過去の病気の話です。
車を運転中、コ-ナ-を曲がると急に西陽が目を射しました。
あまりの眩しさに、無意識に瞼を閉じ、再び瞼を開けようとした時にぴくぴくと痙攣をはじめました。
家に着くまで、ず-っと痙攣が止まらず、でもその内に止まるだろうと思って様子を見ていました。
夜になっても収まらず、翌朝、目が覚めると、まだ痙攣が止まりません。困って近くの眼科へ行きました。
眼球を丁寧に調べて、異常なしと診断されましたが、
医師は「チック症では無いですね。一度脳神経外科で診察を受けてはいかがでしょう。」と勧めてくれました。
そのまま近くの神経外科に行ったものの、CTを撮影して異常なし、薬も無し。
範囲を広げて眼科を何件も回るのですが、結果は皆異常なし。
今思えば、異常があるのは瞼なので、いくら目玉を調べても無駄な事でした。
やっとそれに気づいてみたものの、ひっきりなしの痙攣に困り果て、
辛いので何とかならないものかと再び神経外科を訪れて訴えると、紹介状と画像を持たされて
市立病院へまわされました。
市立病院では、加えてMRI/MRAを撮影した結果、眼腱痙攣と診断されました。
医師曰く、方法は投薬か手術ですが、取りあえず薬を飲んで下さいと、パ-キンソン病の薬を処方されました。
これが又、、飲んだ後が薬が咽に詰まる感じで、それがず-と続いて、一日中気分悪い薬でした。
痙攣が全く収まらないので、まずはおでこの皮膚が凝り、頭皮が凝り、首、肩、遂に背中に鉄板を入れた様になり、
虚脱感でぐったりしてきました。薬は半年位で勝手に飲むのを止めてしまいました。通院もやめました。
誰かと向かい合って話をしていると、おばさんの顔を見ている相手の方が、痙攣に疲れてしまうようでした。
痙攣が辛いので、少しでも楽になりたくて瞼を閉じました。
ところが瞼は閉じても痙攣は止まりませんでした。歩いていても、自転車に乗っても、辛くて瞼を閉じる様になり、
人や電信柱にぶつかりました。そうしている内に、今度は瞼を開けようとする時に、瞬間的に開かなくなりました。
「さあ、目をひらくぞ!」と目の周りに意識を集中させて、「えいっ!」と掛け声をかけて瞼を開けました。
車の運転時は、自動で開かなきゃ、手動で開けてやれ!とばかりに、片手で、瞼を吊り上げていました。
たまたま旅行で台北に行く事になり、上手いと評判のマッサ-ジ店を二件訪ね、全身マッサ-ジを受けましたが、
「アナタ、カタイ・・・」とさじを投げられました。
針治療も受けましたが、これは疲れには少し良いようでした。でも、根本的な改善ではありませんでした。
あまりに長い間、休み無く痙攣しているので、瞼の腱が切れて 眼瞼下垂になり、瞼が垂れ下がって来ました。
今はとても感謝している友人の紹介で皮膚科を受診しました。 ここに早くたどり着けば良かった
瞼の周りの(肛門の様に周りを取り巻く)腱の痙攣を、伝達を止めてしまう切断手術と
垂れて伸びた分の瞼を切って、縫い縮める手術を同時にやりました。
「どんなに痛くても、どんなに無様な顔に成ろうとも構わない、この疲れから解放されたい・・」
術後の腫れあがった両瞼に、にじんで来る血をガ-ゼで抑えながらホテルに着くと、
痛みを感じる余裕すら無く、全身の緊張が解けた解放感で、ベッドになだれ込みました。
聞けば、夜中じゅう大イビキだったそうです。
術後の診察を受けた後、サングラスを掛けて帰宅。
数日間は、縫い縮めた瞼が寝ている内に半開きと成り、それによって眼球は乾いて痛みを伴いました。
目薬を差し、瞼に塗り薬・・そうしているうちに症状も落ち着き、ゆっくり眠れることが実感できました。
穏やかな眠りから覚めたある日、鏡を見ると、
!!眉が濃い! 縫い縮めた瞼の上まで、もじゃもじゃの眉が広がっていました。
まるで原始人。次の処置は伸び放題に幅の広がった眉を,自分で通常の位置に整備する事でした。
「痛っ・たた・・」時に涙を滲ませながら、原始人から現代人へ、伸びてくる眉毛を一本、又一本と抜きました。
皮膚科で行った手術は痙攣を遮断する対処治療なので、美容整形とは目的も出来上がりも違い、
以前の顔とは変わりましたが、久々に会う人にも認識?してもらえる程度なので、まあいっかなのです。
病気は身体だけでなく、心を病みますね。こころが折れたら、病気に負けたら・病人になってしまいます。
実は同時期にもう一つの病気と闘っていました。
車を運転中、コ-ナ-を曲がると急に西陽が目を射しました。
あまりの眩しさに、無意識に瞼を閉じ、再び瞼を開けようとした時にぴくぴくと痙攣をはじめました。
家に着くまで、ず-っと痙攣が止まらず、でもその内に止まるだろうと思って様子を見ていました。
夜になっても収まらず、翌朝、目が覚めると、まだ痙攣が止まりません。困って近くの眼科へ行きました。
眼球を丁寧に調べて、異常なしと診断されましたが、
医師は「チック症では無いですね。一度脳神経外科で診察を受けてはいかがでしょう。」と勧めてくれました。
そのまま近くの神経外科に行ったものの、CTを撮影して異常なし、薬も無し。
範囲を広げて眼科を何件も回るのですが、結果は皆異常なし。
今思えば、異常があるのは瞼なので、いくら目玉を調べても無駄な事でした。
やっとそれに気づいてみたものの、ひっきりなしの痙攣に困り果て、
辛いので何とかならないものかと再び神経外科を訪れて訴えると、紹介状と画像を持たされて
市立病院へまわされました。
市立病院では、加えてMRI/MRAを撮影した結果、眼腱痙攣と診断されました。
医師曰く、方法は投薬か手術ですが、取りあえず薬を飲んで下さいと、パ-キンソン病の薬を処方されました。
これが又、、飲んだ後が薬が咽に詰まる感じで、それがず-と続いて、一日中気分悪い薬でした。
痙攣が全く収まらないので、まずはおでこの皮膚が凝り、頭皮が凝り、首、肩、遂に背中に鉄板を入れた様になり、
虚脱感でぐったりしてきました。薬は半年位で勝手に飲むのを止めてしまいました。通院もやめました。
誰かと向かい合って話をしていると、おばさんの顔を見ている相手の方が、痙攣に疲れてしまうようでした。
痙攣が辛いので、少しでも楽になりたくて瞼を閉じました。
ところが瞼は閉じても痙攣は止まりませんでした。歩いていても、自転車に乗っても、辛くて瞼を閉じる様になり、
人や電信柱にぶつかりました。そうしている内に、今度は瞼を開けようとする時に、瞬間的に開かなくなりました。
「さあ、目をひらくぞ!」と目の周りに意識を集中させて、「えいっ!」と掛け声をかけて瞼を開けました。
車の運転時は、自動で開かなきゃ、手動で開けてやれ!とばかりに、片手で、瞼を吊り上げていました。
たまたま旅行で台北に行く事になり、上手いと評判のマッサ-ジ店を二件訪ね、全身マッサ-ジを受けましたが、
「アナタ、カタイ・・・」とさじを投げられました。
針治療も受けましたが、これは疲れには少し良いようでした。でも、根本的な改善ではありませんでした。
あまりに長い間、休み無く痙攣しているので、瞼の腱が切れて 眼瞼下垂になり、瞼が垂れ下がって来ました。
今はとても感謝している友人の紹介で皮膚科を受診しました。 ここに早くたどり着けば良かった
瞼の周りの(肛門の様に周りを取り巻く)腱の痙攣を、伝達を止めてしまう切断手術と
垂れて伸びた分の瞼を切って、縫い縮める手術を同時にやりました。
「どんなに痛くても、どんなに無様な顔に成ろうとも構わない、この疲れから解放されたい・・」
術後の腫れあがった両瞼に、にじんで来る血をガ-ゼで抑えながらホテルに着くと、
痛みを感じる余裕すら無く、全身の緊張が解けた解放感で、ベッドになだれ込みました。
聞けば、夜中じゅう大イビキだったそうです。
術後の診察を受けた後、サングラスを掛けて帰宅。
数日間は、縫い縮めた瞼が寝ている内に半開きと成り、それによって眼球は乾いて痛みを伴いました。
目薬を差し、瞼に塗り薬・・そうしているうちに症状も落ち着き、ゆっくり眠れることが実感できました。
穏やかな眠りから覚めたある日、鏡を見ると、
!!眉が濃い! 縫い縮めた瞼の上まで、もじゃもじゃの眉が広がっていました。
まるで原始人。次の処置は伸び放題に幅の広がった眉を,自分で通常の位置に整備する事でした。
「痛っ・たた・・」時に涙を滲ませながら、原始人から現代人へ、伸びてくる眉毛を一本、又一本と抜きました。
皮膚科で行った手術は痙攣を遮断する対処治療なので、美容整形とは目的も出来上がりも違い、
以前の顔とは変わりましたが、久々に会う人にも認識?してもらえる程度なので、まあいっかなのです。
病気は身体だけでなく、心を病みますね。こころが折れたら、病気に負けたら・病人になってしまいます。
実は同時期にもう一つの病気と闘っていました。
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頑張って更新しますね。