伊東良徳の超乱読読書日記

雑食・雑読宣言:専門書からHな小説まで、手当たり次第。目標は年間300冊。2022年に続き2023年も目標達成!

フォト・ドキュメンタリー 人間の尊厳 いま、この世界の片隅で

2014-06-21 19:12:11 | ノンフィクション
 フォトジャーナリストの著者が、学生時代の2006年に短期留学し2007年に再訪したガンビアでのジャーナリスト・新聞社に対する迫害、2007年に訪れた内戦中のリベリアの難民キャンプでの難民の様子、大学卒業後にフリージャーナリストとして2009年と2011年に取材したカンボジアでのHIV感染者の生活、2010年に取材したパキスタンでの硫酸被害者の女性たちの被害状況とシェルターでの暮らし、2011年に取材した東北と福島原発事故避難地域の被災と避難状況、2012年に取材したキルギスでの誘拐結婚と誘拐された女性たちの様子について、写真を交えてレポートした本。
 結婚や交際を拒否したということで、相手の男や関係者から硫酸をかけられる女性が、支援団体の調査で年間150~300人、それもタリバン勢力が伸長するパキスタン西北部や都市遠方の村では被害を受けても警察に通報することも治療を受けることもできない女性が多いので氷山の一角(107~108ページ)、「田舎の村では被害は放置され、加害者に対する処罰が行われないことが多くある。たとえ加害者が逮捕や起訴されても、警察や裁判官が買収されたり、被害者が周囲の圧力に負けて被害申告を取り下げたりすることもあり、加害者が有罪になることは滅多にない」(110~111ページ)という記述には戦慄を覚えます。第6章で紹介されているキルギスではほとんど会ったこともない男性から誘拐されてそのまま結婚を説得され、「一度入った男性の家から出るのは『純潔を失った』と見なされ『恥』であると教えられてきた」故にあきらめざるを得ず結婚を受け入れる女性が多い、かつては親が決めた婚約者と結婚したくない故に思い合った男女が合意の上で誘拐の形をとった(実質は駆け落ち)ものが、今では男性が一方的に気に入った女性を誘拐しそれをキルギスの伝統と言っているという話も驚きます。女性の自由を認めず権利を抑圧する社会の下で信じられないような人権侵害が行われ、それが文化とか伝統などと加害者に都合よく正当化されて行く、それもますます悪くなっていく動きさえあることには強い憤りを感じます。
 世界にはまだまだ知らないところが、光が当てられないところがたくさんあるのだと再認識させてくれました。


林典子 岩波新書 2014年2月20日発行
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ヴァンパイレーツ14 最後の海戦

2014-06-19 21:10:04 | 物語・ファンタジー・SF
 海賊船(ディアブロ号・タイガー号など)とその属する「海賊連盟」、血を吸う相手を殺さないようルール化している吸血海賊船(ヴァンパイレーツ)ノクターン号の「ノクターナルズ」と、ノクターン号に反旗を翻して独立したヴァンパイレーツのシドリオたち、ディアブロ号とノクターン号に命を救われた双子の兄弟コナーとグレースの運命で展開するファンタジー。
 日本語版14巻は、原作の完結編である6巻の後半で、日本語版としても完結となります。
 これまで不死身で、殺しても再生してきたシドリオらヴァンパイレーツ軍団の攻勢を、人間たちの海賊連盟と数で劣勢のノクターナルズがどうしのぎ、勝利を得ることができるのか、戦乱を終わらせるためには双子のどちらかが死ななければならないという予言はどうなるのか、という点が読者の関心の的になります。その点では、完結させるためには仕方がないとは言え、終盤でのヴァンパイレーツ、シドリオの滅び方はあっけない印象で、不死身の生命力が強調されてきた経緯からするとあまり納得できませんでした。海賊同盟・ノクターナルズ側の「切り札」も、もちろんもともとがヴァンパイアのファンタジーですから荒唐無稽な設定ですが、それを前提にしてもあんまりというか安直な感じがします。ヴァンパイアと人間のハーフの「ダンピール」という存在の特性や能力についてもきちんとした位置づけ・説明を欠いている印象が強く、困ったら新しいことができるようにしているように思えました。
 シドリオ軍を強くし過ぎ、ダンピールとか予言とか風呂敷を拡げたために収束が難しくなり、無理無理終わらせたというように、私には感じられました。


原題:VAMPIRATES:IMMORTAL WAR
ジャスティン・ソンパー 訳:海後礼子
岩崎書店 2014年2月28日発行 (原書は2011年)

13巻は2013年11月19日の記事で紹介しています。
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国際メディア情報戦

2014-06-17 23:29:13 | ノンフィクション
 近年の国際社会でPR業者を利用して自らに有利なイメージを広め世論・国際世論を誘導するために各国政府・団体等が繰り広げる情報戦の現状を論じる本。
 ボスニア政府の依頼を受けてセルビアとミロシェビッチが極悪人であるというイメージを拡げ定着させたルーダー・フィン社とその作戦を取り仕切ったジム・ハーフにかつてインタビューした著者の経験から、第1章でボスニア紛争での情報戦を紹介し、第2章ではアメリカ大統領選挙、第3章ではビンラディン、第4章ではアメリカ政府の「対テロ戦争」、第5章では次世代アルカイダのメディア戦略を論じています。
 1992年の大統領選挙のテレビ討論で女子学生の質問に父ブッシュが質問中に腕時計をのぞき込み不機嫌そうに上から目線で答え、その間クリントンは真摯な表情で凝視し、女子学生に歩み寄って共感を示した後情熱を持って決然と答え、それをブッシュが口をぽかんと開けて聞いていたというシーンが流れ、クリントン優位を決定的にした(84~88ページ)、2012年の大統領選挙で第1回のテレビ討論で相手が発言しているとき手元のメモを見て視線が落ちていることが多く発言でも口ごもる場面が多かったなどの雰囲気での失点でロムニーに大差を付けられたオバマが、第2回のテレビ討論では、その直前に起こった駐リビア大使らへのロケット弾攻撃がテロリストによる犯行と表明するまでに2週間もかかったという失点がありそれが攻撃されることが予測されていたところ、発言記録を精査して、攻撃の翌日に「これはテロ行為であり、この罪を犯した者を探し出して捕らえる」と言っていたことを見つけ、討論の場でさらりと触れ、攻撃翌日の発言記録をチェックしていなかったロムニーが攻撃の翌日にそんなことを言ったのか、記録で確かめたいと言い、司会者がその場で発言記録を確認し大統領は確かにテロ行為といいましたと確認させ、第2回はオバマの勝利と評価された(89~105ページ)と紹介されています。発言の際の心得として、そしてメディア対策として、興味深いところです。
 オバマ政権の広報戦略で、一方でホワイトハウス内にメディアのカメラマンが入ることをほとんど許可せず、専属カメラマンによる写真を公表し、ビンラディン殺害作戦でも殺害作戦中の映像を見るオバマ大統領やクリントン国務長官の写真を公表して閣僚たちの不安や緊張感を国民と共有し正直な印象を与えたり、押収した証拠のうち鉄道に対するテロ計画や自らが出演するテレビ映像を見るビンラディンの映像や隠れ家からポルノビデオが発見されたなど、アメリカ政府にとって都合のいい証拠を選択して公表している(153~162ページ)などは、注目すべきだと思います。
 日本でPR会社が根付かない理由として、あるPR会社の社長が有力なクライアントに、メディアにその会社の記事を載せるためのPRプランをプレゼンしたところ、そんなにめんどうなことをしなくても、そのメディアの営業に連絡してうちを取材するならでかい広告を載せるからと言えばいいと言われたという話を挙げています(61~63ページ)。要するに日本の報道など金で動かせると。
 国際情報戦で日本が負っているハンディについて、「過去も現在も未来もナチスと同類ではない、ということを常に明確にしていかなければならないというハンディを私たちは負っている。好むと好まざるとにかかわらず、国際メディア情報戦の現場において実利を得ようと思うなら、このことは意識しておかざるを得ないというのが冷徹な現実である。」「『非民主主義的』あるいは『表現や報道の自由を制限する国家』という側面はメガメディアにとって格好の批判の標的になる。その点、現在の日本は少なくとも憲法を頂点とする法体系の上ではこれらの価値観を共有しているはずである。そのことは国際メディア情報戦では大きなアドバンテージになる。しかし、社会の真の実態として、本当に日本はそれらの価値観を共有しているだろうか。日本は制度としては民主主義であっても、その実態と運用において民主主義ではないのではないか、という疑いは常に海外からかけられていると思った方がよい。」(252~254ページ)と指摘されています。まさしくその通りであり、近時はますます民主主義の価値観から遠ざかろうとする動きが加速しています。それが市民・庶民の権利に敵対するというだけでなく、国益にも反することを、官僚や政治家にも噛みしめてもらいたいものです。


高木徹 講談社現代新書 2014年1月20日発行
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首相官邸で働いて初めてわかったこと

2014-06-16 20:54:58 | ノンフィクション
 TBSのアナウンサー等を務め報道に携わっていた著者が2010年10月から2年間菅政権、野田政権で内閣広報室審議官として官邸で広報を担当した際の状況をレポートした本。
 著者の関心は、広報というものについての考え方・基本姿勢、例えばアメリカではオサマ・ビン・ラディン殺害の際にそのライブ映像を見るオバマ大統領やクリントン国務長官の写真がすぐさま報道機関に流れた(57ページ)のに対し、日本では官僚が首相をがっちりガードし官僚経由以外の情報をシャットアウトし首相からの発信も徹底的に無難に削り落とし、「明日の見出しにされないことが、今の広報の目標」(51ページ)「だらだらと判りにくい表現であればあるほど、『ボワッとしてて、突っ込みどころがなくていいねぇ』と評価されたり」(72~73ページ)とかのあたりにあるのだろうと思います。
 しかし、著者が官邸に入った時期が時期ですから、福島原発事故対応あたりにどうしても目が行きます。
 3月12日1号機の爆発のときも、15時36分に建屋が爆発したが、総理執務室にはなかなか報告が来ない。やがて、どうも爆発のようなことが起きたらしい、という情報が入ってくるが、それが第一原発の現場から上がってきている報告か、東電本店あたりが出所の伝聞情報かがわからない。こちらから問い合わせると「現場は今、徒歩で確認に行っています」という悠長な返事。しかもその返事を、誰が言っているのかハッキリしない。一時間以上たった16時50分、地元系列局の撮影した爆発の瞬間の映像を、日本テレビが初めて全国放送に流し、菅さんや僕らも全国の一般視聴者と同じタイミングで初めてその後継を目撃したが、それでもなお、総理執務室には東電からも保安院からも、正式な爆発の報告は来ない(144~145ページ)。東京電力と原子力安全委員会と保安院から一人ずつ幹部が詰めていた。そんな彼らが口々にきっぱり断言していたのが、「爆発は起きません」という言葉だったのだ。爆発の映像を見て、一瞬言葉を失った後、あきれ果てて憤りが抜け落ちてしまったような、妙に穏やかな口調で、菅さんは目の前の班目委員長に言った。「爆発しないってあんなに言っていたじゃないですか…」班目さんは、無声音で、「あー……」と呻くと、両方の手で頭を抱えて屈曲し、しばらくそのまま動かなかった(145~146ページ)。彼らは、菅さんから「これはどうなっているんだ」と問われても、ほとんど何も答えられない。それどころか、あまりに重大な局面に、自分は答えずに済ませたいという逃げの姿勢で、菅さんから目をそらしてばかり。まるで、宿題を忘れてきた生徒が、先生から指されないように自分の影を隠そうとしているようだった。こうした逃げの姿勢には、本当にぞっとした。いやしくも専門家であるならば、「次はこういうことが起きるかも知れないから、総理、こうしましょう」と自分から進言してほしかった。しかし、そうした当たり前のシーンを、少なくとも僕は一度も目撃できなかった(147~148ページ)。
 原発推進側の専門家というのは、こういう人々なのです。このような事態を見て著者は、「だから、僕は痛切に思う。あの事故以降、原発の安全性をどう確認するか、という議論が続いているが、そこには最大のポイントが欠落している。技術力以前の《人間力》の確認!この2年、たとえて言えば、皆が原発という車の安全性の話ばかりをしていて、運転手の力量の話をしていない」(150ページ)と述べ、また確かな情報が来ない状況から「そうした現実に直面して痛切に感じたのは、『まだこんなによくわかっていない技術を、現代社会は使っていたんだな』ということだった。そのことに一番愕然とした。『こんなわからないことだらけの技術を、よくもまぁ半世紀前の政府は見切り発車で実用化に踏み切ったな』と、それがただただ恨めしかった」(141ページ)と述懐しています。まさしく同感です。推進側の人たちは早くも忘れ去っているようですが。
 3月15日夜明け前、秘書官から電話で「東電が撤退すると言っているから、今から総理が東電本社に乗り込みます。一緒に行ってください!」と言われた、「撤退するかもしれない」でも、「と言ってるらしい』でもなく、ズバリ《東電が撤退すると言っている》だった(152ページ)とか、5月6日の浜岡原発停止要請の際に経産官僚が作成した原案では浜岡の停止が例外的であることが強調され裏返しに他のすべての原発の存続を匂わせるニュアンスだったが、浜岡を止めるという会見なのだから、浜岡以外の原発の話には一切触れる必要がないという総理の修正方針でバサバサ書き換えた(179~183ページ)など、注目しておきたい記述がほかにも少なからずあります。


下村健一 朝日新書 2013年3月30日発行
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定年後の起業術

2014-06-15 22:42:07 | 実用書・ビジネス書
 定年後の起業についてのアドバイス本。
 「定年後の起業術」と銘打ち、表紙見返しには「定年を機に起業にチャレンジし、老後に生き甲斐を感じられる第二の人生を送りたい-そう考えている熟年のみなさんに、失敗せず、確実に起業を成し遂げる方法を伝授します。」と書かれています。しかし、この本で積極的に起業のヒントとして言っているのは、ボーダーレス、タニマチ、絆で、しかもタニマチはむしろ自分では起業せずに他人を財政支援するという選択です。この本で書かれていることは、どちらかというと、こういうことだと失敗するという話で、むしろ、日本で自営業者が成功する道がいかに険しいかの方を実感します。
 著者は「まえがき」で「でも、しか」で行う起業は危険だと指摘し、不退転の決意で起業しているかを問い、「『絶対に成功させる』と思わない限り、少しの成功も望めません」と述べています(9~10ページ)。
 欧米の企業は市場規模が小さすぎて利益が出にくい「ニッチ(隙間)」にはあまり手を出さないが、日本の大企業は皆新市場を広く開拓しようとするよりも既存の市場の隙間を埋めようと躍起になる、徒手空拳で成り上がる新興勢力をアメリカでは評価するのに対して、日本では大企業が全力で潰しにかかる。日本は世界で一番起業や独立が難しい土地柄だ(29~31ページ)、だから起業の成功のためには大企業と組め(24~28ページ)というのですから、この本は、起業の勧めではなく、日本での起業はとっても難しいし、成功する道は面白くもないよということを諭す本なのだと思います。


津田倫男 ちくま新書 2014年2月10日発行
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私の男

2014-06-14 22:45:25 | 小説
 北海道南西沖地震で家族を失った奥尻島の民宿の娘で小学4年生9才の竹中花が、親戚の海上保安官の独身25才の青年腐野淳悟に引き取られて養子縁組して紋別で2人暮らしを始め、淳悟の恋人の大塩小町、町内の顔役の大塩のおじいさん、都会で失敗して帰ってきた警察官田岡や小学校の同級生章子、暁らと微妙な距離を保ち、東京へと移り住んで小町や勤務先のそつのない育ちのよい青年尾崎美郎らとかかわりながら、おとうさんとの2人の秘密を持って生きていく様子を描いた小説。
 濃く暗いどろどろした関係を描いているのですが、文体がどこか乾いたさらさら感があって軽く読ませてしまう。ストーリーが花が24才の第1章に始まり、9才の第6章まで順番に遡っていく形態で、きれいにつなぐのがけっこう難しいやり方だと思うのですが、破綻なく興味を維持して読めました。そのあたり、巧さが感じられます。破綻なくと言っても、8年間放置したカメラで撮影できるか(ストロボが光るか)とか、死体が何年も腐らずに隣人に気づかれないかとか、ファンタジーとして読むべきかと思うところも少なからず見られますけど。
 第三者の目からは児童に対する性的虐待としか評価できない設定を、少女側が望み愛情を持ち欲情し積極的に維持していると表現することは、人間関係はケース・バイ・ケースでそういう思いがあり得ないではないにせよ、問題提起でありタブーへの挑戦であるとしても、当惑を禁じ得ません。特に大潮のおじいさんが秘密を明かす第4章になると、いくらなんでもおいおい…と思います。考えさせられるというよりも、こういうファンタジー的な物語を読んで少女側でも望んでいるとかいやよいやよも好きのうち的な独りよがりの妄想を膨らませて行く児童虐待者たちが出てこないかと心配してしまいます。


桜庭一樹 文藝春秋 2007年10月30日発行
直木賞受賞作
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茉莉花(サンパギータ)

2014-06-11 20:39:21 | 小説
 横浜の暴力団尽誠会巴組組長水谷優司が、幼なじみのワル仲間のゲーム店長神楽武雄が殺害された事件と、武雄の父から預けられたフィリピン人留学生シェリーの両親が3年前に焼死体で見つかった事件を結びつけ、謎を解いていくサスペンス小説。
 裏情報による株式売買で稼ぐ、大金持ちの清く正しいヤクザが、汚いヤクザと医者と弁護士がつるむ犯罪組織を解明して叩きつぶしていくという、医者と弁護士が嫌いな人々には痛快な小説。無い物ねだりのファンタジーだと思いますが。終盤で登場する悪徳弁護士の描写とその末路を見ると、作者がよほど弁護士が嫌いなのだろうと思います。
 アクションが個人の卓抜な運動能力に依拠しすぎている感があり、人物設定が正義側と悪役側で極端に別れてやや厚みが感じられないなどの難はありますが、ミステリーの布石はわりとていねいに回収されており、読後感がさっぱりしているので、読み物としてはいい線でしょう。


川中大樹 光文社文庫 2014年3月20日発行(単行本は2012年2月)
日本ミステリー文学大賞新人賞
 
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光る生物の話

2014-06-09 21:59:59 | 自然科学・工学系
 オワンクラゲの緑色蛍光タンパク質GFP(Green Fluorescent Protein)の発見により2008年にノーベル化学賞を受賞した著者(私はこの本を読むまでそれを知りませんでしたけど)が、生物発光についてこれまでにわかっていることの概要を解説した本。
 蛍や夜光虫、深海魚など光る生物の存在は広く知られており、好奇心をそそられるテーマなので、研究も進んでいるかと思うと、生物発光の研究者は世界でもたぶん千人くらいに過ぎず、その大多数は応用面の研究で、基礎科学である生物発光の生物学面の研究者は30~50人、化学面の研究者は10人以下と思われるとされています(36ページ)。
 この本では生物発光の化学面、発光物質と発光(化学反応)の機序の発見・特定の歴史と実験法、実験経過などを中心に説明しています。発光物質の発見・特定には発光物質の抽出が必要となりますが、オワンクラゲの発光物質「イクオリン」の発見ではイクオリン5ミリグラムを精製するのにオワンクラゲ1万匹から抽出した発光物質を6か月かけて100回カラムを通して精製しなければならず(68~69ページ)、さらにイクオリンの発光機構を調べるためにその中の蛍光物質AF350の構造を決定するためには25万匹のオワンクラゲと5年の歳月を要した(70~75ページ)のだそうです。
 生物発光についての説明と、その知識が得られる歴史、著者の実験経過、著者の経歴が入り交じり、やや読みにくい感じがしますし、化学的な解説部分は難しいように思えますが、研究者の少なさと実験の大変さは実感できました。


下村脩 朝日選書 2014年4月25日発行
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蛇行する月

2014-06-08 21:42:52 | 小説
 釧路湿原高校図書部員で、高3の夏に国語教師谷川を好きだという須賀順子に雨の日にずぶ濡れになって自宅を訪れるアタックを勧めた戸田清美、一緒になって告白方法を提案した藤原桃子、須賀順子とともに駆け落ちした和菓子職人の妻福吉弥生、元図書部員で須賀順子のアタックを傍観し後に谷川と結婚する小沢美菜恵、須賀順子の母須賀静江、元図書部員で一番のしっかり者だった角田直子のその後を描く短編連作小説。
 1作目の「1984 清美」は、信心に生きる母と浪人生の妹を養いながら釧路のホテルで安月給で酔客に尻を撫でられながら酌をして宴会営業をさせられる清美の情けなさ・絶望感を描いています。2作目からは、1作目の途中に高校時代のエピソードで登場した須賀順子のその後をストーリーの軸にして、それぞれの人生の途中で須賀順子のその後を挿入して描くという色彩を強めています。全体として、周囲の6人の人生の一場面で登場した須賀順子を並べることで須賀順子の生き様・人生観・幸福感を描いているという形になっています。
 須賀順子自身は、国語教師谷川に振られた後、東京の和菓子屋に就職して妻帯者の和菓子職人と駆け落ちして放浪し、結局は東京の下町の寂れた商店街の片隅で夫婦で食堂を開いて、周囲は貧しさに驚くが本人は満足していると描かれます。須賀順子自身と、1作目の戸田清美、2作目の藤原桃子、そして5作目の須賀静江では、貧しさに耐えて生き抜く姿が描かれ、格差社会の底辺付近であえぐ労働者の生活をにじませ、筆力を感じました。3作目、4作目、6作目は少し余裕がある人の目から語られ、そこから見る須賀順子という落差が狙いかなとも思いますが、やはり迫力は落ちる感じがしました。
 最初の方の貧しさの中で生きる労働者を描く力と、須賀順子の生き方を見て貧しさと幸せについて考えさせられるところに、読んだ後も惹かれるものが残りました。


桜木紫乃 双葉社 2013年10月20日発行
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自治体訴訟事件事例ハンドブック

2014-06-05 00:02:25 | 実用書・ビジネス書
 東京23区が当事者となる裁判で区側の指定代理人を担当する特別区人事・厚生事務組合法務部が、自治体が当事者となる裁判の事例や裁判での主張立証の工夫、苦労話などを紹介した本。
 一つの事例が1ページから3ページで、事件の内容の紹介はかなり抽象的ですから、裁判所の判断をその決め手となった事実関係を把握してきちんと読むには物足りず、基本的には流し読み用の内容ですが、そのわりには法律用語が多用されているので裁判業界人以外は手にしにくい本です。
 裁判所からの要求への対応や、自己の主張の裏付けとなる資料がないときの対応など、立場は逆とはいえ、同じく裁判を担当する者としては、気持ちはよくわかるという部分は多々あります。
 しかし、苦労話と言うよりは、自治体側の勝訴事例の紹介がほとんどということもあって、自慢話の印象が強い本で、素直に読む気になる読者層はかなり狭い感じがします。
 紹介されている裁判の事例は、ほとんどが自治体側の勝訴事例で、自治体の法務担当者側から見た事案の紹介のため相手方の主張が無理無体なもののように書かれているものが多いですが、そういう視点でなされた紹介でさえ自治体側の主張がかなり無理筋と思われるケースも少なからずあり、それでも裁判所があれこれ工夫というか無理をして自治体を勝たせている事例がいくつもみられ、暗澹たる気持ちになりました。
 自慢話の一例で、預金の仮差押えの話が紹介され、2000万円の債権で債務者の預金を仮差押えする際に預金がいくらあるかわからないので債権のうち一部の500万円で仮差押えするかどうか迷って結局全額で仮差押えして保証金(担保)350万円を供託して100万円程度回収できる見込みとなったというのを「適切な仮差押え債権額を判断し、成功した」とし、「X区は、債権の仮差押申立とは別に、A銀行に対するYの債権の債権額をA銀行が明らかにするよう、裁判所に催告してもらう申立をしましたので、担保を立てた日から約2週間後にYの債権額がわかり」としている(339~340ページ)のには、読んでいて首を捻りました。「100万円程度回収できる見込みが立ちました」というのは仮差押えの競合があったのでなければ差し押さえられた預金が約100万円ということです。であれば、仮差押え債権額は500万円の方が保証金が少なくて済み、より「適切な仮差押え債権額」のはずです。もちろん、事前にはわかりませんから全額での仮差押えが間違いだという評価は普通しませんが、わざわざ迷った話を書いた上で、不必要だった全額での仮差押えを「適切な仮差し押さえ債権額を判断し」と書くのは、いかにも気楽で自己満足的な仕事だなと思います。銀行への「第三債務者の陳述催告申立」も、弁護士の感覚なら債権の仮差押え(あるいは本差押え)の場合、申し立てるのが当然で、もしやり忘れたら弁護過誤と言われかねないようなもので、そういうものを申し立てたのを何か手柄のように書くのは理解できません。
 最後の紹介は気が抜けたのか、X(申請人)とY(被申請人)を反対にしています(350ページ下から14行目と下から4行目のXは、どちらもYのはず)


特別区人事・厚生事務組合法務部編 第一法規 2013年10月5日発行
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