思います。

 戦争というテーマで見ると、リアリティのなさよりも、共同体の喪失というか、愛国心も高揚感もなく(せいぜい26~28頁の小学校での軍事教練のシーンくらいですね、そういうのは)連帯感もなく住民の関心もほとんどなく、それでも戦争が行われ多数の死者が出ていくということの不気味さを感じました。でもそれは、たぶん、より小さなテーマかなと。

 終章に入って、淡々とした叙述が少し観念的・修辞的になり、少し高級に・グレードアップしたいという作者の気取りを感じます。主人公の北原君をどこか冷めたリアリティのない人物に造形して、役人たち・香西さんの胸ぐらをつかんで責めたりするシーンを1つとして設けない、そういう描き方を選択したのですから、むしろ第5章までの淡々としたスタイルで最後まで書ききった方が凄みがあったように、私には思えましたが。
 作者が男性なのにペンネームで女性っぽく見せているのはちょっと残念。香西さんの描き方なんて女性がこういう書き方をしていると思って読むから、ギョッとしつつ許せるかなと思える面もありますからね。
 それにしても、無名の新人のデビュー作ということを考えると、すごいですね、これは。読んでから作者が公務員というのを知って、それはむべなるかなと思いましたが。


三崎亜記 集英社 2005年1月10日発行
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ネット決済売り方マニュアル

2006-11-21 22:49:10 | 実用書・ビジネス書
 個人事業主がインターネット上でショップを持つときの顧客からの代金支払いの確保について利用できるサービスの案内書。

 前半は一般論を展開していて、事業者のニーズに応じてサービスごとのメリット・デメリットがあるので何が最良とは言えないと言っていますが、後半の各サービスの紹介でも、これを重視するならこのサービスがお薦めという仕分けが全然ありません。
 事業主の立場でのガイドブックの体裁ではありますが、どうもサービス提供者の宣伝文句をそのまま紹介している感じで、著者の独自の評価が見えません。サービス業者への遠慮が感じられます。
 サービスの内容の紹介も、現実に使っての感想ではない感じがします。それをおいても解説がネット利用を前提にしているわりには管理画面とかの表示も具体的解説もなく平板な感じがしました。ニーズがはっきりしている事業者が読むのなら収穫があるかも知れませんが、教養の観点から一般人が通し読みするのは、かなり辛いと思います。


鏡味義房、磯崎マスミ 明日香出版社 2006年10月30日発行
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