伊東良徳の超乱読読書日記

雑食・雑読宣言:専門書からHな小説まで、手当たり次第。目標は年間300冊。2022年に続き2023年も目標達成!

インドにおける代理出産の文化論 出産の商品化のゆくえ

2014-04-30 23:47:02 | 人文・社会科学系
 「代理出産の工場」と揶揄されるほど代理出産が広がっているインドの状況について、さまざまなファクターを指摘することで批判を相対化し評価をあいまいにして実質的には批判を封じて見守ろうという方向への誘導を図る本。
 著者の姿勢は、自分が担当する学生の声に「良いか悪いか一言では決められない」という意見も多い(ここで意見「も」多いというあたり、著者の担当する学生の間でも多数派とはいえないことが読み取れますが)と紹介した上で(4ページ)、「この問題に関しては、これまで富める先進国と貧しい途上国という二分法の中で生み出される新植民地主義的な搾取の構造や、生命や身体の利用という人間の尊厳の侵犯という倫理的問題が指摘されてきた」「だが、そればかりでは、冒頭の学生の言葉にあるように『良いか、悪いか』という二元論的な袋小路に陥る可能性がある」(6ページ)とするまえがきに顕著に表れています。匿名の学生の声を何か正統性のある基準のように用いて、代理出産への批判を極端な立場であるかのように退け、それは著者の価値観ではないかのように見せて自らはまるで公平な第三者のようにあれこれのファクターを指摘することで、代理出産への批判的評価を薄め回避するように仕向けていくスタンスです。
 「初めに考えられるのが、先進国では到底得られないような豊富な人的資源(ドナー)の提供元として、インドには貧困層が多数存在しているということである」(19ページ)「インドでは生体からの腎臓提供数が世界一だという臓器移植をめぐる状況」(20ページ)「経済的に困窮する女性は、時に生活のため、時に生存のために卵子を売ったり、代理母となったりするが、代理出産で得られる報酬は腎臓を得るよりも高額である。そのため、これらは臓器売買や売春と比べれば、よほど『良い仕事』だと考えられているのである」(21ページ)、ヒンドゥー社会では子どもを産めない女性は忌み嫌われ離縁されかねずインド社会の中にも不妊治療への高い潜在的需要と不妊の克服に対する社会的プレッシャーがありそれが代理出産などの生殖医療技術の普及を後押ししてきたといえる(22~24ページ)とし、代理母の出産時の死亡例もあるが「病院も代理母も副作用やリスクについてほとんど語らず、認識もされていない」(36ページ)などの事実が指摘されており、ふつうの感覚ならここから少なくとも外国人が金にあかせてインドで代理出産を行うことに対する批判へとつながりそうなものです。
 しかし著者は代理母側の論理として子どもが産めない女性がスティグマ化され差別されがちなインド社会で「すでに子どもをもつ代理母は、子どもができないという依頼者に対して憐憫や同情を示すことが多い」「このように、代理出産の経済構造においては安価な値段で自らの身体を貸与する『犠牲者』として見なされがちな代理母であるが、ジェンダー規範上は、スティグマ化された不妊女性よりも優越する存在である」(42ページ)などとし、貧困階層の代理母が名士の医師とつながりを持てる利益があることなどにも言及し(45~46ページ)、インドの代理出産は「さまざまな要因が複合的に絡み合う現象である」(47ページ)「商業的代理出産は、出産が第三者へアウトソーシングされること以上の広がりを持ち、さまざまな次元で人びとの生命や生活に関わる実践なのである」「出産の商品化のゆくえを見定めるには、もう少し時間が必要だろう。この問いは、私たちの社会に投げかけられている」(48ページ)と結んでいます。
 著者のインド留学は松下国際財団(現松下幸之助財団)の奨学金によるもので、このブックレットシリーズ自体松下国際財団の支援するフォーラムの成果物だということがあとがきと発刊の辞に記載されています。企業から金をもらって研究することの意味も考えたくなります。


松尾瑞穂 風響社(ブックレット《アジアを学ぼう》) 2013年10月25日発行
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旧約聖書の謎 隠されたメッセージ

2014-04-29 23:41:36 | 人文・社会科学系
 旧約聖書に書かれている7つのエピソード、ノアの方舟と洪水伝説、出エジプト、エリコの征服、ダビデとゴリアトの一騎打ち、シシャクの遠征、アフェクの戦い、ヨナ書と大魚について、史実性の有無と物語に込められたメッセージを考察する本。
 出エジプトについては、歴史の教科書でも、聖書の記載を史実と捉えているが、考古学的な根拠はなく、少なくとも旧約聖書に書かれている年代にあったとは考えられず、「唯一言えるのは、出エジプトは聖書の描写そのままの事件ではなかっただろう、ということである。ただしそのどこまでが事実でどこからがフィクションなのか、あるいはまったくのフィクションなのか、私たちにはそれを検証するための十分な道具も資料もない。これが高校世界史の教科書に史実として記載されている出エジプトという『事件』について、現在ある資料から言えることのすべてである」(67~68ページ)とされています。教科書だからといって無条件に信じてはいけないということですね。しょせん人間が作るものですからもともとそういうものとは思いますけど。
 教科書と言えば、子どもの頃に、音楽でここで書かれているエリコの征服を語り伝える「ジェリコの戦い」という歌を歌わされ、三つ子の魂百まででまだ覚えています。当時も若干の違和感を覚えたのですが、ユダヤ民族の歴史的民族的宗教的主張の込められた物語に沿う歌なのだと再認識しました。ヨシュアに導かれたユダヤ民族に打ち負かされ征服される側からすれば、とてもけしからん歌と物語だと思うのですが。そうでなくても、あれほど好戦的な歌を、道徳の時間にはもっぱら平和教育を行っていた(大阪府教組の下でしたからね)先生方が許したのはどういうことだったかと、不思議に思います。
 ダビデとゴリアト(ゴリアテ)については、旧約聖書自体がサムエル記下21章19節でダビデの家臣の1人エルハナンがゴリアトを打ち殺したとしていたり、歴代誌20章5節ではエルハナンがゴリアトの兄弟ラフミを打ち殺したとされているなど矛盾しているそうです(124~129ページ)。長い間聖書として読み継がれてきたのに意外に整理されていないのですね。


長谷川修一 中公新書 2014年3月25日発行
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1985年のクラッシュ・ギャルズ

2014-04-20 22:35:00 | ノンフィクション
 女子プロレス界のスーパースターだったクラッシュ・ギャルズの2人、長与千草とライオネス飛鳥の生い立ちとプロレスデビュー、クラッシュギャルズの結成と絶頂期、解散と2人の悪役としての再登場をとりまとめた本。
 「1985年のクラッシュギャルズ」というタイトルはアイドルとしてのクラッシュ・ギャルズが絶頂期にあった時であり、また第1章の語り手の女子プロレスファンたちにとって印象深い試合となった1985年8月28日の長与千草がダンプ松本に負けた髪切りマッチの時を示していますが、この本の白眉はむしろその後のクラッシュ・ギャルズというか、長与千草とライオネス飛鳥の悩みと引退、悪役としての復活だろうと思います。貧しく不幸な生い立ちで体格にも恵まれない長与千草が、受けの美学を持ち、プロレスというショーで観客に「見せる」才能を存分に発揮して試合を作り、絶大な人気を博したのに対して、体格に恵まれたスポーツエリートで実際に格闘させれば圧倒的に強いライオネス飛鳥が、歌を歌うことや相手に勝っても観客の注目を浴びないことに戸惑い反発して悩む姿、しかし悪役になって初めて、試合を作り観客を満足させる喜びを知るという過程が、一番の読みどころのように、私には思えました。
 長与千草サイドからの語り、ライオネス飛鳥サイドからの語りに加え、当初は匿名の一女子プロレスファンの少女(その後ライオネス飛鳥の親衛隊を経てプロレス雑誌の編集者となっていく)の語りが交互に配置される構成になっています。第1章が、長与千草でもライオネス飛鳥でもない一少女から始まるところが、戸惑いを呼び、ファンからの語りのところだけいかにも一人称っぽい語りでですます調になるなど文体も変わるのが浮く感じもしますが、著者があとがきで語っているように、確かにこの一ファンの語りがあることで間が取られ語りが広がるようにも思えます。


柳澤健 文春文庫 2014年3月10日発行 (単行本は2011年9月)
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勝てる野球の統計学 セイバーメトリクス

2014-04-16 22:27:26 | 趣味の本・暇つぶし本
 データ分析によって野球の戦術や選手評価を行うための指標について論じる本。
 映画「マネーボール」(映画の感想はこちら)で紹介されたオークランド・アスレチックスが従来の基準では評価が高くないがデータ分析上は意外に評価が高い選手を積極的に低年俸で獲得して選手の年俸を抑えながら常勝チームとなった手法(セイバーメトリクス)の日本版と紹介されています。
 送りバントの有効性については、各状況での得点期待値(その状態からイニング終了までに取れる得点の平均値)からは送りバントによってどの状況でも得点期待値が減少する(例えば2004年~2013年の10年間の日本のプロ野球全試合の無死1塁の得点期待値は0.821点、1死2塁の得点期待値は0.687点など)から送りバントは戦術として有効とは言えないが、得点確率(その状態からイニング終了までに1点以上取れる確率)を見ると無死1・2塁から1死2・3塁と無死2塁から1死3塁のときは得点確率が上がるからこういう局面で1点取れれば逃げ切れるというような場合は合理的などと説明しています(1~10ページ)。また1番打者から始まる攻撃よりも2番打者から始まる攻撃の方が得点期待値が高い(19~20ページ)とも。データで説明されると説得力がありますが、しかし、それくらいのことは、ふつうに野球を知っている人なら経験的/直感的に知っていることじゃないかと思います。他方で、無死1塁から1死2塁への変化も、平均的にはアウトを1つ確実に増やすことの意味は薄いと思いますが、ピッチャーの性格・度胸、牽制のうまいへた、セカンド・ショートの守備力と守備位置変化により具体的な相手との関係では有効なケースもあるだろうと思います。
 選手の評価では、さまざまな指標を提唱していますが、それでも結局バレンティンや田中将大はどういう指標を使ってもトップに輝くわけで、少なくとも打者・ピッチャーの評価ではアッと驚くような拾いものの選手が出てくる場面はありません。オークランド・アスレチックスのケースをまえがきで売りにするのなら、そういう例をこそ挙げるべきだと思うのですが。守備力や貢献度では、意外性を出していますが、これは異なる領域の評価(点)を総合する時の重み付けのしかたでそのような評価になっていると感じられ、「従来の評価」が間違っていたといえるのか、「セイバーメトリクス」の重み付けが偏っているのか、読者にはわからないところです。打線の評価でも、全員イチローなら得点期待値はいくらとか全員バレンティンならどうかというレベルのことしかできず、もっと具体的現実的なさまざまな選手9人を並べた打線でどうなるか、ましてやそこで打順を変えたらどうかなどは、まだまだまったく手が届かないようです。
 現在よく使われる打率、打点、ホームラン、防御率などの指標以外にさまざまな指標があり得るし、データの処理によって今までとは違う見方や評価が可能になるかもしれないという示唆は得られますが、同時にセイバーメトリクス自体がまだ発展途上・試行錯誤中の手法で十分魅力的ともいえないなぁということも感じてしまいます。


鳥越規央、データスタジアム野球事業部 岩波科学ライブラリー 2014年3月12日発行
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「守り人」のすべて 守り人シリーズ完全ガイド

2014-04-16 00:06:26 | 趣味の本・暇つぶし本
 「守り人シリーズ」の紹介と上橋菜穂子全著作紹介、登場する各王国の地図・人物相関図・用語集、百科事典、人物事典に他所で発表済みの対談2本、関係者等のコメントなどを寄せ集めて作ったガイドブック。
 守り人シリーズで登場する各王国を紹介する「守り人世界探訪」が多少ガイドブックっぽいけど、全体としては、寄せ集めでお手軽に作った印象が強く、これで1冊の本として売るかなぁというどちらかというと呆れ気味の感想を持ちます。
 ラストに書き下ろし短編「春の光」が付けられていて、実は、作者が国際アンデルセン賞を受賞した(2014年3月24日)という報道を受けて「守り人シリーズ」をチェックした時に、「天と地の守り人」の後のバルサとタンダの様子を描いた短編「春の光」がこの本に収録されているという情報を得て、借りて読んだわけですが、これがなんと僅かに8ページのもので、これを目当てにこの本を読むと思い切り期待外れです。「春の光」自体は、「天と地の守り人」で示唆されているバルサとタンダのその後をそれでもやはり知りたいという守り人シリーズファンに、安堵と微笑ましさ、タンダらしさとバルサの幸せ感を感じさせ、守り人シリーズファンとしては少しほのぼの感を感じることができるので悪くはないのですが、ただそれを「感じる」だけで展開はありません。せめてこの本の半分くらい使って書いてくれていれば、この本自体にももう少し納得できたと思うのですが。


上橋菜穂子、偕成社編集部編 偕成社 2011年6月発行
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炎路を行く者 守り人作品集

2014-04-15 22:14:08 | 物語・ファンタジー・SF
 「精霊の守り人」に始まる「守り人シリーズ」の中で、もう1人の主人公になる皇子チャグムを「蒼路の旅人」で捕らえチャグムを政治家として成長させるキーパースンとなるタルシュ帝国の密偵アラユタン・ヒュウゴ(ここまで書いても、守り人シリーズの愛読者・ファン以外にはちんぷんかんぷんですよね)の少年時代を描いた「炎路の旅人」に、ジグロと用心棒流れ旅を続ける15歳の頃のバルサを描いた短編「十五の我には」をセットした守り人シリーズ番外編。
 タルシュ帝国の侵略時にタルシュ兵に母と妹を惨殺され自らも命からがら抜け出し追われる身で下町で働き生きる目的を見失った少年ヒュウゴが、タルシュ帝国内部の権力闘争と政略の中で立ち回る男の誘いを受け、タルシュ帝国の支配を受け入れてのし上がる商人や貴族らの姿を見て、王族の楯となる武人だった父の忠誠心や犠牲は何のためだったのかと疑い苦しむ様を描く「炎路の旅人」は守り人シリーズのメインストーリーからは外れていますが、作者の力の入りよう、分量、タイトルの付け方から見ても「旅人シリーズ」の1冊の風格です。武人生まれのヒュウゴが主人公ですが、庶民の中で命の恩人となった父娘への恩義と思いを持ちながら生きる様子が好ましく思えます。
 作者は、「蒼路の旅人」の前にこの「炎路の旅人」の構想を得たけれども、これを先に書いてしまうとヒュウゴの出自が予め知れてしまいまた読者がヒュウゴに親近感を覚えてしまうので「蒼路の旅人」でチャグムの気持ちで読めなくなるために、お蔵入りさせていた、それを中編に書き直すことで日の目を見させたと、作者があとがきで語っています。バルサ、チャグムの2人を主人公とする守り人シリーズ(「旅人」2作を含む)では脇役のヒュウゴだけで1冊にするわけには行かないけれど、守り人シリーズが完結したのちの番外編・外伝ならばよいだろうということでしょう。しかし、「炎路の旅人」を1冊の単行本にしないためにセットされた「十五の我には」は、既に充分な判断力のある大人のバルサにも未熟の時代があったという当たり前だけれども忘れられがちなことを示し守り人ファンの好奇心を満たす力はありますが、バルサの少女時代/ジグロとの流れ旅は既に「流れゆく者」でも書いていますし、取って付けた感が否めません。
 いずれも大人になった後のヒュウゴとバルサを知っているからこそ、読む気になる/好奇心を満足させられる、守り人シリーズ既読者/ファン向けの作品で、守り人シリーズを読んでいない人にとっては作品としての完結感がない(エピソードでしかない)のでお薦めしません。


上橋菜穂子 偕成社 2012年2月発行
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事例から学ぶ住民訴訟

2014-04-14 19:52:02 | 実用書・ビジネス書
 公務員の研修を想定して、住民が自治体(都道府県、市町村等)の違法な公金支出に対して行う住民訴訟の裁判例の事例を取り上げて、どのようなケースが裁判上違法とされ、どのようなケースでは違法でないとされたのかを検討し、日常の行政事務の判断と取るべき手続の参考とすべく説明する本。
 この「著者」の異常に長々とした名称からもわかるように、いかにもお役所の利害だけを考えた本です。
 さまざまな事例が紹介され、裁判所の判断もさまざまで、行政の幅広い裁量を認め行政の便宜と事情に最大限配慮したケースが多々ある一方で、規定の文言を厳格に解して融通を利かせることを戒めるものも見られます。そこは統一的な基準を読み取りにくい感じもしますが、行政に厳しめの判断をしたケースでは、条例の規定ぶりがポイントになっていることが多いような気がします。行政側が周到に条例の文言や制度を作り込んでおけば行政が好きにやれるということなのかとか、また訴訟を起こす場合は地方自治法だけではなくて条例をよく検討しておく必要があるのだなぁという感想を持ちます。


財団法人大阪府市町村振興協会おおさか市町村職員研修研究センター(愛称:マッセOSAKA)共同研究「訴訟対応研究会」編
時事通信社 2008年10月15日発行
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夫が浮気しなくなる魔法のほめ言葉

2014-04-13 23:22:33 | 実用書・ビジネス書
 浮気している夫に対して責めるのではなくほめることで夫を取り戻し夫婦円満になることを薦める本。
 まえがきで「夫の浮気の原因は、ほぼ100%、妻にある」(4ページ)と言い切り、「すべての男性には浮気願望がある」「結婚している、していないにかかわらず、100%、どの男性にも浮気願望があります。すきあらば、ほかの女性とエッチしたいと思っています」(16ページ)「では、浮気をする男性としない男性、どこに違いがあるのでしょうか。それは、ズバリ、『妻の態度』です」(17ページ)「家に帰ったら奥さんから癒されたいと思っています。それなのに、奥さんから大事にされなかったり、家でも嫌みを言われたり、束縛されたりすると、外で安らぎの場所を見つけようとする。それが浮気の原理です」(18ページ)と続けています。こう並べられると何となく説得される気がします。でも100%って…
 この本のポイントは、「浮気が理由で離婚するなんてもったいない」(33ページ)「浮気なんかで離婚するなんてもったいないですよ。せっかく自分のために家庭を守ってくれる人がいるのに、浮気なんかで手放してはダメです」(34~35ページ)→「浮気する夫を責めるのは逆効果。夫を責めることで、夫は、うるさい妻のいる家にますます帰りたくなくなり、浮気相手にのめり込んでしまいます。こうなるとやっかいです。浮気が"本気"に変わっていくからです」(32ページ)→「普段から夫をたくさんたくさんほめて、立派な『ほめ妻』になっていれば、夫は浮気なんてしません。自分をほめてくれるあなたのことが大事な存在だと思うからです。男性は大切な存在だと思った人を傷つけようとはしないものです。その思いが浮気をストップさせるのです。今現在、ご主人が浮気をしていても大丈夫。あなたが『ほめ妻』になれば、どんなに浮気相手にのめり込んでいても、ほぼ100%、あなたのもとに戻ってきます。それどころか、ほめればほめるだけ、夫は前よりもあなたのことを大切にするでしょう」(35ページ)という論理の流れに尽きます。誰が悪いかやメンツ・プライドではなく実利を取りましょう、現実問題として離婚したくない・夫を取り戻したいなら浮気など見て見ぬふりでほめまくりましょう、もともと好きで結婚したのだし妻に愛され大切にされていると思えば戻ってきますよというわけです。著者は夫の浮気の原因は妻の態度と繰り返していますが、浮気の「責任」については言及していません。この本の大前提は、離婚したくないならばということなので、離婚したい/より有利な条件で離婚したい妻には当てはまらない話です。
 一見男に甘い言葉が並んでいますが、どちらかというと、やっぱり男・夫って女・妻の掌で踊らされてるのねとも感じる本です。


鈴木あけみ 徳間書店 2014年2月28日
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アップル帝国の正体

2014-04-12 21:49:48 | ノンフィクション
 「人類史上初めて、単一機種で販売台数が1億台を超えた電子機器」といわれるiphone(iphone4S)の部品を受注した日本企業、日本の職人たちが、アップルの経済合理性と都合で翻弄されある日突然受注を切られるなど煮え湯を飲まされる様をレポートした本。
 日本の優良企業がアップルからの大量受注のためにしのぎを削りあるいは受注に舞い上がり、アップルのために多額の投資をしてアップルの求める専用工場を作って生産を拡大するやアップルの事情で受注を減らされたり切られ、技術を持ち出されてアジアの企業などに移転される様子が関係者の語りによって記述されています。圧倒的な力関係を利用して取引先には厳しい要求を突きつけ続け、取引先は途方もない巨額の違約金規定でがちがちに縛られるのにアップルは自由にやりたい放題の要求や契約打ち切りができる背景には、アメリカを初めとするビジネスロイヤーたちの辣腕ぶりというか高圧的な仕事ぶりが垣間見えます。あぁいやだ。ipodの裏蓋を手仕事で芸術的に磨き上げた燕の職人たちがその仕事をビデオカメラで3日間にわたり撮影された後受注を切られたという話(37~45ページ)には哀感が漂います。自らの技術や考案については徹底した訴訟姿勢で声高に主張するアップルが、他人の、居丈高には振る舞わない職人たちの技術については平然と踏みにじる姿は、あまりにも醜い。
 大企業が自分の都合を最優先し、取引先や下請をいじめ、情け容赦なく切り捨てる姿は、アップルだけではなく、日本でも増えてきていると思いますが、それでもアップルの傲慢さ、強欲さは異常なものと思えます。
 家電量販店ですら、iphoneでは儲けが出ないしくみだが、iphoneを置かないと商売にならないのでアップルのいうままの宣伝文句や販促をして大量に商品を並べアップルのいう通りの値段で販売し、マージンの大きいケースや保護フィルムで稼がざるを得ない(72~75ページ)、携帯キャリアはiphone販売にあたりアップルに販売奨励金や上納金を支払わされ利益が出るまでに少なくとも9か月かかり(122~126ページ)、アップルだけが独占的に利益をあげるシステムになっているとか。
 この本では触れていませんが、アップルがパソコンメーカーだった時代、DosV(Windows)陣営ではユーザーがパーツを入れ替えて自由にチューニングしたり、そうでなくてもメーカーが好きな構成のパソコンを販売できたのに対し、アップルは提携メーカーにアップルが指定した仕様以外の商品の製造販売を禁止したためユーザーの選択肢がほとんどなく、ユーザーがパソコンの蓋を開けることも固く禁じられて「知らしむべからず寄らしむべし」を地で行く姿勢を取り、OS8からは自由な構成で製造してよいとメーカーに約束していたにもかかわらず97年に遅れていたそのOS8発表時にその約束を反故にした挙げ句に提携メーカーへのライセンス供与を一方的に打ち切った義理人情や商慣習など知ったことじゃない独善的な姿勢とユーザーをバカにした態度を見て、私はアップル製品を結局一度も使う気になれずに来ています(Macも、ipodも、ipadも、iphoneも、私は手にしたことがありません。子どもたちはありがたがって手放せないようですが)。もちろん、マイクロソフトがいい企業だと思っているわけではありませんが。そういう私には、アップルの阿漕さを再認識させてくれる本です。日本企業の受けた仕打ちと凋落についてやや感傷的に過ぎる(アップルに煮え湯を飲まされているのは日本企業だけじゃないと思うんですが)きらいはありますが。


後藤直義、森川潤 文藝春秋 2013年7月15日発行
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司法権力の内幕

2014-04-11 19:42:00 | 人文・社会科学系
 かつて裁判官であった著者が、日本の裁判官が検察権力・警察権力を含めた司法に関連する国家権力全体の有機的関連性から発する個人の思惑を超えた作用に絡め取られ、有罪率99.8%以上、検察官控訴認容率全国で2/3、東京で3/4(高裁の裁判官は1審の裁判官より検察官を信頼するのか?)、勾留請求認容率99%超という異常な事態を異常とも思わなくなり権力に同化していく心理を論じた本。
 最高裁事務総局の支配という捉え方に対しては、現場の裁判官には最高裁事務総局勤務を羨んでいる者は少ない、民間企業からの転向組は決してそれを希望しない(人事や総務や経理の仕事がいやで裁判官に転じたのだから)、事務総局に長くいると裁判ができなくなるとむしろ不評であったりすると、反論しています。では著者が裁判官が「司法囚人」となる原因をどこに求めているかというと、ミシェル・フーコーが論じた「パノプティコン(一望監視施設:看守塔のまわりに監房を配置した監獄のようなシステム)」を引き合いに出した相互監視のメカニズムによる権力にふさわしい行動様式の内面化、自己同調的な権力行使というようなイメージ・ニュアンスになります。冒頭がカフカの審判で、「司法囚人」としての裁判官の行動様式とその原因に話が及ぶとフーコーのパノプティコンというのは、観念的に過ぎて、どこかはぐらかされているような気持ちになります。あとがきによれば、これでも「もとの原稿の社会思想、現代思想の部分を思い切って削り」(221ページ)とされているのですが。
 現実の刑事裁判での冤罪に至る判断や、冤罪を見抜いた裁判官が裁判官を辞めて弁護士になったり苦しんで無罪判決を書いたりした事例の紹介は、裁判所内部での見聞も相当あるのでしょう、読み応えのある記述が多数あります。それだけに、著者が一番言いたいはずの裁判官の権力同化志向の原因・根源が抽象論・観念論に集約されるのが、読んでいて隔靴掻痒の感があります。
 「裁判官は、外で酒を飲むことも制限されている。ホステスなど女性がいる店に行くことなど到底叶わない。(略)賭けマージャンなど論外で、雀荘ではもちろん、内輪でも絶対にできない」(51ページ)…う~ん、私は司法修習生の時、もう30年も前ですが、度々裁判官と酔いつぶれるまで外で飲み、確か裁判官に連れられてホステスのいるクラブに行き、裁判官と賭けマージャンをしたような気がするのですが、記憶違い、かなぁ…まぁ同期で聞いても、他の修習地ではそういうことはないと言われましたから特殊だったのかもしれませんが。


森炎 ちくま新書 2013年12月10日発行
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