最後の一匹。
季節を過ぎて鳴く虫のことをいいます。
今日も聞こえます。
「きりぎりす
忘れ音に啼(な)く
こたつかな」
(芭蕉)
何かわびしい言葉です。
「気をつけて
忘れ音に啼く
母の声」
懐かしい母の声のように聞こえたよ。
最後の一匹。
季節を過ぎて鳴く虫のことをいいます。
今日も聞こえます。
「きりぎりす
忘れ音に啼(な)く
こたつかな」
(芭蕉)
何かわびしい言葉です。
「気をつけて
忘れ音に啼く
母の声」
懐かしい母の声のように聞こえたよ。
「青空を冬の雁(かり)が渡って行き、人もない山には木の葉が飛んで散ってゆく。
夕暮れに靄(もや)の立ちこめた村里の道を、ただひとり空(から)の鉢を持ったまま帰ってゆくのだ。」
(良寛)
子どもと無心に遊んだり、お年寄りにマッサージやお灸をしたりしても、米や豆の施しもなくひとり寂しく山に帰って行く。
働き損のくたびれ儲けという言葉があるが報酬の代価はお金だけではない。
子ども達の喜ぶ姿や、お年寄りの感謝の笑顔が鉢に一杯つまっている。
私も書を教え、お年寄りの笑顔をもらって自転車で帰る。
夜ひとり酒を飲む時、良寛のこの「空の鉢」の詩を思いだすのだ。
良寛さんと酒を交わす日を指折り数えながら。
「人生の目的を持っている者は、音楽や歌がなくても、どんな舞も踊る事ができる。」
(私)
どのような逆境にあっても、目的(目標・希望・夢・言葉)があれば踊る(生きる)事ができ
ます。
出会いも別れも、いろんな体験も目的のために必要だったと感じています。
自分の道は自分が切り拓くしかないのです。
幾つになっても諦めないことが大切です。
ここにいる皆は、どんなに苦しくても前を向いて生きる同士です。
たくさん勇気をもらってください。
いつもありがたく感謝しています。
「稽古とは、一より習い、十を知り、十よりかえる、もとのその一」
(千利休)
再び基本に戻り、心技体も初心を忘れてはならないということでしょうか。
あらゆるスポーツや習い事も初めて教えて頂いた事をつい忘れてしまい自己流になってスランプになってしまう。
人に教えたり、アドバイスされて気づくものです。
人生も同じ、生まれて来た時は裸。
無心に遊んだ子どもの心をいつまでも忘れてはならないと思います。
「無欲とは、一より習い、十を知り、十よりかえる、もとのその無欲」
(私)
「貧乏と、屈辱と、嘲笑と、そして明日の望みのなくなったときこそ、初めて我々は人生に触れるのだ。」
(山彦乙女)
「怒ってはいけない、人間は生きている限り、飲んだり食ったり、愛したり憎んだりすることから離れるわけにはいかないものだ。
どんなに大きな悲しみも、いつか忘れてしまうものだし、だからこそ生きてもゆかれるんだ。」
(栄花物語)
「にんげん
生きているうちは
終わりということは
ないんだな。」
(おさん)
秋の夜中は大好きな 山本周五郎の作品に触れてみようと思います。