キルケゴールのヨブへののめり込みは常軌を逸していた。
こちら(日本実業出版社のnote)
~~~以下整えて引用~~~
「ヨブ記」は、信仰を持たない者にとっては文学的エピソードとして読むことができます。
一方、信仰を持つ者にとっては劇薬にもなり、キルケゴールにはそれが効きすぎたのです。
~~~引用終わり~~~
先日もたしかURLを貼ったfufufufujitaniさんの解説 こちら は、読みにくいようで読みやすかった。
信仰を持たない者が平易でカジュアルな言葉で語るからこそ、私にはわかりやすかったりする。
西洋の聖賢を捉えてやまないヨブ記。一神教の、しかも最後の審判がない旧約聖書の時代に、なんとかして神の御威光を知らしめんとするその強引さが、大文学に昇華した。
そんな解説がされていて、さもありなん、それに一理も二理もあるよ、と思った。
ヨブ記を知ることが、旧約聖書を知ることになる。
そう言えるのではないかと思いました。