生きる力になれば

ペンネーム良寛地蔵。70代のブログです。言葉で生きる力になればと綴って15年が過ぎました。

白蓮の生き方

2019-06-30 02:35:50 | 日々の暮らし

仏教語に「妙好人」という言葉があります。

ひなびた漁村に妙好人といわれる老婆が住んでいました。

いつも自分が生かされていることを神仏に感謝していました。

ある夏、おおぜいの家族と一緒に小舟に乗り、湾を横切って対岸の親戚へ行くことになりました。

天気はよかったのですが、風が強かった。

お婆さんは日傘をさして舟のまん中に座っていました。

湾の中ほどまで来たとき、突然小舟は横波をくらい大きく傾きました。

子供たちが驚いて立ち上がった。 バランスがくずれて、アッという間に小舟は転覆してしまいました。 海に投げ出されたみんなが、ようやく舟べりにしがみつくと、お婆さんがいません。 必死になって小舟を引き起こしたところ、 なんとお婆さんは日傘をさしたままで、お念仏を唱えながら舟のまん中に座っていました。

「私は舟がひっくり返ったとき、阿弥陀さまがお迎えにいらっしゃったと思い、ありがたくてただもうお念仏を唱えていただけだよ」 と答えたという。

妙好とは清浄な白い蓮華(れんげ)の花を表します。 これから、学門や教養がなくても愚かな考えを持つこともなく、 自然の恵みに感謝して自由に生きることを 「妙好人」と 呼ぶようになりました。

また、石川啄木が友人が偉くなり、不遇を嘆き愚痴りたくなったとき、

「友がみな われより偉く 見ゆる日は

花を買いきて 妻とたのしむ」 と歌っています。

人はどんな悪い環境におかれたときでも、決してあせらず、自分の現在の持ち場に生かされていることを感謝して、心豊かに生きて行けばよいのです。

啄木の妻のように大半の女性は分かってくれるものです。 蓮華はよどんだ汚ない泥の中から育つけれども、真っ白で清浄な花を咲かせる「白蓮(びゃくれん)華の人」といわれる妙好人の生き方を見習いたいと思います。

あなたも妙好人に なりますように                  合掌

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

心のリボンを投げる

2019-06-29 02:50:45 | 日々の暮らし

近くの小さな図書館に寄りました。 25年以上前の新潟市立小学校、おばた ただお 校長先生の「心のリボン」のお話を読み感動しました。 運動会の閉会式の挨拶です。 子供たちの胸にはリボンがついていました。 一等は青、二等は黄色、三等は赤のリボンです。 一人三回競技に参加しましたので、多い子は三つのリボンをつけていました。 また、一つもつけていない子もいました。 それを見て急に覚えてきた挨拶をやめて言いました。 「リボンを三つ胸につけている人、手をあげなさい。 この人たちは大変がんばった人です。 その場所にしゃがみなさい。」 「次に、リボンを二つつけている人、手をあげなさい。 この人たちは、次にがんばった人たちです。 しゃがみなさい。」 このあたりで、父母の方々は心配そうになってきたそうです。 「次に、リボンを一つつけている人、手をあげなさい。 この人たちもがんばりました。 しゃがみなさい。」 立っているのは、父母が心配しているリボンのない子でした。 「いま残った人は、一生懸命やったけど、もうちょっとのところでリボンがもらえなかった人たちですね。 がんばったことを誉めて、校長先生が心のリボンをあげます。 さあ、投げますから空中で受け取って胸につけてください。」 と言ってリボンを投げるまねをしました。 立っている子たちは、 空中でそれを受けとるまねをして胸につけました。 父母の席からは拍手が起きました。 次の年、父兄から、うちの子は太っているので走るのが遅く、今までに一度もリボンをもらったことがなかった。 今年も心のリボンが欲しいと言ってます。 やめないでくださいと頼まれたそうです。 それから、毎年続いているそうです。 形のない、 目に見えない 「心のリボン」に 子供たちは救われたのです。 私も1人悩んでいる貴方に心のリボンを 投げましょう!       合掌

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

悟りの雨

2019-06-29 01:45:43 | 日々の暮らし

『迷い道

 

青葉時雨に

 

胸晴れる』

 

青葉時雨(あおばしぐれ)とは葉っぱの雫が落ちること。

 

心惑いながら、竹藪の下を歩いていたら昨晩の雨の雫がぱらぱらと頭にこぼれて来た。

 

ぱっと気持ちが晴れました。

 

小さなことに心迷わすな!

 

一滴の雫で気持ちが晴れ、感謝の心で手を合わせました。        

            合掌

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

身体障害者施設

2019-06-28 00:52:55 | 日々の暮らし

新聞記事より、茶人の千利休は、客人のもてなしに小麦粉を薄く焼いた菓子を出すことがあった。 「麩焼(ふのやき)」です。 鉄板で粉ものを焼く食文化の源流という。 もちっとした食感に『なんですのん』と客が感激する様子を利休は楽しんだという。 その後、関西が本場のたこ焼き、お好み焼きの粉文化が発展した。 大阪G20の各国のお客様にもおもてなしすることだろう。 さて、今日は身体障害者施設について話したいと思います。 バンク・ミケルセンはナチスの捕虜収容所にいた。人間扱いされていない。動物より悪い扱いだ。 いつガス室につれていかされるか恐怖の毎日だった。 戦争が終わり 収容所から助けられたミケルセンは、世界一身体障害者の施設がすすんでいる国、デンマークを訪れたのでした。 三万坪の敷地の中に点々と建っている家。 隣までいくのに15分かかる。 窓から海がみえる景色のいい家並み自慢する案内人それを見た ミケルセンは何と言ったと思いますか? アウシュビッツよりひどいと言ったのです。 隔離された家。 鉄格子の窓。 一人で過ごす孤独感。 これが世界一の身体障害者施設 かと泣いたそうです。 隔離するのでなく 普通の生活に戻しできないところを支えてあげることが必要なんだ施設が大きいとかではない。(これをノーマライゼーションという) クオリティ・オブ・ライフ(質の高い生活)支援が大事と唱えた。 理解されるまでその運動を広めた結果、世界中でこの考えが障害者施設の理念になったという。 手が不自由なら手の支援をすれば普通の生活できるならなにも隔離する必要がないとの考えからリハビリも始まったのでしょう。 私達介護士もミケルセンの考えを受け継いでいます。        合掌

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

菩薩行

2019-06-27 12:37:13 | 日々の暮らし

今日は瀬戸内寂聴、三輪明宏、遠藤周作さん達の会話から気になったことを紹介します。 遠藤周作はバリバリのカソリックだった。 いつも、死ぬのは怖いと言っていた。 癌になった時も、死にたくない、死にたくないと言っていたから辛かったと思う。 寂聴さんは怖くないのかと聞いたから、怖くないと答えた。 そこで、仏教とキリスト教の違いを知った。 自分の力で悟りを開こうとするのが自力(仏教)。 神に懺悔して許しを得て悟りを開こうとするのが他力(キリスト教)自分自身が菩薩(悟りを求めて自ら修行する者)であると仏教は説いています。 (たしかに、空海も自分の中に仏がいると述べていました) 三輪明宏さんは泥棒をしようとしても、私は仏なんだからいけないと思う事なら納得する。 盗んだら神様に叱られる、罰が当たるからとやめるのがキリスト教の教え。 すると、盗みたいという気持ちが残ってしまうから成仏しきれなくなる。 だから遠藤周作は悩んでよく電話してきた。 カソリックの中だけで結論を出そうとしたからなんですね。 寂聴さんは、出家してから仏教を勉強した。 良寛、一遍、西行、お釈迦様を知った。 今は自分が仏になる修行(菩薩行)をしているので何も怖くない…。 とても興味深い三者の会話を紹介しました。 私はキリスト教も仏教も神社などの神道も大好きだから、その教えを受け入れています。 ですから、たくさんの救いの言葉を頂いています。 神様とは遠くにあるものではないと。 神様は宇宙そのもの。 大自然そのもの。 私達もその中の一部なんです。 「手当」という言葉があります。 「一に看病二に薬」という諺があります。 病人の回復を早めるものは、第一が心のこもった看病介護です。 次が医者の薬であるという意味です。 誰の手にも心にも神の力が宿(やど)っているのです。 私はまだまだ未熟者です。 今日も皆様と一緒に 修行(菩薩行)に励みましょう。お迎えが来るまで。             合掌

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする