
百歩ほど歩いたところで、四人はどら声で呼び止められた。
「ルー!」
パーティー屋から出てきたのは、丸々とした白髪の男だ。
「久しぶりだな!論文はもう上げたのか?」
「はい。後は時々通いながら、教授の評価を待つだけです」
「入るだけでも大変なのに、子供産んだり育てたりしながら、よく頑張ったな」
「有難うロッド。皆に手伝ってもらえたからです」
ルージュサンが笑顔で答えて、右後ろを手で示す。
「妹のフレイアです。一緒に住むことになりました。宜しくお願いします」
「フレイアです。よろしくお願いしますわ。ロッドさん」
フレイアが右手を差し出す。
「ロッドだ。ルーとは長い付き合いになる。よろしくな」
ロッドのごつい手が、フレイアの華奢な手を握る。
「あれ、ルーさん。分身の術ですか?双子が双子を連れているようです」
今度は店から若い男か出てきた。目の辺りがロッドに似て、愛嬌がある。
「ああ、ロイさん。妹のフレイアです」
「よろしくお願いしますわ。ロイさん」
フレイアに右手を握られ、ロイの眉が八の字になる。
「こちらこそよろしく。でもなんか変な気分だな。女装したルーさんと握手しているみたいだ」
「女装?ルーが男だっていうのか?失礼だぞ」
ロッドがロイを一睨みし、ルージュサンを見た。
美しい姿態は、身体の芯がピシリと締まっているが、余分な力は抜けている。いつも通りの凛々しさだ。
大きな目は面白そうに、成り行きを見守っている。
ロッドがロイに向き直った。
「まあ、気持ちはわかる」
ルージュサンが吹き出した。
「だろ?」
ロイは得意気に言って、ルージュサンを見た。
「ルーさん、ちょっと待ってて下さい。新しいパンを食べてみて欲しいんだ」
ロイが店に引っ込むと、ロッドが屈んで双子の頬を順につついた。
「トパーズちゃん、オパールちゃん。もうちょっと大きくなったら、乳離れ用のパンを作ってやるからな。飛びっきり美味しくて、栄養いっぱいのやつだ」
双子は口をへの字にし、じっとロッドを見つめる。
「楽しみにています。どちらに似ても大食いですから、沢山作って下さい」
「ああ、どこに食ってんだろうな。フレイアさんも大食いなのかい?」
フレイアが口を尖らせる。
「わたくしは普通ですわ。底が抜けた飼い葉桶みたいなお二人とは、違いますことよ」
「洗い桶位にしておいて下さい」
ルージュサンの反論に、ロッドが笑う。
「飼い葉桶に一票だな!」
「あ、俺もそっちです」
店から出てきたロイも同意する。
右手のトレーには、ジャムを巻き込んだ丸いパンが二つ乗っている。
「おやつ用のパンなんです。感想を聞かせて下さい」
ルージュサンがパンを一つ手に取った。
「可愛いパンですね」
ちらりとフレイアを見て言葉を続ける。
「先程お茶を頂いたばかりなので、フレイアはお腹に入らないようです」
「じゃあ袋に入れるから、持って帰って下さい」
ロイの提案に、フレイアが安堵の表情を見せた。
「頂きます」
そういうと、ルージュサンはパンを千切らずかぶりつく。
それを凝視するフレイアの目は真ん丸だ。
「ご馳走様です。美味しかった」
あっという間に食べ終えると、ルージュサンは満足の笑顔をみせる。
「特にジャムの粒々感と香りが気に入りました。生地のキメとの相性も抜群ですね。ただ、おやつとして頂くのなら、もう少し小ぶりで、もっと甘い方が、一般受けすると私は思います」
「だろ?俺ももっと甘くしろって言ったんだ」
ロッドが自慢げに胸を反らせる。
「もっと小さい方がいいって言ったのは俺だよ。大体親父は甘いパンを食い過ぎるから、そんな腹になるんだよ」
ロイが負けずに言い返す。
「うるせえ。俺は酒樽を目指してるんだ」
「大丈夫。もう負けていません。だから程々にした方が良いですよ。膝を傷めます」
ルージュサンが真顔で言うと、ロッドが急に大人しくなった。
「そうか?」
「そうです」「そうだよ」「そうですわ」
三人の声が重なった。
ロッドが憔然として己の腹を見る。
「そうか・・・」
「今袋に詰めて来るから、そのまま反省しとけよな親父」
店に入るロイを見もせずに、ロッドは深く俯いている。
「負けてないのか・・・」
ロッドが右手で腹を撫で回す。
「お前が俺の膝を傷めるのか・・・」
次に左手も加わった。
「自慢だったのに、お前が・・・」
「あら、違いますわよ」
フレイアの声に、ロッドが顔を上げる。
「違う?違うのか?違うだろ?」
すがり付くように、フレイアを見つめた。
フレイアは大きく頷き、力強く答えた。
「ええ、違いますとも。ハムみたいな腕も、亀みたいな首も、薪を二本並べたような背中も、全て膝には毒ですわ。安心なさいませ」
ロッドがまた萎れた。
袋を下げて戻ったロイが、嬉しそうに言う。
「お、反省してたな、親父。ところでチーズの件は頼んでくれた?」
ロッドが我に返った。
「そうだ。カイルはいつ来る?」
「三日後ですが、何か?」
「パンに使うチーズのことで話があるんだ。寄るように言ってくれ」
「分かりました」
「卒業祝いは賑やかにやろうな。サンも来られるといいんだが」
「そうですね。そろそろ子供が生まれる頃でしょうか」
「そうだな。あいつもやっと落ち着いた。会えるといいな」
「はい。期待しています」
「じゃあ、これ」
ロイが頭二つ分程の、袋を差し出した。
「色々入れといた。みんなで食べてよ」
「いつも有難う。ご馳走様です」
ルージュサンは笑顔で受け取り、乳母車作り付けの箱に入れる。
「こっちこそ。ルーさんにアドバイスで出来上がったパンは、よく売れるんだ。ドラさんにもよろしく言っといて」
「分かりました。では又」
ロッドとロイに見送られながら、ルージュサンが囁いた。
「驚きましたか?」
「もちろんですわ」
フレイアが軽く身を引く。
「道でパンを食べるのは珍しいことではありませんし、多くの人はおやつのパンを丸齧りします。なるべく的確なアドバイスをする為に、同じように食べたのです」
「そうですの。特に無礼を働かれたわけでも、お姉様が行儀を忘れたわけでもありませんのね。私も王女時代は、城から馬塲まで歩いて街中を見たものですが、あれはなんだったのでしょう。庶民の生活は、未知との遭遇ですわ」
フレイアの表情は硬い。
「人は相手によって、違う顔を見せるものです。ましてや王女ですからね。今は楽しんで下さい。折角手に入れた庶民なのですから」
フレイアがルージュサンの目を真っ直ぐに見た。
「・・・そうですわね」
首を横に二度振って、笑顔を作る。
「長いお付き合いって、なんですの?」
「私が養女になって、倉庫係りの見習いをしていた時の先輩です。あの時の仲間は今でも仲が良いんですよ。カイルとサンも同じです」
「カイルさんとチーズって?」
「カイルは牛と山羊を飼っているんです。私が農産物を扱うようになったきっかけにもなりました。手伝って貰うのですから、少し詳しく話しますね」
ルージュサンは双子を横から覗き込み、機嫌を確認して話をつづけた。
「元々牧場を持つ為にガーラントで働いていたのですが、良い話があった時資金が足りず、私が貸したのです。以来同様の話が持ち込まれるようになって、彼らの生産物を、私も売るようにな。ました」
「個人でなさっていたので、ガーラントを譲ってからも、続けてますのね?」
「そうです。すぐに上手くいくとは限りませんが、皆さん意欲的なので、面白い結果に繋がります。それも楽しみです」
「お姉様の利益はどれくらいになりますの?」
「店を貸しているので、賃貸料は入ります」
「無償で経営してるってことですの?」
「私は帳簿を見るだけですから。店の評判は良いのですよ。作り手と買い手を繋いで、両方のプラスになる。私も暫くは子供達に手が掛かるので、それで良いと思っています。ああ、あと農産物を頂くので、食費も浮いていますね」
「・・・成る程」
フレイアは又、考え込んだ。
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