マイペースで行こう

東村山市内のキリスト教会の牧師のブログです。更新も内容もマイペースですが、18年目に入りました。

Footprints16

2020-11-02 18:51:00 | Footprints

久しぶりにFootprintsカテゴリーの記事を記します。



このことを書いておかないと、自分の気持ちにも区切りがつかないな…と思いましたので。

一ヶ月前に父が亡くなりました。

この四年ほど、父はガンの治療を続けていました。手術を受けて一旦は落ち着いていたものの、その後、再発。薬の副作用の大変さにも耐えながら、本当に最後まで懸命に生きた姿は父らしいものでした。一方、自分の最期を意識して周到な終活もしていました。残された家族を思う、父なりの優しさや心遣いからだったと思います。

父は頑固で一徹なところもありましたが、私の選択も尊重してくれました。私が父の期待から外れた道を選択したのにもかかわらず。家族の中では誰もキリスト教を信仰していなかったのに私がクリスチャンになろうとした時も、また牧師を志す道を選んだ時も、おそらく心情的には言いたいこともあったのでは…と思いますが、父は私の選択を否定しませんでした。

父は仕事やスポーツ(卓球)の分野で地域や社会に貢献することを心がけていた人です。それで、まったく分野は違いますが、私のことも地域や人々の役に立つようにと尊重してくれていたのだと思います。亡くなる二週間ほど前に父とやりとりしたメールで、このような返信がありました。「おはよう。いまが孝則の一番充実した時です。頑張ってね。メールありがとう。」

結局、父の病状はかなり進んでいたのにもかかわらず、コロナ禍のため面会もかなわず、最期までメールと通話でしかコミュニケーションが取れませんでした。でも、こうして父のメッセージが私の手元に残っているのは、せめてもの慰めです。まだ一ヶ月余ですので気持ちの整理をしつつ、父を偲ぶこともしばしばです。私にとって、父は大切な理解者であり、尊敬できる人でした。


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Footprints 15

2019-04-04 19:15:00 | Footprints

 

牧師として働き始めて、14年目を迎えました。

13年間いろいろなことがありました。東京に来た当初には予想もしなかった状況にありますが、これまで私の経験してきた一つ一つが今につながっているように思います。そして、それは「今に」というだけでなく、「将来に」つながるとも言えます。

 

今日のウォーキングの最中、あるPodcastを聞いていました。

 Beeson Divinity Podcast

John Calvin: A Reformer for Our Time

この講義の中で、ふと私の心に留まったことがありました。

宗教改革の先進的な神学者、カルヴァンの一つの特徴に refugee (亡命者)だったことを挙げています。彼はフランスから、迫害から逃れて、ジュネーヴに身を寄せて、働きの場としました。

当時の状況からそうせざるを得なかったのでしょうが、その状況、その条件で、後々までも残る働きをしました。神のなさることは、人の思いを超えています。

 

途中から脱線して、スケールの大きな話になってしまいましたが

身近な話に戻しますと、私も含めて今の開拓教会に集う方々は、ある意味で「流れ着いた者」同士という見方もできるかなと思います(教会の皆さん、失礼な言い方ですみません)。でも、だからこそ信仰や教会について大切にできる視点や志もあるのではないかと私は思っています。

この時代にあって、聖書に基づく教会のあり方、健全さを共に追い求めていく交わりは、私にとって慰めに満ちたものです。新年度を迎えて、この一年も神のみこころが実現していきますように。


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Footprints14

2018-06-21 13:53:07 | Footprints
6月17日の主日礼拝には、母校の恩師であるM先生を講師にお迎えしました。
その礼拝の中で、説教だけでなく按手礼式の司式をして頂きました。

私はこれまで、神学校を卒業するまでは按手礼を受けないと決めていました。
牧会の現場では「牧師」としての実際の働きを担っていましたが、自分なりの考えで線引きをしていました。
もちろん、それぞれの教団教派や教会の文化もありますが、私の場合は神学教育の重要性を意識してのことでした。
経験を積んで学んでいく部分もありますので、生涯にわたって学び続けるのは言うまでもありませんが、基礎となる神学教育を大切にすべきだと考えています。

振り返ってみますと…
高校生のときに献身の願いが与えられながら、紆余曲折を経て、四十を過ぎてから正式に牧師就任の按手礼を受けました。
随分と回り道をしたようにも思えますが、私には必要な訓練の期間だったのだろうと受けとめています。

この日は、多くの方々の立会いのもと、一つの大事な節目を刻むことができて幸いでした。
このように与えられた節目を記念して、ひとこと記しておくことにしました。


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Footprints13

2018-01-04 10:00:54 | Footprints
東村山聖書教会の歩みが3年目に入りました。
私としても思いがけず、再開拓という形で急展開することになった宣教の働きです。

ですが、この2年を振り返ってみれば、主の憐れみは尽きず、主の真実は揺るぎないものだと学ばせて頂くことになりました。



かつて、20代後半のときに、私はこの聖書のことばから教えられました。
(使徒の働き8章5-8節, 26節)
「ピリポはサマリアの町に下って行き、人々にキリストを宣べ伝えた。群衆はピリポの話を聞き、彼が行っていたしるしを見て、彼が語ることに、そろって関心を抱くようになった。汚れた霊につかれた多くの人たちから、その霊が大声で叫びながら出て行き、中風の人や足の不自由な人が数多く癒やされたからである。その町には、大きな喜びがあった。… さて、主の使いがピリポに言った。『立って南へ行き、エルサレムからガザに下る道に出なさい。』そこは荒野である。」

ピリポが、迫害を避けてサマリヤに向かい、そこで宣教の働きの豊かな実りを経験しました。
しかし、そのサマリヤでの実り多き働きから、今度は別の使命を帯びて遣わされます。
その向かった先は、荒野の中の道だったといいます。

当時の私は、ピリポのこの柔軟な切替の姿に教えられました。
単に自分の成功や安定を求めるならば、サマリヤにとどまっていても良いのに、ピリポは惜しげもなく次なる働きに向かいました。
そして、ピリポはそこでも務めを果たして、救いを求めるひとりの人をキリストへと導きました。



この開拓教会の2年間の宣教の働きも、それ以前の働きの条件からすれば、本当に何もないところから始まりました。
それでも、新たに求める方々も加えられ、ご自分の信仰を見直したり、教会に通うのを再開する方々の助けとなるように役立てられました。
主は、万事をご自身の計画に基づいて、成し遂げる方です。
今年も、主の導きにしたがって一歩一歩、進んでいきたいと願っています。



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Footprints 12

2017-09-04 10:17:14 | Footprints
「椰子の実」という島崎藤村の詩があります。
伊良湖岬(愛知県)に流れ着いた椰子の実をモチーフにしているそうです。

名も知らぬ遠き島より 流れ寄る椰子の実一つ 
故郷(ふるさと)の岸を離れて 汝(なれ)はそも波に幾月 …
(『落梅集』島崎藤村 著 春陽堂 1901)


私が愛知県出身ということもありますが、自分のこれまでの歩みにも重なるようで親しみを感じます。
私は生まれも育ちも愛知で、30歳になるまでずっと豊橋で過ごしました。
その間、キリスト教信仰に導かれまして、新たに教会を開拓する伝道者の志を抱いていました。
その頃の私は、自分の生まれ育った愛知県内のどこかの町で教会を始めることになるんだろうな、と漠然と思っていました。

ところが、東京都東村山市にある教会の後任の牧師として働く道が開かれました。
それと同時に、神学校で学ぶという条件もつけられていました。
何もかもが自分には思いも寄らない展開でした。
ほとんどツテのない新たな土地での生活と仕事と学びに踏み出すことになりました。

それから、10年以上経ちました。
教会や神学校、地域で多くの方々との出会いがありました。
かつて豊橋にいるときには、全く想像もしていなかった道のりです。
神のみこころの不思議を思わされます。

聖書は、古えの信仰者たちが「地上では旅人であり寄留者であることを告白していた」(ヘブル11:13)とし、それは「天の故郷にあこがれていた」(同11:16)のでもあると教えています。



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