マイペースで行こう

東村山市内のキリスト教会の牧師のブログです。更新も内容もマイペースですが、18年目に入りました。

新旧交替

2019-03-31 23:37:00 | ちょっと息抜き

 

しばらく前からずっと迷ってたiPadの買い替え。
これまで使っていたのは iPad2(第2世代)で、私にとって初めてのタブレットです。201111月から7年以上も活躍してくれました。聖書関連や電子書籍のアプリを使用したり、説教原稿のほか書類の管理にも役立ちました。帰省のときには、知育アプリが姪や甥の遊び道具にもなりました。
それでも、そろそろ限界でした。最近は用途も限られてしまって、動きも鈍く、肝心なときにアプリが落ちてしまってヒヤヒヤすることも。というわけで、愛着はあるものの、もう現役引退かなと。
それで新しいのを買うにあたり、数ヶ月前からメルカリでコツコツと費用を貯めてきました。それに加えて、支払いにTポイントを使えるショップを選び、ついに購入。iPad MRJP2J/A 128GB 9.7インチ Wi-Fiモデル ゴールド 2018 春モデルです。第6世代。
新旧交替です。

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読み終えました

2019-03-29 20:22:00 | 教会の風景

この前の日曜日の午後は、教会員有志による話し合い、その後に役員会が行われました。


私たちの教会で定期的に開かれている話し合いでは、前半に学びの時間を設けています。キリスト教の書籍を少しずつ読み進め、お互いに教えられたことを分かち合うスタイルで行ってきました。


今回で『信徒といっしょの牧会』(井出定治著 いのちのことば社 1997年発行)を読み終えましたので、次回から別の書籍になります。毎回のわずかな時間ですが、お互いの牧会や教会への理解と意識が深まっていくことを願っています。



さて、月末になりますので、今月の礼拝説教2回分のあらすじを掲載しておきます。

2019年3月 旧約聖書の講解説教 サムエル記第一 2章1-17節

富や地位は、古代からその人の影響力を測る目安の一つとされてきた。しかし、栄枯盛衰は世の常。ハンナの祈りに(2:4,5)「勇士が弓を砕かれ、弱い者が力を帯びます。満ち足りていた者がパンのために雇われ、飢えていた者に、飢えることがなくなります。不妊の女が七人の子を産み、子だくさんの女が、打ちしおれてしまいます。」とある。彼女は、この世の栄枯盛衰、すべての人の営みに及ぶ神の主権を認め、(2:6-8前半)「主は殺し、また生かします。よみに下し、また引き上げます。主は貧しくし、また富ませ、低くし、また高くします。主は、弱い者をちりから起こし、貧しい者をあくたから引き上げ、高貴な者とともに座らせ、 彼らに栄光の座を継がせます。」と告げた。また、彼女の祈りには、王、すなわち『主に油注がれた者』についての言及が見られる(2:10)。この当時はイスラエルに王はいない(士師記21:25)ものの、やがて来るべき時に立てられた。今、私たちは、イスラエルの王ダビデの子孫として来られた、キリスト(油注がれた者)のことを知っている。キリストは万物の主権者でありながら仕える者となり、信じる者に永遠のいのちと朽ちることのない真の富をもたらした。このキリストを信じ、神を喜び誇る者でありたい。

サムエルとエリの息子たちという対照的な登場人物から神への奉仕について考えたい。サムエルについて、(2:11)「幼子は、祭司エリのもとで主に仕えていた。」とある。もともとは彼自身の意志というより、母ハンナの信仰と誓願のことばのためであった。そうした神の摂理により、「祭司エリのもとで」という環境も整えられ、『主に仕えていた』。幼少期に祭司のもとで学び、働いて、主に仕えたこと(2:18; 3:1にくり返し)は、その後の奉仕に大きく影響を及ぼしただろう。幼少期や青年期に健全な信仰を育むことを考えさせられる(箴言22:6)。教え導く者の存在や健全な教えを学べる環境も大切だ。一方、エリの息子たちについては、(2:12)「さて、エリの息子たちはよこしまな者たちで、主を知らなかった。」と伝えられる。彼らは祭司の息子でありながら、自分の欲望優先で、ひとりの信仰者として主に向かう信仰ではなかった。それは、祭壇でささげるささげ物の扱い、つまり礼拝や奉仕に具体的に現れていた(2:13-16)。聖書は、彼らのしていたことを罪とし、(2:17)「このように、子弟たちの罪は、主の前で非常に大きかった。この人たちは主へのささげ物を侮ったのである。」と伝える。次世代のための環境を整えるとともに、奉仕者としての自己吟味も忘れないでいたい。


最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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桜の下で

2019-03-28 16:28:00 | ちょっと息抜き

今日も少し時間を作って外出。入間川沿いを歩きました。川沿いの桜も少しずつ咲き始めていますが、まだまだこれからです。何気なく、すぐ近くにある枝を撮影。

 

 

…と、その近くでキジ(雉)を見つけました。

 

キジがいたのは私の前方でしたから、このまま歩いていくと逃げてしまうかなと思っていましたが...

 

 

この辺りにいるということはむしろ人馴れしてるのでしょうか...

 

 

私が結構近くにいても、逃げるどころか、気にせず歩きまわっていました。

 

 

これ以上、エサ探し?のお邪魔をしてもいけませんので、iPhoneで写真を撮って、私はその場を後にしました。


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今の自分

2019-03-25 22:54:00 | コラージュ

このところ、体を動かそうと心がけています。今日も用事を済ませた後は、徒歩で40分くらいの遠回りをして帰宅しました。これまでもその程度の時間は十分にあったでしょうに、なかなかその気にならず…。この心境の変化は何なのか、今までは長い長い冬眠の期間だったのでしょうか。

 

私にとって、入間川の周囲は歩くのにちょうど良い環境です。こうした植物や水のある風景が好きだからです。

 

ところで、話は変わりますが、久しぶりにコラージュを作ってみようと思いつきました。

 

この一年を振り返って、いろいろな思い出の場面の写真を集めてみました。このコラージュにあえてタイトルをつけるならば、『再会と送別』とでもしておきます。この一年のいろいろな『再会と送別』の機会に重ねて、自分の人生や仕事について再考することにもなりました。

まだまだ未熟ですし不勉強で情けないと思うこともしばしばですが、今の自分だからこそ分かること、見えてくること、受けとめられることもあります。神のみこころにより、今の自分があるのだとしみじみ思います。


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新たな出発に立ち会う

2019-03-22 16:24:00 | 神学校・講座

先週から今週にかけて、新たな門出に立ち会うことが重なりました。

 

 

先週末、浦和で新たにスタートする教会を訪ねました。K先生を通じて知り合い、数年来の親交を持つ方々です。当初は開所式に一参加者として出席するつもりでした。ところが、説教奉仕のご依頼を頂いて、30分ほどお話することになりました。

新たな一歩を踏み出す方々への勧めと励ましになればと願い、『目を上げて畑を見なさい』と題してお話ししました。父のみこころを行うイエスというモデル、もう刈り入れるばかりの状況という人々のニーズ、収穫作業に与るという喜び、これら三つの要点でした。

「あなたがたは、『まだ四か月あって、それから刈り入れだ』と言ってはいませんか。しかし、あなたがたに言います。目を上げて畑を見なさい。色づいて、刈り入れるばかりになっています。」(ヨハネ4:35)

当日は、教会のスタートメンバーに加え、各地からの参加者も、さらに案内を見て参加したという地域の方々もいました。一つの群れが新たな一歩を踏み出すという機会に立ち会わせて頂きました。

 

今週に入って、今度は神学校の卒業式に出席しました。私の在学中に、学びと祈り、食事や運営上のいろいろな活動も共にした方々の卒業に立ち会いました。

式の中での卒業生の挨拶には、それぞれの信仰や人柄、神学生時代に学んできたことがにじみ出てていました。共に神学生時代を過ごしてきただけに感慨深く耳を傾けました。皆さんはいよいよこれからですし、私よりもひと回りかそれ以上若い方々です。頼もしく思います。

また、お世話になった先生方や卒業生にも会うことができました。それもうれしいことでした。久しぶりの懐かしい再会もありました。

 

現代の傷んでいる社会や教会は深い闇と痛みを抱えていますが、今も変わらず、そこに遣わされていく人々がいます。この世に対する主の憐れみが尽きないことの現れだと私は思います。神の愛とキリストの恵みがふさわしく届けられていきますように。


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