マイペースで行こう

東村山市内のキリスト教会の牧師のブログです。更新も内容もマイペースですが、18年目に入りました。

今日は大掃除

2014-06-26 17:32:50 | 神学校・講座
火曜日で通常の講義が終わりました。
そして、今日は大掃除。

日頃使っている構内のメンテナンスを全員で協力して行いました。
私は、Sさん、Tさんといっしょに、網戸の張替えをしました。
初めての網戸張替えでしたので、教えてもらいながらの作業。



出来栄えは??


その後、剪定した樹木の枝を束ねたり、刈り込んだ葉を袋詰めする作業を手伝いました。


さて、明日からは集中講義が始まります。
私は、日本キリスト教史を受講します。興味のある分野なので楽しみではありますが、めいっぱいのスケジュールで集中力が途切れないかな...

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こんなところに??

2014-06-25 22:34:19 | 教会の風景

今年も教会の庭の紫陽花がきれいに咲いています。

今晩の祈祷会のために教会へ。
神学校の通常授業が昨日で区切りになり、その他のミーティングなどもありませんでしたので、今日はいつもより早めに教会に到着しました。
いくらか雑用も片付けることができました。

外での用事のため、ちょっと玄関を出た時、ふと気付きました...こんなところに...



カマキリがいました。
この郵便受けにどこから載ったのだろう??



さて、月末ですので、礼拝説教のあらすじを...と思ったのですが、このところすっかり飛ばしていました。
旧約聖書の講解 数ヶ月分まとめて掲載しておきます。


2014年4月 申命記7章1-26節
モーセはカナンに入る民に厳粛な命令を下した(7:1-5)。その内容は厳格なものだ。しかし、それを裏付けるだけの立場がイスラエルには与えられていた。「あなたは、あなたの神、『主の聖なる民』だからである。」(7:6)主はイスラエルを選んで、異邦の民との間に明確な区別を設けた。そして、イスラエルの民を「ご自分の宝の民」とみなされた。
その場合、イスラエルが選ばれた理由も誤解のないようにここに示されている。他の異邦の民と比べて数が多いなど、何らかのメリットがあったわけではない。主ご自身の愛ゆえである。その一方的で誠実な愛ゆえに、主はイスラエルをエジプトから救い出し、約束の地へと導くのだ。
聖書は一貫して、主がお選びになった民を聖なる民と呼ぶ。主が私たちを選び、ご自分の民としてくださっていることに心を留めたい。私たちは主の聖なる民であり、ご自身の宝の民とみなされている。主の愛に感謝しよう。

2014年5月 申命記8章1節-10章11節
 神への信仰には歴史を覚えておくという一面がある。モーセは、イスラエルの新たな世代に『荒野の全行程』を覚えておくようにと命じた(8:2)。そもそも、前の世代が神の約束を信じなかったことで言い渡された荒野での四十年の放浪の旅。しかし、その期間には別の意味もあった。カナンに入る世代にとっては、「訓練」(8:5)であり、親が子供の将来を考えて施すものにたとえられ、「しあわせにするため」(8:16)と言われている。約束の地を受ける新たな世代は、荒野の旅で全面的に神のみことばに拠り頼むことを学ぶように期待されていた(8:3)。神が民の幸いを考え、そのために私たちを訓練することを覚え、試練のうちにも慰めを見出す。
 前回のテーマを引き継ぐ。モーセは、民に「知りなさい」「覚えていなさい」「忘れてはならない」とくり返し呼びかけた(9:6,7)。理解し記憶に留めておくことの大切さを考えさせられる。神はカナンの地での豊かな生活を備えていた。ただし、その豊かさと安定した生活は、イスラエルを誤解させる恐れがあった。そのため、『良い地を受ける理由』を予め明らかにした。それは、イスラエルの民の正しさではなく、先住民の悪への正しいさばきであり、先祖への誓いのためである(9:5)。神の公正と真実のゆえである。イスラエルの民は頑固で逆らい通し(9:7)だったとも言われた。過去を正しく理解し記憶するならば、謙虚にされ、神の恵みを覚えることになる。

2014年6月 申命記10章-11章
モーセの説教は、歴史を踏まえて、奨励へと進む。『主があなたに求めておられること』は何かという率直な質問が導入となる。神はご自分の民の心のあり方、態度に関心を持つ。神への応答を五つの表現「恐れ」「道に歩み」「愛し」「仕え」「命令を守る」で示す(10:12,13)。これは、「逆らいどおし」(9:7)と言った前の世代の姿と対照的だ。そもそも、神は万物の支配者。また、アブラハムとその子孫を愛し、祝福した御方。そして、誠実に契約を守って、イスラエルの民をエジプトから救い出した。ここに語られる応答がふさわしい。私たちが受けたキリストによる救いは、アブラハムへの祝福の成就。私たちの神への応答はふさわしいだろうか。
さらに奨励から報いについてと展開する。神はみこころを明らかにし、そのみことばを聞いた者に選択、決断を求め、報いを備えている。モーセは、(11:26)「見よ」(11:26,27,28)「きょう」という表現で聞く者の注意を促す。そして、「私は」と自らの役割として、大事な岐路を示す。『前に置かれた祝福とのろい』がある。この報いの違いは、「主の命令に聞き従う」か否かに依る。民の当面の課題はカナン征服だが、究極的な目標は主への従順。聞き従わないのは、「ほかの神々に従って行く」、神ならぬものを神とすることだ。私たちはこの時代にあって、神の報いに心を留め、虚無感や建前の信仰に生きる過ちを避けたい。(マラキ3:13-18も参照)

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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焼けました

2014-06-10 22:38:39 | 神学校・講座
久しぶりの更新です。
早いもので、神学校に入って2ヶ月が経ちました。
目の前のなすべきことをしながら、毎日があっという間に過ぎていく感じです。

ぼちぼち生活のペースがつかめてきてますが、以前のようにブログを更新するところまでは...
もう少しかかりそうです。
と言っている間に、夏期調整期間に入りそうな気がします。

さて、先週の月曜日に、関東地区の神学校の親善ソフトボール大会がありました。



聴講生の時にもお誘いを頂いていたのですが、今回が初参加。
ソフトボールを触るの自体、15年以上遠ざかっていますから、有志の事前練習にも参加しました。
怪我をしないのと、ほどほどに楽しめるくらいの勘を取り戻したいと思っていました。
ただし、正式にやってたわけではないので、たいしたことはないのですが。

そのおかげで、随分日に焼けました。
この数週間で、「焼けましたね」とよく言われます。

ちなみに、試合結果は残念ながら1勝2敗。
自分としても、4打数1安打+2四球で、あまり貢献できなかったのが残念でした。
でも、みなさんと楽しくできたのは良い思い出になりました。

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