一行と別れたエバは、南の町に向かった。
母の姉が嫁いだ農場を訪ねるのだ。
隣には侍女だったイーニャの父。
手燭が頼りの夜道も、怖くは無かった。
-絵空事のような半日だった-
エバは足元に気を付けながらも、午後からの出来事を思い出していた。
使いに出たイーニャがなかなか戻らず、気を揉んでいると、赤毛の女性を連れて帰ってきたのだ。
満ち溢れた力が、黄金色に輝いて見えたその人は、ルージュサンと名乗った。
そしてイーニャが『贄の妻』になるつもりだったと、教えてくれたのだ。
それを聞いて私は、イーニャと初めての喧嘩をした。
声の大きさこそ抑えていたけれど、罵り合いの大喧嘩だ。
イーニャは彼女の母親が出した火事が元で、私が母を失ったことを気に病んでいた。
隠れ鬼をしたままクローゼットで眠ってしまった私を探し回ったせいで、イーニャの母親が亡くなったことを、私が悔やんでいたように。
イーニャの気持ちを知って、私は生きないことを止めた。
私の婚礼が決まった時、伯母が訪ねてきて言ったのだ。
「もしもの時、覚悟があったらこれを使いなさい。私の農場に来れば、こき使うけど自由はあるわ」
そして小瓶を二つ渡された。
眠り薬と、体の働きが極端に落ちる毒だ。
夫とは疎遠だった。
けれどイーニャの母親とその家族への償いの為に、使わないつもりだったそれを、使うことにしたのだ。
打ち合わせはすぐに済み、後は計画通りに進めるだけだった。
私は棺入りの服に着替えて、棺入りの毒の代わりに小瓶の毒を飲んだ。
私は棺に納められ、夜更けにはイーニャが寝ずの番の男に出すお茶に、眠り薬を盛って裏の塀から螢石を投げる手筈だ。
予定通り棺の中で目覚めた私は、途端に死臭で噎せそうになった。
私はそれを、夫への裏切りの罰だと感じた。
孫に近い年齢の自分を、お金で買うように後妻にした夫は、固太りで脂ぎり、見るからに精力的だった。
けれど婚礼の夜、緊張で失神した私に『十五になるまで待とう』と、言ってくれたのだ。
以来夫は私を遠ざけ、婚家は針のむしろだった。
そして夫は突然逝った。
だからこれが二人で過ごす、最初で最後の夜だった。
そう気付くと厳粛な気分になり、時はゆっくりと、そして一瞬に過ぎた。
紐を解く音に我に帰ると、やがて棺の蓋が開かれた。
音を立てぬよう棺から這い出し、死臭の上に喪服を纏うと、男の声が聞こえた。
寝ずの番の男が、予定より速く目覚めたのだ。
私は棺に取りすがるふりをして、紐を絞めては後ろに下がる、を繰り返した。
全ての紐を絞め終わり振り向くと、ルージュサンの舞が終わるところだった。
彼女が両腕を高く掲げた時、空気の淀みを巻き込んで、天高く解き放ったのだ。
棺からも、もやのようなものが滲み出して、それに導かれるように一体となり、天へと昇った。
その時私に染み付いた死臭が、芳しい花の香りに変わったのだ。
-私は愛されていた-
それは突然襲ってきた。
確信さえも及ばない、事実としてただあった。
-私は赦されている-
それも同時に、ただ事実としてそこにあった。
込み上げる歓びと供に屋敷を出ると、イーニャの実家で旅姿に着替えた。
イーニャの父親は私を恨むどころか優しく出迎え、伯母の農場まで送ってくれるというのだ。
旅人達も又、優しかった。
度を越した親切も、優しさから来るものなのだろう。
言葉を失うほど美しかったり、華やかだったり、無口だったり、ぶっきらぼうだったりしたけれど。
その目の暖かさは同じたった。
二度と会うことは叶わないだろうけれど、魅力的な人達だった。
イーニャはどうだろう。
彼女のお陰で、母の居ない実家でも、冷ややかな婚家でも、笑って過ごせた。
再び人生を重ねることが出来たら嬉しい。
足元が疎かになり、エバは小石に躓いた。
とっさにイーニャの父親が、二の腕を掴んでくれる。
布越しのその掌も、エバには温かく感じられた。
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