あふさきるさの日常

旅の画像やらいろいろ

おゆみの椎名神社

2017年03月25日 | 日記

椎名神社

京成おゆみの駅からなんとすぐそばで南側にある。
驚くぐらいかっておゆみのはこうだったのだろうと思われる長閑な
田園風景で集落がある。神社は宅地造成の折移転してここに鎮座
されたとのこと。

椎名神社の前身は熊野神社で御祭神は天之御中主命  (アメノミナカヌシノミコト)、
伊邪那岐尊  (イザナギノミコト)、速玉之男尊  (ハヤタマノオノミコト)、
須美熊夫尊

椎名大明神は天平年間(729-749)の創建と伝えられている。
「千葉縣千葉郡誌」によると
本殿間口四間三尺奥行き二間半、
境内二段十歩山林七畝十歩、氏子五十三戸ありとのこと。
10月17日(火)には例祭が行われる

椎名氏は千葉常胤(平安時代末期から鎌倉時代前期の武将。)の弟
椎名胤光を祖とし椎名崎に居館があったそうな。

 境内には白旗大権現が合祀されている。
源頼朝が安房から上京し途中椎名崎で武運と人々の安全を願い、
建てられたそうだが昭和46年に椎名神社に合祀されたとのこと。

  

 こんなところに!  ネットに https://www.kattago-tougei.com/

聖寶寺

真言宗豊山派  裏に墓地がある。

明治42年椎名城趾内の妙見社の他、
字谷津前の香取社、字宮ノ下の天神社、字池ノ入の第六天社、字泉谷
の弁財天社が合祀され、昭和46年、白幡大権現も合祀され

椎名神社に祀られている。

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ちはら台いちはし橋付近

2017年03月25日 | 日記

まだまだ冬景色 番場と共に散歩道

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市原ちはら台 山王大権現 番場神社へお参り

2017年03月11日 | 日記

山王大権現  土地の人は番場神社という。

番場神社は県道130号線番場交差点すぐ近くに鎮座されているので番場散歩の
折によくお参りする。今日は運よく1日、15日のお宮あきで中もお参りできた
周りには昔と違い今は里山の景色もなく竹林が多い

御祭神は大山くいの命。
山の地主神様だが地区民の手厚い保護で祀られている。
ご神木は欅の大木であったようで切り株がその名残りを想像させる。
裏手には子安神社と天神さまが祀られている。文化元年と記されていた。
拝殿内には猪退治の絵馬が飾られていた。

番場は昔からの家が多くまた人も親切な人が多そうだ。
道路わきの自分の家のそばでもないのに車からごみを捨てるので
掃除したり草刈りをしているご婦人もいた。昔はこういう人が多かった。

付近の住民の御宅、昔の生活と歴史をしのばせていて暫し郷愁にふける。

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今日という日

2017年03月10日 | 日記

寒かったあの日、何年たとうがNEWSをみても涙が流れる。地震が怖い。

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まだ寒い仙台 白石城

2017年03月10日 | 日記

中国の『東北大留学生に中国で一番人気がある武士はと聞くと即座に
「片倉 小十郎」と言われた。

関が原の合戦、徳川家康の命を受けた伊達政宗により攻略され城は
伊達家の支配下となる。この戦いでの勲功により政宗の重臣である片倉
小十郎景綱が白石城主となり伊達氏家臣片倉小十郎によって大改修がなされ、
以後明治維新まで二百六十余年間片倉氏の居城となり、城下町として栄えた。
徳川幕府により一国一城制が施かれたさいも例外的に仙台藩の支城として認められ
明治維新まで片倉家11代の居城として続きました

白石城は、戊辰戦争の奥羽越列藩同盟締結の地として知られています。
会津若松城陥落後明治7年(1874)に城郭は解体されてしまいました。

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