今日は外国の諺や旧約聖書などから心の安らぎや納得する一言を紹介します。 ●明日は新しい日だ 過ぎてしまったことをくよくよ考えているよりも、明日という新しい日のことを考えるほうが気持ちが元気になる。 ●悲しみは他人に話すと薄らぐ 人に心の内を話すことによって、気持ちが楽になる。楽になったぶんだけ苦しみや悲しみがやわらぐ。 ●心の奥底に達してあらゆる病を癒せるのは音楽。 あらゆる病を治すのは温かい言葉だ。 音楽は心を癒してくれるが、あらゆる病を治せるのは、その人を思いやる気持ちにあふれた温かい言葉である。 ●心の楽しみは良い薬である。 楽しいことというのは、それ自体が心を癒す薬となる。 ●最大の富は、わずかなものに満足できる心のことである。 わずかなものに満足できるといつも心が満たされるので、そう感じられることが最大の富と言える。 ●空(から)の器がもっとも音をたてる。 (イギリスの諺) 内容のない者ほど、口でギャアギャアと騒ぎたてる。 ●世界は苦難に満ちている。 また、それを乗り越えることにも満ちている。 (ヘレン・ケラー) ●深い谷に水を満たすことはできても 人の心を満たすことは 難しい。 ●「必要があればあるほど拒まれるものが忠告」 (レオナルド・ダ・ビンチ) 心に響く言葉がありますように。 祈願
人間には他にも読み方があります。 「じんかん」と読めば 仏教用語で人の住む世界、現世のこと。 「ひとま」と読めば 人のいない時。 そして、「ひとあい」と読めば、人付き合いや人に対する愛想のことで、「人愛」とも書きます。 人間とは「人愛」という意味があるので、人と接することで自分を磨いてくれると思います。 いつの世も人間関係は奥深く大変なものと感じています。 仏教用語の中に、仏の道を悟った楽しみのことを「道楽」と呼ぶとあります。 修行を積んで、道を極めた人の真の楽しさのことを意味していました。 いつしか、単なる趣味や楽しみの意味に変わり、道楽者、道楽息子等と享楽的な楽しみに使われてしまいました。 自分の道を一歩一歩楽しみながら歩いて行く。 それが本来の道楽なのですね。 皆様も真の道楽を見つけて下さい。 祈願
黄落(こうらく)とは銀杏や柿の木などの木の葉が、黄ばみつつある中に、早くも散りゆくものがあるさまをいう。
「黄落の道 いつも通る道 黄ばんだ木の葉が 舞い散っている 散る葉の想いを 聞きたくなる
幸せだったかと…」
散るものの思いが 身近に感じる季節。
温まる手袋、マフラー、カイロを準備しなくては。 感謝
1694年11月28日大阪御堂筋で没す。51歳。 今日は芭蕉の命日です。 朝何気に芭蕉の事が頭に浮かんだので知らべました。 最後の最高傑作と言われている句。 『この秋は 何で年寄る 雲に鳥』 この秋は、まさに人生の終わりの秋だった。 夢は枯野をかけめぐり、 身に深い老いを感ずる。 秋風に運ばれるように 雲は流れ去っていき 雁は北に向かって発つ。 私の死期はもう近い。 素晴らしい句に 感銘しました。 感謝
ライバルだけに陽が当り、自分は失敗だらけ問題だらけでいっこうにお呼びがかからない。 いま貴方は焦っていませんか? そんな貴方に昔の人はこう言ってます。 『花がしぼんで木に影 もなし』 これは決して貴方が影もない人と言っているわけではありません。 冬のあいだ花をつけない木は、死んでしまったのではなく、次の春に向けて花を咲かせるエネルギーを蓄えているのだという意味です。 だから焦らず、今は 『花がしぼんで木に影もなし』 花を咲かせる為の準備をしているのだと自分に勇気をつけて下さい。 その信念が花を咲かせる栄養になるのです。 僕は病の為に一戦から退き昇進も遅れました。 しかし、あの数年の底を耐えたから、僕を必要とした時期が来て 一躍活躍した経験がありました。 くさらないで、諦めないで下さい。 『明日は貴方の為にある』のですから。 明日の力になりますように。 祈願