今日も書くぞ。毎日、私の感性を刺激する事ばかり起こる。立憲民主党の執行部が安部の国葬に出席しない事に決めた。いいぞ。100点をつける。泉代表も世論を気にしている。ネット世論なんて気にする事はない。肥溜めの中で騒いでるカラスみたいな連中を気にする事はない。元総理の葬儀に出席しないのは失礼だとか、出席しないと支持率が落ちるとかいろいろ言われてる。野党を自認する政党が目指すのは政権奪還だ。外野のやじなんか気にする事はない。戦国時代なら、敵の大将が死んだら葬式なんかに出席しない。しないどころか、一族全員を殺す。立憲の代表的政治家の蓮舫や辻本清美は出席しない。立憲でも、野田佳彦は出席する。民主党最後の総理大臣を務めた男だ。国会で安部の挑発に乗って解散をやりましょうと啖呵をきった。出席する理由は、感傷なのか。日本人的感傷は、政治家には要らない。政治は、殺す、殺されるの闘争なのだ。めめしい感傷に酔ってる場合ではない。安倍という民主主義破壊政治家を国葬にする大義は何なんだ。まったく国葬に値しない政治家だ。嘘ばかり言ってごまかしの政治をした。安倍の約9年感の間に、多くの国民の生活は苦しくなった。大金持ちと大企業だけが潤った。安倍が暗殺されたのは、運命だ。悪政をやった者には、罰が下るのだ。奇しくも、暗殺した男が旧統一教会の被害者家族の一人であることは、安部の罪深さを物語ってる。安倍は、自民党内で一番、旧統一教会と関係が深かった。ずぶずぶの関係が安部の運命を決めた。あの日、銃弾に倒れたのは、運命の伏線の線状にあるのだ。総理大臣になってから死ぬまで、運命の砂時計は一秒も狂いがなく動いた。そして、銃弾が放たれた。安倍が誕生したと同時に死も確定していたのだ。