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川塵録

『インテグリティ ーコンプライアンスを超える組織論』重版出来!

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「被害者最強」の世の中で。 ーカスハラ防止条例の存在意義

2024年10月20日 | 社会・時事など
首相官邸テロ。Twitterとかを見ていると、いつもながらに、「被害者」最強文化を感じる。考えさせられる。

被害者最強。
ナラティブ最強。
エンパシー最強。

「ナラティブ」(パーソナルなストーリー)って、「事実」ではない(事実の検証が求められない)から、反駁可能性がない。反論できない。

その「ナラティブ」が説得的であれば、独り歩きする。小川さゆり「私が正しいと思うなら、家庭連合を解散させて!」がいい例。

でも。

そういう「被害者」(いわくつき、カギカッコ付きの場合もある)が語る「ナラティブ」が最強な風潮には、危険性もある。

その「被害者」に対して「共感」することが「正義」に。そのナラティブに乗っかることが「正義」に。

「正義」への追従、阿諛追従というべきか、同調が、マストに。デフォルトに。

その「正義」へ疑義を唱えることが憚られる風潮に。

共感の反対は、理性。

理性でそのナラティブを検証することは、求められない。
理性でその「被害」を検証することも、求められない。むしろ忌避される。

その「理性での検証」をすると「被害者を抑圧している!」と強い非難が向けられちゃう。

具体例として、小川さゆりとか、安倍元首相暗殺犯の他には、「反原発」もそういうところがある。

たしかに、福島の被害は大変だった。でも、国家の生存戦略として原発をどうするかは、福島や震災の被害とは別に、理性的に慎重に検討されるべき。

水俣病もそう。たしかに、水俣病の被害はひどい。しかし、最近は、水俣を、被害者救済とか社会問題を超えて、共産党が、政治問題にしようとしている。これは水俣/熊本に行って初めて知りました。

25年くらい前の、光市母子殺害事件も、今になって検証され始めている。たしかに、無辜の妻と娘を無惨に虐殺、、、 加害者が少年だとしても、許すまじき蛮行。被害者の本村洋さんにはメチャ同乗するし、本村さんの戦いは全面的に支援する。

門田隆将さんの以下は名著。

 
ただ、ほんとうに、少年の加害者を死刑にすべきだったのかは、今も、そして今後も、検証されていい。「4人殺したら死刑」という「永山基準」の当否を含めて。

なお、これもかなりセンシティブですが、オウム真理教の麻原彰晃(松本智津夫)は、詐病だったという意見が優勢ですが、ほんとうに狂っちゃって「とても死刑を執行できる状態ではなかった」(のに無理やり死刑にした)という見解もあります。

そうであれば、彼を死刑に処したことも、「あんなカルトの教祖は死刑になって当たり前」という「共感のナラティブ」が先行していた可能性がある。

____________

かように、あまり使いたくない言葉ですが、「被害者」最強の風潮に、ヒステリックになってしまっているところがないだろうか。

古くは大東亜共栄圏、進め一億日の玉だ、福田村事件、、、 集団ヒステリーは日本のお家芸みたいになってもらってはこまる。

さて。

じゃあ、どうする? 

保守の出番だろう。 歴史の持つ、慣性の力。安々と流行に乗らない安定感。共感の力と重要性は認識しつつも、理性を利かして、振り子が振れすぎないようにする。

そのためには、深い歴史観が必要。不易流行の感覚。何が不易で、何が流行なのかを見極める洞察力。

折しも、東京都でカスハラ防止条例が制定されました。これも「被害者最強」の世の中の流れの一環といえる。

「被害者」と「エセ被害者」を見極めるリテラシーが国民や企業に求められている。それが今年制定のカスハラ防止条例の存在意義。

長くなったので取り急ぎここいらで。
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