マイペースで行こう

東村山市内のキリスト教会の牧師のブログです。更新も内容もマイペースですが、18年目に入りました。

思い立ったら、すぐ行動

2006-06-30 21:44:17 | 最近の読書
今日は、礼拝の説教の準備をした。
今度の日曜日は創世記の2:4-7から話すことになりそう。
その説教の準備をしながら、「霊性」ということについて語ろうという考えが浮かんだ。

ただ手元にきちんとした資料となる本がないので、昼食のため帰宅した時にPCで調べてみた。
「キリスト教の霊性」が入門書として紹介されていて、これなら自分の理解力で消化できるものだと判断した。
A.マクグラスの著書であることも惹かれた理由の一つである。
新宿の紀伊國屋に在庫があるとのことだったので、ふと思い立って行くことにした。

普段、出不精な人にもかかわらず、突然思い立って出かけた。
東村山からなら乗り換えなしで30分くらいで行ける。
日頃、東村山や羽村、ひばりヶ丘の辺りしか行動してないので、東京とはいえ、それほどたくさんの人がいる所には行っていない。
しかし、新宿の駅前の人通りの多さにやっぱりこれが東京なんだよな、なんて思ったりした。

無事、お目当ての本を購入。
せっかく行ったので、ついでにもう一冊「使徒教父文書」も買うことにした。
一般の書店にしては、キリスト教コーナーも多少見応えがあった。
ここで、今までなかなか使う機会の無かった図書カードを使った。

早速帰りの電車の中からその本を読み始めている。
日曜の説教にもきっと役立つだろう。

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結婚4周年

2006-06-29 22:42:41 | ちょっと息抜き
ちょうどこの前の日曜日、教会のNさんに西武園ゆうえんちのフリーパスを頂いた。
「月末までの期限付きで申し訳ないですが、良かったら使ってください。地元のことを知ることもいいでしょうから。」と言ってくださった。

ということで、妻と二人で西武園ゆうえんちへ出かけた。
西武園駅は東村山駅のすぐ次の駅。
11時頃、電車で出かけた。
東村山駅で西武園行きの電車に乗ると、車内の乗客の9割はおじさんだった。
西武園に競輪場もあるようで、そこへ行く人と乗り合わせたらしい。

さて西武園駅から徒歩で5分程度ということだったが、実際歩いたら結構かかった。
しかも、今日は天気もよく、日差しも強かった。
入園ゲートに着くまでに結構汗をかいた。

ゆうえんち内では、二人でバイキングなど、いくつかの乗り物にも乗った。
それで少し酔った。
乗っている時の風は気持ちいいが、やはり回転はダメらしい。
だいたい園内を一周して、小高いところにあった休憩所で少し休みながら二人で話をして過ごした。

今日は結婚4周年。
帰宅する前に所沢へ行って、買い物とランチ。
GAPでバッグを買った。
前から目をつけていた商品がまた値引きされていた。
同じようなタイプのを父の日に贈った。
Eちゃんもこの前来た時に買っていったが、その時よりもさらに値引きされていた。
ランチは、ダイエーのところにあるWendy’s(バーガーショップ)で食べた。

3時頃には教会に戻り、教会の庭の草取りなどをした。
雨も適度に降り、植木を刈り込んだために日も当たるようになったため、ものすごい勢いで草が生えだした。
気になっていたので、今週時間を作って草取りをしている。
もう少しで玄関前の辺りはきれいになる。
草取りの途中、H先生がいらっしゃったのでしばらく話をした。

その後、日曜日の説教の準備。

夜7時半頃、帰宅。
豊橋の母からうれしいプレゼントが届いていた。



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その翼には

2006-06-29 09:34:12 | 聖書通読
今日の聖書箇所:マラキ書4章

2節
「しかし、わたしの名を恐れるあなたがたには、義の太陽が上り、
その翼には癒しがある。あなたがたは外に出て、牛舎の子牛のようにはね回る。」

この節は、主なる神様を恐れる(拝し敬う)人に対する約束を示す。
表現が比喩的なので、スタディーバイブルで簡単な解説を読んでみた。

義の太陽:神と神の栄光(イザヤ60:19を参照)
     キリスト(ルカ1:78,79 イザヤ9:2)〔rising sun from heaven〕

その翼:(義の)太陽の光

牛舎の子牛のようにはね回る:つながれていた子牛が、放たれて(陽気に)喜ぶ様子を描写

主を恐れる者に、救い主イエスによる救いと癒しがある。
その翼(光)に表される輝きと温かさは、信じる者に優しく心地よい。
解放感を味わい喜びに心躍る。

表現は独特で、すぐには理解できないが、表現を調べていくと、イメージがつかめると思う。
私自身の経験も重なるようで、調べながら何度か読むうちにこの言葉に感動を覚えた。

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この方

2006-06-28 12:06:34 | 聖書通読
今朝読んだ聖書箇所:旧約聖書 マラキ書3章

特にその中でも2節-4節に心が留まった。
「まことに、この方は、精錬する者の火、布をさらす者の灰汁〔毛織物の工程で、洗浄のために(アルカリ性洗剤として)植物の灰を使用していたそう〕のようだ。この方は、銀を精錬し、これをきよめる者として座に着き、レビの子ら〔神に仕える祭司職〕をきよめ、彼らを金のように、銀のように純粋にする。彼らは、主に義のささげ物をささげる者となり、ユダとエルサレムのささげ物は、昔の日のように、ずっと前の年のように、主を喜ばせる。」

この方とは、やがて来るメシアを指している。
このマラキ書3章の預言どおり、先駆者ヨハネが現われ、その後イエス様が現われる。
新約聖書の福音書の記録のとおりである。

上記の聖書箇所は、このイエスという方を、きよめる者、純粋にする者として紹介している。
「レビの子ら」祭司職にある者、つまり神様に仕える者は、この方によってきよめられると聖書は教えている。
しかも、主を喜ばせるささげ物は、この方のきよめを受けた者からささげられる。

この箇所から、「きよめ」と「神様の喜ばれるささげ物」の源を考えさせられた。
私たちの善良さや向上していこうという意識や行為よりも、礼拝やささげ物をするにふさわしい者に私たちを変えてくださる方(キリスト)に重点が置かれていることに注意したい。
それは、まさに新約聖書が私たちに伝えようとしている、メッセージである。
イエス様にあって、この私も神様に喜ばれる礼拝者とされていることを感謝している。
また、イエス様を信じる者はすべて、どんな境遇や性格や社会的な立場の人であっても、真の礼拝者となれる、と信じている。

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タイへ行くの?

2006-06-27 16:07:11 | 教会の風景
W先生の午後の聖書の学びの後、この夏W先生とタイへ行く人のミーティングがあった。
所沢教会のAちゃんとAちゃんが東村山教会に来た。
簡単なタイ語のレッスンなどしたらしい。
私たち夫婦は聖書の学び終了後間もなくひばりヶ丘の教会に向かい、その後のことは知らなかった。

しかし、その日のスケジュールも終わり、夜家に帰る途中、妻が「K君もタイに行くことにしたんだって。」とのこと。
私:「えっ、今度の?」
妻:「うん、そう。」
私:「今度のって、8月の?」
妻:「うん。」
私:「でも、今から?」
妻:「うん、くどい!何回言えばいいの?」
(私たちを知っている人は光景が思い浮かぶと思う・・・妻は週末から咳がよく出て、声があまり出なくなっていることもある。妻にしてみれば、飲み込みの遅い夫にヤレヤレだと思う。)

ちなみにK君は東村山教会のメンバーで、昨年のタイ旅行にW先生と行っている。
どうやらAちゃんに誘われたらしい。
確かに昼食のとき、「先生はもう一度タイに行く気はありませんか?」と尋ねられて、「機会があればもう一度行きたいね。ところでK君は?」と話していた。
その時に行きたいというような話はしていたが、まさか急に行くことになるとは・・・。

正直なところ、タイの教会の活動や状況に関心を持ってくれているようなので、
それがうれしい。
今回のタイ旅行は今までで一番参加人数が多くなりそうだ。
私は今回行くことはできないけれど、お祈りして応援していたい。


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