十日後、フレイアは庭で遊びに興じていた。
持ち手がついた板で、毛を押し固め皮を被せた打ち合う、サス国で親しまれている球技だ。
男装ではあるが、上着の丈は長く、鮮やかな花柄だ。
軽快なラリーの合間合間に、フレイアは右奥の木陰に目を向ける。
椅子で観戦しているケダフが、その度に軟らかい笑みを返すからだ。
太陽と風と愛情。
全てを身体いっぱに感じて走り、打つ喜び。
フレイアは満ち足りていた。
お茶の時間が告げられると、フレイアが対戦していた侍従に礼を言い、遊びは終わりになった。
木陰に駆け寄るフレイアを、ケダフが立って拍手で迎える。
「素晴らしい!貴女が館一番の名手だなんて、思ってもみなかった」
「いいえ、彼はまだ少し遠慮しています。私は二番か三番です」
フレイアが笑顔で返す。
「二番は分かるが、三番とは?」
「まだ貴方の腕前を、拝見していません」
ケダフが苦笑した。
「私はもう年だ。それより今度、馬場に行こう」
フレイアの踵が思わず上がった。「本当に?凄く楽しみです!」
「こんなに喜んで貰えるなら、もっと早く行けば良かった」
「乗馬は、いえ乗馬も得意です」
フレイアが澄まし顔で言った。「ケダフ様もお好きなんですか?」
「いや、私は貴女の勇姿に見とれる予定だ」
「それは・・・残念です」
少しうなだれたフレイアの頭に、ケダフが優しく右手を乗せた。
「ユリア、貴女はいつからケダフ様を知っているの?」
ユリアは花を活ける手を止めて、フレイアを見た。
「庭師の父に付いて来ていたので、十二の頃からです」
初めて会った時から、ケダフはユリアを気に入って、やがて侍女にした。
妹のように可愛がるのは、十年経った今でも変わらない。
「私には具合が悪そうに見えるのだけど、違うと言うのよ。貴女はどう思う?」
フレイアは首を傾げた。
「そうですね。機会があったら、私からも伺ってみます」
「有難う。宜しくね」
フレイアが微笑む。
ー花のようだー
ユリアは思った。
初めの頃はもっと凛々しく、力強かった。
話し方から仕草まで。
この女性はケダフ様に変えられたのだ。
ケダフ様は、この美しい女性を愛していたのだ。
ずっと。
嫉妬の時は過ぎた。
幼い恋心は、諦めと感嘆に変わった。
山の木がちらほらと色付く頃、ケダフが倒れた。
ケダフの手を、震えながら両手で握りしめるフレイアを見て、ケダフは隠すことを諦めた。
「母の血統に、たまに出るんだ。四十過ぎで力が入りにくくなって、徐々に進んでいく。だから母が同じ二番目の姉も、好きな相手と結婚出来た」
少し苦しい息で、ケダフが続ける。
「私は貴女が重荷から解き放たれて、相応しい誰かと幸せになることを祈ってきた。けれどその気配は無かった。だから思い切って縁談を持ち掛けたんだ。貴女は自分で荷を下ろしてから、私の所に来たけれど」
「そうですとも。だから長生きして下さい」
ケダフが小さく笑い、フレイアの手を握り返した。
「私には貴女をもっと自由にする、奥の手があるんだ」
それが何を指すのか見当がついてしまい、フレイアは激しく、首を横に振った。
その日から半年足らずでケダフは逝った。
夫に先立たれた王族の妃は、寺院で喪に服し、一生を終えるのが習わしだ。
けれど『白い結婚』の場合は、一年喪に服した後、使用人を一人付け、持参金とともに国を出されるのだ。
付いていくのは、本人のたっての希望でユリアに決まった。
「お姉様、御機嫌いかがですか?」
ルージュサンは驚いた。
扉を開けたらフレイアが立っていたからだ。
後ろにはナザルと、見たことが無い女だ。
「溜め息も出ないほど、美しいお義兄様はどこ?いえ、その前に、双子の姪っこ達かしら」
「セランは書斎で仕事です。オパールとトパーズはそこの居間でお昼寝を」
ルージュサンは首を捻った。
フレイアはこんな性格だっただろうか、以前と大分違う気がする。
「ではまず居間だわ。ここね?」
フレイアは話しながら進み、扉を開けた。
急ぎながら摺り足でソファーに近寄る。
「これは可愛い!可愛いにも程があるわ!二人もいたら大変でしょう?私が一人貰ってあげる」
「まだ乳を飲んでいます」
「こんなに可愛い寝顔を見れば、乳の一つ二つ出るでしょう。確か知り合いの犬もそうだった」
やはり変わった、変わり過ぎだ。
ルージュサンはその変化を確信した。
話し声を聞いて、セランが下りて来た。
ルージュサンとフレイアが同時に振り向く。
「やあフレイア様!いらっしゃい。これは、ルージュサンが二人いるようだ」
どちらかというと、セランが二人ではないか。
ルージュサンは先が思いやられた。
でも何とかなるだろうと、思い直した。
全く何が起こるか分かりはしない。
だから人生は楽しいのだ。
ー完ー
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