「イエスは、わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。
(聖書マタイ福音書)
自分のしたいことをするのは子ども。自分のすべきことをするのが大人。魚の欲しい人に魚をあげる事ではない。
魚の欲しい人に魚の釣り方を教えることだ。人の世話に頼らなくても自立を目指すそのことが大事だからと説いています。
リハビリの言葉にもいいですね。
The lord shepherds me.
人のために生きていこう。
「イエスは、わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。
(聖書マタイ福音書)
自分のしたいことをするのは子ども。自分のすべきことをするのが大人。魚の欲しい人に魚をあげる事ではない。
魚の欲しい人に魚の釣り方を教えることだ。人の世話に頼らなくても自立を目指すそのことが大事だからと説いています。
リハビリの言葉にもいいですね。
The lord shepherds me.
人のために生きていこう。
仏教用語に「寂寞(じゃくまく)」があります。
生きることのもの寂しくひっそりしていることの意味があります。
賑やかばかりでなく、寂しさも感じさせる人が信頼されるようです。
『すこしも暗黒がないとしたら、人間はその身の堕落に気づかないであろう。
すこしも光がないとしたら、人間は救いを願わないであろう。
自分のみじめさを知らずして、神を知ることはできない』
(パスカル)
人に暗いところがあるのは、人間としてまともに生きている証拠である。
暗いから、神はほど遠いと自覚すると述べています。
親鸞も同じ事を述べています。
自分は『煩悩具足の凡夫』だから阿弥陀様にすがるしかないと述べています。
自分の暗いところは誇りに感じなさいと説いています。
人の世は一人では生きていけません。
寂しさと孤独も必要なものだと思います。
今日の気づきになれば
感謝