OL主婦の小さな幸せ。

日々の出来事や小さな幸せ、お出かけ、身近なエコ、環境問題、フェアトレード、鳥のこと、アロマなどを綴っています。

真冬の松本旅行~色々な角度からの松本城~

2018年01月30日 | 旅行・小旅行

1月半ば、夫の遅い正月休みに長野県松本市へ1泊温泉旅行に行って来ました。
今回は夫の12月繁忙期の疲れを癒やす目的なので、あまり予定を詰めずに、ホテルの温泉と松本城のみ・・
と言いつつ、時間があり過ぎて結局歩き回ったのですが笑。

松本市は、かつて出張研修で1年ほどの間に毎月2回、2泊で訪れており、私にはとても懐かしい土地。
でもその頃は仕事だし散策する時間などなく、松本城すら行ったことはありませんでした。

余談ですが、今回泊まった温泉大浴場がある「ドーミーイン松本」が、私が出張で毎回使っていた「ホテル新升」というビジネスホテルの跡地に建ったホテル、ということが現地でわかって、ちょっと感慨深くなりました~
 

往きに乗った、特急スーパーあずさ号。


そうそう、今は「8時ちょうどのあずさ2号」は
ないらしいです。
私達は立川駅から乗るので、あってもどのみち乗れないんですが^^;


ここからの画像はすべて松本城です。 



天守が国宝指定されている5城のうちの一つ。
(他は姫路城・犬山城・彦根城・松江城)

現在、天守を残す城は12しかありません。その12天守の中では唯一の平城です。
そしてその現存する天守12城のうち、五重六階の天守としては日本最古の天守。
(五重の天守は松本城と姫路城のみ)

なんかいろいろすごい。





戦国大名が領国をめぐる争いを繰り返してきた戦国時代、
常に敵と戦い、敵から領国を守ることを念頭にした戦略拠点としての性格が強く、強固な城として造られたそうです。
松本城の大天守などは、こうした時代の末期に関東の徳川家康の監視という役割を負って築造されました。

江戸時代初期の平和になった時代に、戦う備えをほとんどもたない二棟の櫓が建てられ、異なる時代にわたって建築されたことになります。
それぞれ結合された天守・櫓が複合しているのが松本城の特徴だそうです。
戦国時代と江戸時代、違う時代の天守・櫓が複合された天守群は日本でも唯一ということです。
(情報サイトから抜粋) 

いろいろな角度から撮ってみました。
コンデジとスマホで撮った画像なので伝わらないかもしれませんが、とても美しく絵になる城です。 
※スマホで撮った画像はかなり鮮やかです。 





松本城は、戦国時代から400余年の風雨に耐えた
漆黒の城と言われています。



外壁に黒漆(くろうるし)を塗った「漆黒(しっこく)の城」。
これは、小笠原氏のあとに入城した石川数正・康長親子によるもので、豊臣秀吉の大阪城が黒で統一されていたことから、秀吉への忠誠のしるしと言われています。
それに対し、姫路城のように「白亜の城」は徳川家康の時代の城とされるそうです。
(情報サイトより)

黒壁をよく見ると、鉄砲狭間や矢狭間があるのがわかります。
上から3番目の屋根の上の三角形の装飾「千鳥破風(ちどりはふ)」は通常は明かり取りとして使われていましたが、
戦闘の際は内側から銃で狙える造りにもなっていて、物見の役目も果たしました。



漆喰の白と漆塗りの黒のコントラストが絶妙。




お堀には鴨や白鳥もいます。
かつて彦根城のある滋賀県彦根市や岐阜県高山市から贈られた白鳥から繁殖したそうです。

鴨の群れの中を優雅に通る白鳥の姿は
「白鳥さまのお通り~」的に見えました。



 

ここからは城門です。

太鼓門


太鼓門内側


黒門(二の門・高麗門)

今回は天守内部には入りませんでした。
松本へはまた行きたいので次の楽しみに。 


おまけ画像☆

街中の小さな松本城^ー^
小さいけど五重じゃないけどちゃんと白漆喰と黒漆喰で仕上げてます。すごい!!


 

コメント
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