マイペースで行こう

東村山市内のキリスト教会の牧師のブログです。更新も内容もマイペースですが、18年目に入りました。

リトリート

2018-10-30 14:05:41 | 教会の風景
先日、教会の有志で奥多摩に出かけました。
多摩川のほとりにある、奥多摩バイブルシャレーでリトリートを実施しました。
「リトリート(retreat)」とは、「撤退」とか「避難」を意味することばですが、「日常を離れて修養や黙想をして過ごす」という宗教的な意味にも使われます。

教会の昨年度の話し合いで、この時期に日帰りで出かけ、礼拝と交わりの時間を持ちたいということになり、今回の行事が実現しました。
ロケーションとしても、現在の教会の規模とメンバーとしても、可能な条件だったのも幸いしました。

内容的にはとてもコンパクトでしたが、日常を離れてのひとときは、皆さんにも意義深い時間になったと思います。
当日はずっと天候も良く、昼食のBBQや交わりの時間も、みなさんそれぞれ楽しめたようです。


施設のスタッフの方々のおかげで、私たちはとても良いリフレッシュの時間を頂きました。
主の備えと導きを感謝。
この秋の教会の特別行事が、また一つ終わりました。

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お知らせ

2018-10-27 13:55:15 | 教会の風景
明日、10/28の主日礼拝は、特別行事との兼ね合いで別会場となります。
東村山聖書教会の礼拝に出席しようとしていた方々には大変申し訳ありませんが、何卒ご了承ください。

なお、翌週11月4日の主日礼拝は通常どおりです。
皆さんのお越しをお待ちしています。


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落ち穂拾い

2018-10-25 23:14:44 | 教会の風景
前回、講演会の記事を投稿してから、久しぶりの更新です。
その間も、東村山聖書教会では通常どおりの行事が行われていました。

とは言いましても、集まっている方々の状況は、その時その時で変化していきます。
体調、仕事や学業、家庭のこともそうです。
信仰心を試されるような局面も経験することがあります。

さて、月末になりますので、今月の説教のあらすじを掲載しておきます。

2018年10月の礼拝説教のあらすじ(旧約聖書からの講解分) ルツ記1-2章
 キリスト者にも試練は訪れ、不安や落胆も経験する。信仰者の苦難について考えたい。夫と二人の息子との死別が、ナオミに深い喪失感をもたらしていた。モアブからベツレヘムに帰り、懐かしい人々と再会するも、彼女の心は沈んでいた。「快い」を含意する自身の名を皮肉って、「『ナオミと呼ばないで』、マラ(苦しみ)と呼んでください」と発言した(1:20)。おそらく、ベツレヘムの親類や知人たちは彼女から経緯を聞いたのだろう(2:11)。ルツ記に人々の反応までは記されていないものの、ヨブ記でヨブの友人たちが苦難の原因探しや悔い改めを強く勧めたのとは話が違う。ナオミ自身は、苦難の中で、神をどのように意識していたのだろうか。主なる神を「全能者」と呼び、その全能者が自分を苦しめていると言う(1:20,21)。苦難を通る信仰者が「全能者」を意識するのは、ヨブ記にも通じる。自分の願いとはかけ離れた現実に、己の無力さと全能者を強く意識するようだ。ただし、その全能者が自分に敵対し、不利な証言をしているように錯覚するなら、苦しみは一層募る。神の慈しみと最善を忘れないでいたい。

 ルツとボアズの出会いの場面から神の摂理について考える。聖書は、今後の展開のキーパーソンであるボアズを紹介し、ナオミの夫エリメレクと同じ一族、「有力な」親類だという(2:1)。さて、ベツレヘムで新生活を始めたルツは、ナオミに「畑へ行かせてください」と申し出て、『落ち穂拾い』を提案した(2:2)。「モアブの女」ルツは、「親切にしてくれる人のうしろで」と表現し、自分が置かれている立場の弱さを言い表している。二人の寡婦が生きていくため、必要に迫られての行動に過ぎない。ちなみに、イスラエルの律法には、農作物の収穫の一部を貧しい者たちのために残すよう命じられている(レビ記19:9,10; 申命記24:19等)。ルツは、ある畑で落ち穂拾いを始めた。「それは、はからずも…ボアズの畑であった」(2:3)。しかも、「ちょうどそのとき、ボアズがベツレヘムからやって来て」とも続く(2:4)。「主が」とか「神が」とは述べられず、控えめな表現かもしれない。しかし、二人の出会いに神の摂理を示唆する。ルツにとって安心して落ち穂拾いのできる畑に導かれたことはもちろん、さらに歴史的な意味を持つ。私たちの何気ない日常にも、主のみこころにより御業は現されていく。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

聖書の場面がルツ記の「落ち穂拾い」ということでしたので、ミレーの絵も添えてみました。


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講演会

2018-10-09 15:38:52 | 教会の風景
日曜の午後、予定通りに講演会『人を助けるとは』を開催。
対人援助に関心を持つ方々、25名余が参加してくださいました。

こちらは開場前、みなさんをお迎えする直前。


講師K先生の講演の内容はもちろん、参加者の意欲や意識の高さとが共鳴しているような印象を受けました。
私もお話を伺いながら、これまでの自分の仕事や信仰のあり方を振り返ったり、今後に生かせる視点などの示唆を頂きました。

「人を助ける」と言っても、社会や制度の構造上、多くの難しさがあります。
その中で自分の燃え尽きを防ぎ、相手も生かすために、まずできること、心がけることは…

楽しむ心と態度。
「これで良し」とする加減。
日常の小さなことへの気付きと感動。
互いに安心できる環境。

… 特に私の心に留まったことを自分なりに咀嚼してみました。

あと、内容とは別にもう一つ良かったなぁと思うことがありました。
今回のプログラムの運営を教会の皆さんと協力して、適材適所で果たせたことです。
これもこの秋の収穫ですね。

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枝を切って

2018-10-05 23:16:24 | ちょっと息抜き
わが家の室内で育てているオリーブ。
成長はゆっくりですが、順調に伸びています。

枝の広がりのバランスを考えて、今日、一本の枝を切りました。
とりあえず、それをグラスに入れてテーブルに。



ネットで調べたら、どうやら挿し木にするには季節外れのよう。
5月か6月、もしくは2月頃がおすすめなんだそうです。
まぁ、それでも試してみようかな。

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