マイペースで行こう

東村山市内のキリスト教会の牧師のブログです。更新も内容もマイペースですが、18年目に入りました。

「まだお若いでしょ?」

2007-09-27 17:56:26 | 教会の風景
午後からクリスチャン新聞の配布の続きをした。
マンションやアパートが多かったので、思ったより早く配り終えた。

そして、ベストライフのH先生ご夫妻を訪問。
事務所で面会の書類を書いてお部屋へ。
でも、ご不在。
ヘルパーステーションで尋ねたところ、ちょうど入浴中とのこと。

せっかく来たのでロビーのソファーに座って待っていた。
自販機でミネラルウォーターを買って休憩。
すると入所しているおばあさんに声をかけられた。
その方のお孫さんの結婚式の写真を見せてくださった。

しばらくお話を聞いていたら、またもう一人のおばあさんが加わった。
どうやら初めに話していたおばあさんの親戚と間違えているらしい。
「お孫さん?まだお若いでしょ?」
「もう結婚なさってるの?」
という具合に会話が進む。
「好男子(?)ねぇ」と100歳のおばあさんに褒められた。

しばらくしてH先生が入浴から戻られたようなので、「ごめんなさい。そろそろ失礼します。」と告げた。
最初に話をしていた94歳のおばあさんは寂しそうな表情。
何だか申し訳ないような気分がしたけれど、H先生ご夫妻のお部屋に向かった。

H先生ともお話をした。
今日もいろいろなお話を聞かせてくださった。
奥さんもベッドから起き上がり、「東村山教会のあゆみ」に目を通してくださった。
気がついたら4時半を過ぎていた。
どうやら2時間くらいお話を伺っていたようだ。
毎回ついつい長居をしてしまう。

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継続は力なり

2007-09-27 12:11:21 | 教会の風景
祈祷会で使ってきた「いてくれてありがとう」もいよいよラスト。
昨日は集まった5名で感想などを分かち合った。
最後の章は『継続を心がけること』というテーマ。


「存在論的人間観」を初めから身につけている人はいない。
学習しながら、少しずつ身につけるもの。
相手に対して「何を継続しているのか」、自分に対して「何を継続しているのか」ということが私の本性。
失敗してもあきらめない。
自分の足りなさを発見してもめげない。


聖書の言葉を引用して、コメントを加えた。
「正しい者は七たび倒れても、また起き上がる。」(箴言24:16)

弟子のひとり、ペテロを例にあげて説明。
・イエス様のことを「知らない」と言ってしまった。(福音書)
・割礼派の人々を恐れて、福音に反する行動をとってしまった。(ガラテヤ書)
・ローマの迫害を逃れて立ち去ろうとした。(伝説)

ペテロは失敗の度に、自分の不甲斐なさを痛感したと思われるが、それでも自分の人生を投げ出さず、再出発をした。

自分の失敗や足りなさを目の当たりにするのは勇気がいる。
自分の過失だったことを認めるにはそれなりの覚悟がいる。
でも、それから逃げ出してばかりいたら、何の成長もない。
素直に認めて、次に生かすことができれば、より建設的な生き方になるだろう。

投げ出さないこと。
逃げ出さないこと。
いつも前向きでいること。
「もう絶対にダメ」「おしまい」ということはありえない。
なぜなら、私たちの存在を喜び、やり直しをさせてくださる方がいるのだから。
だから継続。

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そこにも福音を知らせよう

2007-09-25 20:51:20 | 教会の風景
「さあ、近くの別の村里へ行こう。そこにも福音を知らせよう。わたしは、そのために出てきたのだから。」(マルコ1:38)

マルコの福音書に見られるイエス様のことば。
イエス様はじっと人々を待っている方ではなかった。
村から村へあの町この町にと自ら足を運んで福音(救いのメッセージ)を伝えた。

今年4月から教会付近の地域の方々にクリスチャン新聞福音版を配布中。
8月半ばからここ一ヶ月ほど、忙しさにかまけて配布が中断していた。
今日久しぶりに美住町の一部の地域に1時間ほどかけて配布できた。
福音を必要としている方々のところに届くようにと祈りつつ。
小さな働きではあるけれど、これからもコツコツ地道に続けていきたい。

「福音は、・・・信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。」(ローマ1:16)

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引越のお手伝い

2007-09-25 10:53:19 | ちょっと息抜き
昨日はH君の引越の手伝いをした。
大家さんの都合で今まで住んでいたところを出ることになった。
次の住まいも決まり、ユースの仲間で協力して作業。
早朝静岡を出て、K先生も車で来られた。

新秋津駅から歩いて行けるし、静かでいい場所だった。
部屋もダイニングの部分が広いし、収納スペースも多くていい感じ。
妻と私は朝9時半頃に新居の方へ到着。
運ばれてくる荷物の整理やセッティングの作業を手伝った。


昼食はドンキーへ。
デザートもごちそうになった。
モンブランパフェおいしかった!


午後はのんびりして休憩が長くなったけれど、夕方までにはほぼ作業完了。
みなさん、お疲れ様でした!!

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何が主のみこころ?

2007-09-25 10:38:32 | 教会の風景
日曜日の夕方は、10名ほどでYouth For Jesusの集会。
いっしょに賛美を歌い、聖書を読むひととき。

聖書はヨハネの福音書11章1-6節を読んだ。
「主のみこころとは?」

友人ラザロが病気との知らせを受けた。
「この病気は死で終わるだけのものではなく、神の栄光のためのものです。」(4節)と語るイエス様。

そして、聖書はイエス様の心をこのように説明している。
「イエスはマルタとその姉妹とラザロを愛しておられた。」
ラザロとその姉妹たちは、イエス様にとって大切な友人たちであった。

その後、イエス様が取った行動は・・・?
「そのようなわけで、イエスは、ラザロが病んでいることを聞かれたときも、そのおられた所になお二日とどまられた。」

大切な人が病気なのに、すぐに行かない?
むしろ、彼の病が死に至ることをほのめかしている。

イエス様はここまですでに多くの病人のために祈り癒すという奇蹟を行っていた。
おそらくラザロの姉妹たちもイエス様に祈ってもらうために知らせたはず。
けれど、イエス様は動かない。

主のお考えは、時として人の思いと異なる。
クリスチャンの間では「みこころ」という言葉で表現される。
私たちはあることを願う。
確かに聖書は「祈り」「願い」を奨励している。
しかし、多くの場合、私たちは自分の思い描いたことを、自分の思い描いたタイミングで、自分の思い描いたプロセスを経て、祈りが聞かれることを願う。
私たちは思い通りにならないことで戸惑い、いらだつことがある。

でも、私たちの思い描くことと「みこころ」がいつも一致するとは限らない。
はっきり言えることは、主のみこころは、私たちの思いよりはるかに深く、善意と配慮に満ちたものであるということ。


集会後はゆっくり交わり。
手伝ってもらいながら夕食はいつもより少し早めに準備。

メニューはチキンカツ。
夕食を食べる人数が少なめだったこともあり、しかもおいしかったので食べ過ぎたかな~
夕食後は、マックへ行ってサンデー(100円)を買って食べた。
そして早めの解散。

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