マイペースで行こう

東村山市内のキリスト教会の牧師のブログです。更新も内容もマイペースですが、18年目に入りました。

読み始めました

2018-09-05 23:36:52 | 最近の読書
9月に入り、この本を読み始めました。

『ジョン・ストット 日毎の聖書』
ジョン・ストット著
中台孝雄 訳
いのちのことば社 2017年1月



神学校の卒業式に同窓会からの記念品で頂いたものです。
すぐに読み始めても良かったのですが…
一応、9月始まりを想定して構成しているそうで、そのプランで読むことにしました。

『ジョン・ストット 日毎の聖書』は、旧新約聖書の構成に沿って、日毎に聖句が選定されていて、ショートメッセージが綴られています。
この本を一年間通して読むと、聖書が伝えたいことの全体像をつかめるように考えられています。

私は、『みことばの光』と聖書通読表に沿って聖書を読みつつ、この本も読んでいくことにしました。

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このタイミングで

2018-06-23 11:29:24 | 最近の読書
先日、この本を読みました。

『砕かれた心の輝き -三人の王の物語-』
ジーン・エドワーズ著
油井芙美子訳
あめんどう 2002年[原著1980,1992]



妻が友人から頂いたものです。
頂いたのはもうしばらく前のことですが、私はまだ読んでいませんでした。
ですが、引越作業で本の箱詰めのときに、ふと目に留まり、読もうと思っていた一冊です。

私にとっては、タイムリーで考えさせられる内容でした。
聖書が伝えている、イスラエル王国のサウル、ダビデ、アブサロムを題材に、リーダーシップや「牧者」としてのあり方を問う内容でした。
聖書の記録の行間をそれぞれの人物像や発言を補うことで、メッセージ性が深められ、よくまとめられています。
社会的にも組織内の「パワハラ」が問題視されている中、教会における「牧会」を考える一助となる本です。

私個人の読後感としては…
この著者の主張に共感するところも多く、かつての自分の選択や判断を「やっぱり、これで良かったんだ」と納得、確認しました。
また同時に、「自分の置かれた立場は力を持つことへの誘惑に絶えずさらされているんだなぁ」と釘を刺されるようで厳粛な思いにもなりました。

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ジュリアス・シーザー

2018-02-01 20:22:21 | 最近の読書
しばらく前の授業でのこと。
論文演習というクラスで、自分の卒論に関する発表をしました。

先生やクラスメイトからの質問やコメントを頂くのですが、その中でM先生から、「シェイクスピアの『ジュリアス・シーザー』の一場面みたいですね」というコメントを頂きました。
ちなみに、私の卒論で取り上げている聖書の場面は、サムエル記第二16:20-17:14です。
イスラエルの王ダビデに対して反乱を起こした、王子アブサロムが登場します。
そして、アヒトフェルとフシャイという二人の人物が、アブサロムにそれぞれ異なった助言をするところです。

実は…学生時代にいくつかシェイクスピアの作品を読んだのですが、『ジュリアス・シーザー』はまだでしたので…
これを機会に読んでみようかとふと思い立ち、翻訳ですが早速目を通してみました。
(そんなことしている時間はあるのか!と自分で自分にツッコミを入れてましたが...)

『ジュリアス・シーザー』
ウィリアム・シェイクスピア作
大場建治訳
研究社 シェイクスピア・コレクション6

確かに…
シーザーを亡き者にしたブルータスは、聴衆に向かって語り終え、彼らの動揺を鎮めて、その場を去りました。
しかしその直後、後を託されたアントニーはブルータスのことを「高潔無比」と称えることばをくり返しながら、そのことばの紡ぎ方によって、聴衆を自分の味方につけて、ブルータスに歯向かわせていく、巧みでしたたかな演説をしています。

アヒトフェルのすぐれた助言を覆すために語ったフシャイのことばと語り口は、さながらアントニーのようだとも表現できるでしょうか。
フシャイがダビデの友であり、ダビデを助けるためにアブサロムに近づいていたというシチュエーションにも通じるところがあるかもしれません。

論文の中身では扱っていませんが、頂いたコメントから、また一つ、プラスアルファの勉強になりました。

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ついに届きました

2017-10-12 23:38:50 | 最近の読書
ついに『聖書 新改訳2017』が届きました。
すでに周囲からは「届きました」という話をチラホラ聞いていましたので、そろそろ私のも届くかな、と思っていたところです。



早速、パラパラとめくって、目を通してみました。
私の卒論で言及している聖書箇所も、一部ですが訳語を変更しているところがありました。
もちろんそれで、私の卒論の内容に大きく影響があるわけではありませんが、私の論文にも表現を手直しすべきところがありそうです。

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バランス

2017-09-27 22:41:24 | 最近の読書
先日、ふと思いついたことをネット検索していたら、以前お世話になった先生の論文をたまたま見つけました。
私にとって、内容も興味深く、わかりやすい翻訳で読みやすかったので、その場で早速読んでみました。

『現代神学の概観』 デイル・W・リトル 著 北野 献慈 訳 

この論文の結論部分では、このように述べられています。
「神学は聖書と文化という二つの極の間で機能している。福音主義神学者にとって、啓示の極である聖書はいつも強調されなければならないものだ。同じことが、福音派の牧師や宣教師についても言える。なぜなら神学者だけが『神学をする』のではないからだ。 牧師が聖書を教え、またこの世での信仰者の生活について教えているということは、 彼らもまた神学をしているということだ。(中略)そして良いバランスを持っている人は、聖書を究極の権威とする人である。」

私に与えられている務めのためにも、「神学をする」ことにおいて良いバランスを持ちたい、と願いを新たにさせられました。
そうは言うものの、この時代にあって、良いバランスを保つことは、なかなか困難な課題です。
祈りとともに、神のことば、聖書への地道な取り組みを大切にしていきたいと思います。


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