マイペースで行こう

東村山市内のキリスト教会の牧師のブログです。更新も内容もマイペースですが、18年目に入りました。

NEXT

2013-05-30 22:31:13 | 神学校・講座
今日は、牧会塾Fクラス出席のため四ツ谷へ。
今回はお隣の方とペアを組んで、「これからの私」というテーマでアンサーコラージュを作りました。

完成品はこちら。


ちなみに、私が先に作ったコラージュはこちらの部分です。


私のタイトルは、「ここで一区切り、NEXT」としました。
標識の中の「NEXT」という文字もタイトルに入れてみました。

アンサーに込められていたメッセージはとても前向きなもので、私は励ましを受けました。
また、自分の中ではあまり意識していなかった点を示して頂きました。
今日も充実した講義とワークでした。

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季節の移り変わり

2013-05-28 21:50:58 | 教会の風景
ラズベリーの収穫が、もうそろそろ終わります。



これまで収穫したものは冷凍保存しておきました。
後は妻に任せて、フルーツソースにでもしてもらいます。


こちらは、ミカンの木についているアゲハチョウの幼虫です。


ミカンも花が終わり、小さな実がついているのが分かります。
本当に小さな木なので、数える程しか実はなりませんが育てる楽しみはありますね。

もうすぐ6月。
季節の移り変わりを感じます。
紫陽花の花も徐々に色づいてきました。



さて、最後に5月の礼拝説教のあらすじ(旧約聖書の講解分 民数記21:1‐35)を掲載しておきます。

またしても不平不満を口にするイスラエル。「途中でがまんができなくなり」(21:4)、神とモーセに逆らった。主が備えたマナを、「このみじめな食物」(21:5)と呼び、パンと水の欠乏を嘆いた。主は毒蛇で懲らしめ、民は自らの罪を認め告白した(21:7)。 主はモーセに蛇の銅像を造って掲げるように命じ、毒蛇に噛まれた者はその像を『仰ぎ見れば生きる』とした。これまで、民の贖いのための犠牲や香は出てきたが、ここでは蛇の銅像を仰ぎ見ることで毒の被害を免れた。 「仰ぎ見れば生きる」という主のことばへの信仰のゆえであろう。主イエスはご自分の死をこの時の蛇の銅像にたとえ、イエスを信じる者が永遠のいのちを持つと教えた(ヨハネ3:14,15)。
荒野をさまよったイスラエルが、いよいよ約束の地へと足を踏み入れる。民数記21章では、詩を織り交ぜながらテンポ良く旅路を記し、エモリ人の王シホンとバシャンの王オグとの戦いも記す。申命記2章を見ると、イスラエルの旅路と二つの戦いの背景には、確かに『その地を所有せよ』という主のことばがあった。イスラエルは、主のことばに従い、しかも手順を踏んで、徐々に約束の地を手に入れていった。二人の王に対する勝利は、後々まで語り継がれた(詩篇135・136篇,ネヘミヤ9章)。この出来事は、主の恵みと力、約束に対する真実を証し、イスラエル人の信仰を励ました。恵み深く真実な神は、私たちに御国を与えてくださった。すでに神の最善の中に生かされており、やがてキリストによる贖いが完成し、新天新地で神に仕える。


最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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ゆっくりと不器用に

2013-05-21 17:03:56 | 神学校・講座
今日は、K先生の主宰する三鷹の会に出席。
N先生のピアノの演奏もありまして、静かに耳を傾けて心落ち着く時間となりました。


今回は、『教会 なぜそれほどまでに大切なのか』(フィリップ・ヤンシー著 )を課題図書として教会について考えました。
私も拙いブックレポートを提出して、発表の時間を頂きました。


そのレポートの終わりにも記したのですが、本の中で引用されている C.S ルイスの言葉が私には慰めとなりました。

「…神は自分なら完璧に、そして瞬く間になし得ることを、ゆっくりと不器用に行うようにと私たちに命令なさる。」





教会の牧師室の窓の外に見える紫陽花。

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交流分析

2013-05-20 21:34:13 | 神学校・講座
先日、立川で開かれた「手をつなぐちいろばの会」の交流会に参加。
神学校の聴講の後、そのまま立川に向かい、講演を聞いてきました。

今回の講師は、フランスの心理学者の方でした。
交流分析に基づく、カルトの指導者と追随者の間に起こる関係性の説明が、私にとって印象的でした。
カルトの指導者は「子ども」の自我状態にあり、自分に惹きつけた人たちをも「子ども」の自我状態に引き止めて、自分で考えようとしない思考停止に陥らせているということでした。

私にとって興味深い指摘で、考えさせられる内容でした。
仕事の都合もありまして講演の第1部で退出しましたが、有意義でした。



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引き継がれて

2013-05-20 18:02:49 | 教会の風景
昨日の礼拝は、ペンテコステにちなんで「イエスをあかしする真理の御霊」と題して、聖霊の働きについて説教しました。



「聖霊降臨」(エルグレコ)


聖霊が来られたのは、イエスの働きを引き継ぎ、イエスについてのあかしが継続していくためです。


「わたしが父のもとから遣わす助け主、すなわち父から出る真理の御霊が来るとき、その御霊がわたしについてあかしします。
あなたがたもあかしするのです。初めからわたしといっしょにいたからです。」(ヨハネ15:26,27)

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