伊東良徳の超乱読読書日記

雑食・雑読宣言:専門書からHな小説まで、手当たり次第。目標は年間300冊。2022年に続き2023年も目標達成!

色の不思議世界

2011-10-30 23:55:21 | 自然科学・工学系
 色彩についての研究者である著者の論文集。
 第1部の「目と脳が作る世界」「感性は色で動く」が総論的な位置づけで「江戸の浅黄と茶色」「在りし日のトキ色」「空はなぜ青いのか」「緑をめぐる色彩誌」「黒の領域」「紫とパープル」と続くタイトルからは総合的な色彩論と期待されますが、論文集ですからそれぞれの論文のつながりは意識されておらず、主として視覚と色彩の認知・認識をめぐる自然科学的・理系的な文章と、専ら社会の中でのその色の位置づけ・評価をめぐる文化的・文系的な文章が混在していて、門外漢には通読はけっこうしんどいものがあります。
 前者の領域では、色彩認識の脳による加工、つまり視覚器官としての目に入ってきた光情報と脳が認識する色彩のズレについて様々な点から論じています。特に透明な色彩(光)と不透明な色彩(物体の表面)について、空の色に代表される青と光がないことを示す黒では透明な色彩が優越し、物体として認識することが優先される緑は不透明な色彩が優越するなどの指摘は好奇心をそそります。人間の目に見えている色彩と、客観的な世界の状態の違いというテーマは、ある種哲学的でもありますが考えてみるとよくわからない思いがずっと残っています。水晶体白濁等で目が見えない状態で生まれてきた人が手術で目が見えるようになると、最初は透明感が先行して不透明物体を認識できず、その後時間の経過による体験で不透明色彩が認識できるようになる(234~235ページ)という指摘は興味深く読みました。
 後者の文化的な考察では、色としては水色に近い浅黄色・浅葱色がなぜ「黄色」という名称を付されたのかとか、赤みのない可視光の最も短波長の「青紫」と短波長の青と長波長の赤の混色である赤みのある「紫」ないし「赤紫」という別系統の色がなぜ日本語では「紫」と一緒にされるのかとか、考えさせられました。
 しかし、論文集としての読みにくさに加え、著者自身も解明できていないという部分が多くすっきりしないところがあり、横道への逸脱が多くて論旨がまっすぐでないこと、誤植が目に付くことなど残念なところも多い本です。


小町谷朝生 原書房 2011年9月29日発行
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原発報道とメディア

2011-10-24 23:02:42 | 人文・社会科学系
 福島原発震災をめぐる報道について、ここにいていいという「基本財としての安全・安心」を守ることが大事と主張し、不安を喚起するメディアを批判する本。
 タイトルからは、過去の原発政策・事故報道や福島原発震災の報道について、具体的に論じたものかと思いましたが、著者の論じ方は基本的に大所高所からというか哲学的なもので、学者の文献の引用が多数なされ、そのある種哲学的なところから抽象的な批判がなされていて、結局どうしろということなのかよくわからない部分も多々見られます。
 「もしもジャーナリズムの未来に希望があるのだとしたら、それは『基本財としての安全・安心』の実現に向けて社会を導くことができた時ではないか。」(11ページ)、「そうした事情を思うと、『危険』を正しく知ることが安全に繋がるという考え方には、浅薄な主知主義を感じる。たとえばパスカルの『パンセ』に『想像力』と題された一節がある。偉大な哲学者が非常に幅の広い板の上に立っている。その板の上に乗っていれば落ちる危険はない。それは頭ではわかっている。しかし板の下には千尋の谷があるということを知ってしまうと、想像力の中で恐怖が膨らみ、頭では『安全』と知っていても、彼は『不安』に苛まれるようになる。こうしてパスカルは『知ること』によってむしろ『不安』にかられる可能性があるのが人間のリアリティだということを示した。」(61~62ページ)こういった主張から著者はいったい福島原発震災の報道でどうすべきだといいたいのか、著者はその結論を明示していませんが、これは結局のところ、著者が批判している支配者側に寄り添い「知らしむべからず、寄らしむべし」という態度をとることとどう違うというのか、私には全然理解できませんでした。
 著者は、この本の中で、「怖がり過ぎ」とともに「怖がらなさ過ぎ」をも批判しています(76~78ページなど)。しかし、具体的批判は常に原発反対派にのみ向けられています。原発推進派と反対派が妥協しなかったために反対派は絶対安全といったプロパガンダにこだわりより安全な原子炉を選べなかった(30~33ページ)といい、原発反対派が一定の範囲で原発を容認すべきだったと結論づけています。原発反対派が存在したおかげで原発の運転や改善に緊張感が維持され事故が少なかったという評価も、むしろ原発推進派から時折聞かれますが、この著者はそういう視点は持たないようです。他のジャーナリストに対しては幅広い視野を持てと叱咤しているように読める本ですが。挙げ句の果てはJCO臨界事故で作業員が臨界の危険について知識を持っていなかったことまで反原発運動が原発労働に対して否定的評価をしていたなどとレッテルを貼り「その意味で、この事故に対しては反原発運動も決して無関係ではあり得なかった。」(227ページ)とまで言い募っています。著者はどちらの陣営にも与しない(と明言はしていませんが)姿勢を取っているように書いています(例えば41~46ページ)が、これらの書きようを見ていると、普通の原発推進派よりも頑迷な推進派に思えます。
 後半で著者は、放射能の危険を強調するメディアは、放射能以外のリスクをも負いそこにとどまらざるを得ない地元住民や風評被害を受ける生産者等、原発労働者たちの気持ちを踏みにじっているという趣旨のことを指摘しています。そのこと自体は正しい指摘であるとともに、著者のような立場・物言いをしないジャーナリストにも問題意識はすでに共有されていると思いますし、この本のような書き方をしなくても十分伝わるはずです。先に述べたようにかなり極端な(著者はこれを極端と思っていないらしいところが驚きですが)原発反対派批判をしたり、「福島県に原発が作られるようになったのは、地元がそれを求めたことが大きい。」(27ページ)などというそれこそ地元の住民の気持ちを踏みにじっても政府と電力会社を正当化する物言いをする本で、そういうことを言ってもそれは「真実のチカラ」「言葉のチカラ」を持ち得ないと私は思うのですが。


武田徹 講談社現代新書 2011年6月20日発行
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リスの生態学

2011-10-23 08:15:04 | 自然科学・工学系
 多摩森林科学園でリスの研究を続けている著者が学生時代からの30年に及ぶ研究の成果をまとめた本。
 リスの起源、系統進化、分類といった教科書的記述に続き、交尾行動、音声信号、採食・貯食行動、えさとなる植物とリスの共進化、森林環境とリスの生息といった幅広い研究成果がまとめられています。
 学者の執筆した専門書にありがちな過去の論文の寄せ集めではなく、書き下ろしで、章の進展が著者の研究の進展の紹介と対応して書かれている(たぶん本当はきれいに対応していないのでしょうけど)ことなどから、専門書としてはかなり読みやすい部類に属すると思われます。たまたま著者が私と同い年ということも、何となく私に親近感を感じさせたのかもしれませんが。
 著者が研究の初期に主として対象としていた神奈川県で野生化した外来種のクリハラリスでは、他の研究で見られた乱婚よりも乱婚の度合いが激しく雌は生息域をテリトリーとするほぼ全部の雄と交尾し優勢な雄も雌の独占にエネルギーを注がず一定時間威嚇して他の雄を遠ざけると脱落していく様子が綴られています。その理由について、クリハラリスの原産地台湾での観察から子どもたちが生き延びるために天敵のワシ・タカやヘビから協力して身を守る必要があり全ての雄に自分の子どもかもしれないと思わせることが協力を得るのに有利であるという仮説が示され、天敵が少ない日本での行動は数十年では進化の過程では無意味な時間かもとしています。交尾後の雄が外敵を発見したときと同じ音声を発することについては、しばらく雌の動きを止め他の雄も近寄れないようにしてその間に交尾栓を固めて受精確率を上げるための「だまし」であるという仮説を提唱しています。そういうあたりも含め、興味深い話と、研究者の研究、仮説の定立、論証の過程が比較的読みやすく記載されていて、私には楽しく読めました。


田村典子 東京大学出版会 2011年9月5日発行
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低炭素社会のデザイン

2011-10-22 22:58:18 | 自然科学・工学系
 2050年までに二酸化炭素の排出量を現在より70%削減するという日本政府が2008年洞爺湖サミットで宣言した目標の達成と、さらには二酸化炭素排出量を森林・海洋の吸収量以内に収める「排出ゼロ」を目指して低炭素社会へのシナリオを描き、政治的・社会的な決断があればその達成は可能であると説く本。
 今後日本の人口構成が大幅に高齢化し人口も減少することや産業構造がサービス業にシフトすることからエネルギー需要が減少することに加えて省エネ技術が進歩することを考えれば、エネルギー需要の大幅削減は不可能ではなく、ライフスタイルの変更と技術開発の方向付けを適切に行えばサービスを低下させることなく二酸化炭素排出量を大幅に削減できるというのが、著者の主張のポイントです。今後の社会について、都市集中が進み人々がばりばり働き大いに遊ぶ「活力社会」と、田舎暮らしを尊び家族と過ごす時間を大切にして自然と共生する「ゆとり社会」の2つのシナリオを示し、そのいずれでも低炭素社会は実現できると論じていますが、著者の軸足は活力社会、技術の進歩とその最大限利用の方にあるように見えます。生活レベルを落としてがまんするということはほとんど主張せず、より豊かな生活と技術の発展を謳い、明るい希望を示しつつ、各分野でのコストを考慮した方向付けを論じているため、何となく元気が出てくる本です。大変幅広い分野を論じていて、私には、著者の指摘が適切かどうか判断しかねますが。
 著者の方向性としては必ずしも脱原発ではないようですが、純粋に二酸化炭素排出削減という観点で見ても、「原子力で減らせる量はそれほど多くはない。例えば、国際原子力機関(IEA)のシナリオでは、削減量のうち原子力の寄与はせいぜい6ポイントにすぎず、省エネルギーで47ポイント、再生可能エネルギーで21ポイントである。原子力がなければ温暖化が防止できないなどといっているのは日本だけである。」(186ページ)と明言されています。
 地球温暖化問題への対策について、積極的イメージを喚起させてくれる本です。


西岡秀三 岩波新書 2011年8月19日発行
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証拠改竄 特捜検事の犯罪

2011-10-19 23:34:22 | ノンフィクション
 朝日新聞が新聞協会賞を受賞した郵便不正事件における大阪地検特捜部の前田検事によるフロッピーディスクのファイルの更新日時データの改竄の調査報道の経緯をまとめた本。
 冒頭に書かれている朝日新聞大阪本社社会部の検察担当記者が2010年7月のある日に検察のディープスロートから前田検事の改竄を聞き出した経緯というか、そういう人脈をどのように発掘したかが、私には一番興味がありますが、そのあたりはニュースソースの秘匿のため書かれていません。
 その次に興味を持ったのは、2010年7月に情報を得てから2010年9月21日朝刊での報道までの経緯というか、報道まで2か月かかった事情ですが、そのあたりが読みどころの本かなという気がします。フロッピーディスクの所在探索、業者鑑定などの裏取りという本筋の他に、他社はもちろん社内にも気付かれないよう神経を使い、検察のでっち上げ逮捕を警戒し(「読書が趣味の板橋は書店に入る際、カバンを持ち込むことをやめた。何者かに本をしのばされ、万引で逮捕されることまで考えた」(102ページ)って・・・)といったあたりも興味深いですが、私は、職業柄、改竄対象文書の作成者である上村被告人の弁護人の心理というか思惑というか揺れる思いというかが気になりました。
 あくまでも朝日新聞記者の目で書かれているので、隔靴掻痒の感のある部分もありますし、朝日新聞としての配慮もあるように感じられますが、歴史に残る事件の経緯を記したものとして一読に値するかと思います。


朝日新聞取材班 朝日新聞出版 2011年3月30日発行
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大学教授という仕事

2011-10-16 20:04:35 | 実用書・ビジネス書
 大学教授の研究、教育、管理業務、論文執筆、学会運営、出版等の仕事の手順とおもしろさ、悩み等について説明した本。
 給料を保証されつつ一国一城の主としてやりたい仕事を選択できるという大学教授の基本的メリットと、教育の仕方を習ったこともないのにやらねばならない授業や研究のための科研費等の資金獲得・予算折衝、大学の管理業務や学会での運営や論文査読等の大学教授・研究者として年を経るとやらざるを得ない仕事の苦労が語られています。
 管理運営業務は、弁護士でいえば弁護士会の会務(委員会の委員とか委員長とか)みたいな感覚なんでしょうね。年齢が上がるにつれて次々と降り注いできて解放されないから終わる日を指折り数えていたのでは身が持たない、いつも何かやらざるを得ないと割り切らざるを得なくなる、そう割り切るとそれほどいやな仕事ではなくなってくる(84~85ページ)という話、傾聴しておきましょう。私はそういう心境にはなれませんが。
 好きな研究を続けるためにも、資金獲得や成果・キャリアのためや、さらには院生の教育のためにも、本当にやりたい研究テーマの他に短期に確実に論文にできる研究テーマを常に多数(少なくとも担当する院生の数)持っていなければならないというのを聞くと、大学の先生もけっこう悩ましい商売だなと思えます。どんな仕事でもおもしろいばかりの仕事はないでしょうけども。
 「面談の約束をすっぽかす学生の中には、自分のスケジュールを記入して管理する手帳の類を持っていない者が少なからずいる」「手帳を持っていない学生に初めて出会ったときは、とても驚いたが、二人目からは約束をすっぽかされた理由がはっきりして、むしろすっきりした」(51ページ)っていう話はちょっと気になりました。社会人にも何の連絡もなく約束をすっぽかす人が時々いるんですよね。私はそういう人についてはその後相談等には応じないことにしていますが、そういう人も手帳を持たないのでしょうか。


杉原厚吉 水曜社 2010年2月10日発行
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ウィキリークス以後の日本

2011-10-15 20:37:08 | 実用書・ビジネス書
 世界のメディアが評価するのと対照的に政治家・官僚と一緒になってウィキリークスをいかがわしい暴露サイトと扱い発表内容の裏付けの確認不足や情報の公表により登場する人物への攻撃がなされる危険性ばかり強調したがる日本のマスコミの姿勢を批判する本。
 ウィキリークスの紹介部分は半分くらいで、システムとしてはログを残さないことなどによって内部告発者の匿名性を守るシステムであることや、ウィキリークス側でも大手の新聞社等との連携で裏付けを取る姿勢を見せておりこれまで誤報と確認された例はないこと、代表のアサーンジの性的暴行容疑の内容(セックス自体は合意の上でむしろ女性側がアプローチしたものであるが、女性側がコンドームの使用を求めたのにアサーンジがコンドームを使用しなかったことが問題となっている:14~15ページ、67~70ページ)と異例の国際指名手配をしたスウェーデン政府と逮捕したイギリス政府の対応の異常ぶりなどが紹介されています。
 しかし、著者の関心は、権力者にとって隠しておきたい国民や大衆に知られたくない情報を暴き白日の下に晒すことこそジャーナリズムの使命であり本業であるはずで、ウィキリークスの発表は政府や官僚からは非難されるであろうがマスメディアからは賞賛されるべきことでその情報が不確かなら自ら検証して報道するのがマスコミの仕事であるはずなのに、政府・官僚と一緒になってウィキリークスを貶めることに血道を上げる日本のマスコミの異常さと、それが著者の長年の主張である閉鎖的な記者クラブを通じた大本営発表を垂れ流してきた体質に根ざすものという点にあります。
 公益通報者保護法という法律は作られたものの、公益通報(内部告発)はまずは勤務先が設けた窓口に、そうでなければ監督官庁に、マスコミへの通報は最後の手段という位置づけで、実質的には内部告発潰し法という趣ですし、内部告発を受けた監督官庁はというと東京電力の原発圧力容器ひび割れ隠しの内部告発を受けた保安院はあろうことかその内部告発者の身元を東京電力に通知するという、そういうお国柄で、内部告発自体けしからんという風土ですからね、というところでしょうか。
 でも、諸外国ではウィキリークスの刺激を受けて、次々と内部告発サイトが誕生しているそうですし(197~200ページ)、Facebookもtwitterもユーストリームも日本でもかなり定着してきています。日本のマスコミがいつまでも覚醒せず政治家・官僚とのなれ合いを続けていたとしても、チュニジアのジャスミン革命を支えた情報流出と人々の連帯を作るツールは否応なく日本社会にも浸透してきている、その自覚とメディアリテラシーを持ちましょうねというメッセージを受け取っておきましょう。


上杉隆 光文社新書 2011年3月20日発行
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放射線からママと子どもを守る本

2011-10-12 19:41:52 | 自然科学・工学系
 放射線防護学の専門家の立場から、福島原発震災後の「関係各所の安易な安全発言」を批判しつつ、被曝低減のための生活上の注意・対策を説明した本。
 「どんなに低い放射線量であろうと発がんの可能性はゼロではない」(27ページ)、「放射線を浴びる量は限りなくゼロ、が基本です」(28ページ)という立場から、安全基準は「これ以下なら絶対安全という基準ではなく、このくらいなら気にしなくて大丈夫、がまんできるという意味合いの値です」(30ページ)という基本的な姿勢を冒頭で示し、安全と言い過ぎないように気を遣って書いている部分も相当に見られます。
 もっともこの冒頭段階でも「がまんできる」って誰が評価してるの?「住民のみなさん、申し訳ないけどがまんしてください」じゃないの?って疑問を感じますし、飲食物についての暫定規制値については「十分に安全性を見込んだもの」(48ページ)、「仮にこれらの値の限度ギリギリの水を1日1kg飲んだとすると、200万人のうち一人くらいが将来がんで死亡するかもしれないという確率になります」(53ページ)、「暫定規制値は十分に安全側に立ち、余裕をもって決められています。仮に暫定規制値の限度ギリギリの放射性物質を含む食品を1日1kg食べたとしても、200万人のうち、1人くらいが将来がんで死亡するという確率です」(93ページ)と、度々安全を強調しています。ここでいわれているリスク係数はICRP(国際放射線防護委員会)が現在認めている数値によっているもので、この本で触れられている「チェルノブイリ事故のあと、各種がんの発生率は10倍に増えたという調査もあります」「チェルノブイリでは放射線被ばくによる免疫力の低下が呼吸器系疾患を、放射性セシウムの内部被ばくが心臓血管系疾患を増やしているという研究結果も公表されています」(114~115ページ)というような研究成果を反映していないものだと思います。行政がチェックしているから市場で出回っている食品は安全だという趣旨の記載が続いている(90~95ページ)ことも含め、学者として良心的に書こうという姿勢を見せつつも、結局は原子力を推進してきた側で得られた知見と行政への信頼をベースにした本になっているように、私には感じられます。
 またこの本の日常生活での被曝についての想定は、執筆時点(2011年6月)で福島第一原発から新たな放射性物質放出は新たな爆発がない限りはない、放射性ヨウ素の問題は(半減期が短いので)すでに解決済み(107ページ)、プルトニウムはとても重いので遠くまで飛ぶことはあまりない(129ページ)、ストロンチウム90は沸点が高いのですぐに固体化し避難区域から遠くへ飛ぶことはあまりない(152ページ)などを大前提にしています。しかし、今回の福島原発震災では、そういった基本的に原子力推進側の研究者たちが作ってきた「常識」的な知見が次々と覆されています。この本の中でもいわれている海の汚染が魚に影響するまでには時間がかかり半減期が短い放射性ヨウ素が関わってくることはまずないだろうという考えが福島第一原発から70km離れた日立市沖のこうなごから高濃度の放射性ヨウ素が検出された事実により崩れた(88ページ)ことや、2011年8月25日に奥州市の下水道脱水汚泥で突如1kgあたり2300Bqものヨウ素131が検出され(奥州市公式サイト)、東京都でも8月15~16日にかけて江東区と清瀬市の処理プラントで下水道脱水汚泥から1kgあたり150Bqのヨウ素131が検出され(東京都下水道局のサイト:7月はいずれも1kgあたり数十Bq)、プルトニウムが福島第一原発から45km離れた飯舘村で検出され(2011年9月30日文科省発表)、さらには福島第一原発から250kmも離れた横浜市港北区のマンション屋上の埃から1kgあたり195Bqものストロンチウム90が検出される(朝日新聞2011年10月12日朝刊)などの事実を前にしたとき、従来の放射線防護学の常識を前提に議論をすること自体疑問を持たざるを得ません。
 こうした方がより安全という部分は、参考にしつつ(公園や校庭の表層の砂・土を剥がして入れ替えることについては、外部被曝の低減策として有効であることはその通りと思いますが、その剥がす工事や剥がした後の砂・土の処理次第では放射性物質が付着した砂等が飛散して新たな内部被曝等のリスクがあると私は思います。そのことがほとんど指摘されないことには、この本以外も含めて疑問を持っていますけど)、安全余裕がある、大丈夫という評価部分にはさらに一歩距離を置いてみた方がいいかなと思います。


野口邦和 法研 2011年7月30日発行
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時こそ今は

2011-10-11 23:06:22 | 小説
 仕事から帰っても愚痴一ついわない優しい夫に10年前近所の人妻が夫が痴漢をしたと主張するのを聞いて疲れた思いがして「別れて下さい」といったらあっさり「分かった」といわれて離婚したことを後悔してきた大学の図書館勤めの58歳の明子が、元夫が台風で増水した川からヘリコプターで救出されたのをテレビで見たことをきっかけに、独り立ちした息子は父親と会っていたことや元夫の女性関係や経歴について知り、考えを改めていく全共闘周辺ノンポリ目覚め小説。
 結婚生活では、夫が本当はコーヒー党なのに気付かず朝食にはいつもライ麦パンとダージリン、息子が本当はキュウリのぬか漬けが好きなのに一度も家では食べさせたことがないことに象徴されるように、家族のことをよく知ろうともせずに知っていると誤解していて、気に入らないことがあるといつも相手のせいにしてきた明子が、周囲の人たちの人生を聞かされるうちにこだわりから解放されつつ、元全共闘のアジテーターに革命は敗北した、ゲームだったなんていうのは許せない、愛人に産ませた子どもに自分が父と名乗らないのはおかしい、古い、全共闘運動はそういうところを破壊しようとしてたはず、自己批判も自己解体もなくあなたは生きてきたんだなどと言いつのります。ある意味で、成長小説なんだと思うのですが、何らかの実践があるわけでもなく、周囲の人間の過去の話を聞くだけで何か目覚めたように話す明子や他の登場人物も含めた人々の発言は、どこか地に足が付いていない感じがします。
 そして、元全共闘運動家に対するこういう評価は、運動家の側が自己批判としていうなり、運動に身を投じてその後もバブリーでない生き方をしてきた者が批判するのはよく分かるのですが、当時運動に参加しなかった人が、それもその後も身の処し方についてそれほど考えてこなかった人が当時の運動の幹部・煽動者に対して言いたがることには、疑問を感じます。


太田治子 筑摩書房 2011年2月10日発行
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エグゼクティブ・プロテクション

2011-10-10 22:41:34 | 小説
 スルガ警備保障の警備チームを指揮する武道・格闘技の専門家で14歳年下の料理・選択が趣味の武道インストラクターと同居中の八木が、ゲーム機器メーカーのムゲンドーの走る広告塔だが故障が続き不振の笑顔がセールスポイントのマラソン選手日比野真姫の身辺警護を命じられ、銃弾と脅迫状の郵送、日比野のコーチ殺害、恋人の美容師の生首郵送と立て続けに起こる事件に対処していくサスペンス小説。
 私の目には、この作品の売りはとにかく、主人公の八木のキャラと見えました。クール・ビューティーというか、強くてりりしく、何が起こっても冷静で肝が据わっています。あまりにもかっこよすぎて現実感がありませんが、私が読んだ作品の中で、主人公女性のりりしさという点では「守人シリーズ」のバルサにも匹敵するくらい。作品としてもう少しまとまっていたら読書日記と別に「女の子が楽しく読める読書ガイド」でも紹介したいくらい。八木と同じチームのメンバーは、終盤を除いて全員女性ですが、その会話も関係もキビキビとしてドライでありながら友情を感じさせ、そちらもすごくいい感じです。
 残念なのは、八木を中心とする警備チームをこれだけりりしく描き上げながら、ストーリーの中心をなす日比野真姫に高橋尚子のイメージをダブらせ過ぎて高橋尚子とのディテールの差異に気を取られるし有名人のイメージに依存して売ろうとする安っぽさを感じてしまうことと、犯人の設定や検挙の経緯が全体のストーリー・構想から見てちゃちいというか尻すぼみで終わっている感じが強いことです。キャラが惹きつけられるだけに、もったいないなぁという感じを強く持ってしまいました。
 なお、表紙のイラストは色っぽいというかエロっぽいですが、濡れ場はありません。表紙でそういう誤解を与えて売ろうというあたり、安っぽく見えます。


渡辺容子 講談社 2011年6月10日発行
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