次の朝、ムンはセランを連れて、村長の家を訪れた。
暫く後に召集の鐘を鳴らし、ムンとセランは村長と共に、大広間に入った。
子供時代を過ごした家だ。
ムンは出入口に近い壁にもたれて、昔のことを思い出していた。
雪に降り込められた冬や、雨の日は、兄とここでよく遊んだ。
いつからこんなに、仲が悪くなったんだろう。
オグを学校に行かせた時からか?。
いや、その前だ。
《村長さんはお兄さんなんですよね?ここでは皆、こんなに、他人行儀なんですか?》
心を読んだように、セランが聞く。
《いや。俺達はあまり仲が良くない》
《そうなんですか。僕は一人っ子だから、兄弟がいるのも面白いかなって思ってました》
《そうだな。昔は仲が良かった》
楽しい遊び相手も、今は部屋の反対側で腕を組んでいる。
ムンとセランの前を通って、一人、二人と家長達が入って来た。
皆、セランの美貌に目を奪われ、 暫し見惚れてから、思い出したようにムンに会釈をする。
祭りを三日後に控え、昨晩ムン達が帰って来たのを見た者もいる。
皆、議題の見当はついていた。 《集まってくれて有難う。ムンから報告がある》
百人程集まったところで、村長が声を張った。
ざわめきが止み、皆が部屋の奥を見る。
村長の横にムンが立ち、口を開く。
《「神の子」は、生まれていなかった》
広間がどよめく。
《なので「神の子」に一番近い者を連れてきた。セラン、こちらへ》
セランがムンに歩み寄る。
村人達が改めてセランを見た。
セランが余裕の微笑みを返す。
光の輪が辺りに散った。
《見ての通り十歳ではなく、それなりに分別もつく。けれど完璧なまでのこの美しさだ。そして大概の傷は一晩で治る回復力。他人の顔は判別できないが、強い運命を持つ者は分かる特別な目。本を読めば一言一句、違わず覚えるその記憶力。どこかで運命が狂い、不完全な形で、神の力が宿ったものと思われる》
いつもの訥々とした、話し方ではない。
太く大きく、落ち着いたムンの声には、説得力があった。
村長は複雑な思いで、それを見ていた。
村人達がムンに同意するのは嬉しい。
他に手は無いのだから。
けれど時々突き付けられる、武骨なムンの意外な一面。
村長の家を継ぐべき自分の、足りない部分を見せつけ、その立場を脅かす存在。
他家の子供に怪我をさせたのも、父のペンを失くしたのも、全てムンに責があるように、上手く立ち回った。
首尾よくムンへの親の愛情は薄らぎ、順当に村長になってもチリチリと心を炙る存在。
後ろめたさと妬ましさで、年を取った今でも、そして今回のことでも。
《特別な力を持つって、何で分かるんだ》
若い村人の声で、村長は我に帰った。
《この男は若く見えるが三十路半ばだ。傷跡の一つや二つ無ければ不自然というものだろう。けれど傷跡はおろか、黒子すら無い。それに生き物というものは、左右で僅かに異なるのだ。利き腕や利き脚というものもある。けれどこの男はぴったりと対照だ。学者なのにペンだこ一つ無い。そして随一と言われる学院の教授だ。それも専門外の学科でだ》
《だからって「神の子」ではないんだろう?大丈夫なのか?》
《正直なところを言えば、分からない。けれど「神の子」がいないのだ。どうなるものか見当のつけようもないが、他に方法があるのか?これが今考えられる、最善の策なのだ。そしてこの者の妻も又、只の女ではない》
《只の女じゃないって?》
他の男から声が上がる。
《女の祖父は「神の子」が出る血筋の男系だ。そして女は特別な耳を持つ。ほんの小さな音も、人には聞こえぬ筈の高い音も、聞き取ることが出来るのだ》
《それも証明出来るのか?》
先程の若い男だ。
《勿論》
ムンが大きく頷いた。
《セラン、悪いが笛を貸してくれ》
《特別ですよ》
小声でそう言いながらも、セランがすんなりペンダントを外す。
そして銀色の鎖ごと、犬笛をムンに渡した。
《済まない》
そう言って受け取った笛を、ムンは右手で高く掲げた。
《これは遠くから妻を呼ぶ為に、彼が身に付けている犬笛だ。知っての通り犬笛の音は、人に聞こえるものではない。これが特別な耳を持っている、証拠になるだろう》
《じゃあ、今呼んでみてくれ》
背の高い男が指を指す。
《頼めるか?》
ムンが聞く。
《仕方ないです》
セランが答える。
《呼ぶだけじゃ打ち合わせてあるかもしれない》
最初の若い男が、疑わしげに言う。
《では今、吹き方でも決めるか?》
ムンが首を傾げてみせる。
《そうだな。プープププープーでどうだ》
《それが分かれば納得するんだな?》
ムンが念を押す。
《ああ》
《他に異論があるものはいるか?》
ムンが広間を見渡す。
声を上げる者は居なかった。
ムンが微笑み、セランに目顔で聞く。
セランも無言で承知する。
《では、吹こう。女は今、俺の家の居間にいる。一人二人外で見ていれば分かるだろう》
出入口に近い男達が顔を見合わせる。
そして三人の男が外に出て、扉が閉められた。
ムンがセランに笛を返し、セランの顔が和らぐ。
《では、吹きます》
セランが片手を上げ、笛を咥えた。
村人には誰一人、笛の音が聞こえない。
皆が固唾を飲んで、扉を見つめる。
暫くの沈黙の後、扉は開いた。
《呼びましたか?》
よく通る、鋼の声だ。
高い位置で纏めた赤い巻き毛が、鮮やかな滝を作っている。
陽光を放つような金色の瞳、凛とした立ち姿から溢れる気品。
そして何よりも空間が歪む程のパワーが、誰の目にも見てとれた。
「ルージュ!」
嬉しそうにセランが駆け寄る。
《ごめんね。こんなことで呼びつけて。でも皆に、納得してもらいたかったんだ。ねえ、笛はどう鳴った?》
《ピーピピピーピー》
《ね?》
セランが村人達に向き直り、虹を吹く様に笑った。
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