今、パリでパラリンピックが行われている。私は健常者のオリンピックより障害者のスポーツのほうに関心が強い。健常者だってオリンピックに出れる人は限られた人だ。ましてメダルを取れる人はほんの一握りの人なのだ。その苦労に敬意を持ちます。障害者がオリンピックに出るには膨大な汗と涙を流した結果なのだ。競技によっては、練習できる環境を作る事さえ大変なのだ。体育館の使用を断られたり、日常生活のやりにくさを克服しなければいけないのだ。障害者の入店拒否、タクシー、バスの乗車拒否、盲導犬へのいたずら、ネット上の誹謗中傷、低賃金労働、虐待、不妊治療、殺人等あげたらきりがない。人権後進国の日本で、障害者の人権は軽く扱われている。障害者がオリンピックで活躍して、マスコミに取り上げられても、その時だけ国の英雄に祭りあげられる。日常生活での困難さはほとんど取り上げられない。障害者が仕事を得るのはかなりの苦労を要する。健常者なら簡単に採用されても、採用拒否される事が多い。部屋を探すのも大変だ。障害者に部屋を貸してくれる大家、不動産屋は少ない。通勤にエレベーターのある駅を捜し出しておく、トイレのある場所を確認しておく、車椅子使用者が満員電車の中に乗り込むのも勇気がいる。じゃま扱いされる事もある。日本では圧倒的に健常者使用に多くのインフラが整備されている。健常も障がい者も差別なく使用できるインフラが整備されなければいけない。障害者も健常者も同じ人間なのだ。平等に人間としての尊厳を受けられるようにしなければいけない。誰だって障害者になる可能性はあるのだ。失明した時、車椅子使用者になった時、手が使えなくなった時、それでも、多くの人は生きる事をあきらめない。必死に生きようとする。障がい者、明日は我が身なのだ。差別や偏見、見下しの態度を取られたら、いい気はしないであろう。障がいを自分自身の問題としてとらへなければ、問題は何も変わりない。障がい者の真の闘争とは、日常生活にあるのだ。そこのある差別、偏見はあなたに向けられるかもしれない。その差別、偏見をなくす闘争は永遠に続くのだ。苦しくても戦い続けなければいけない。WE SHALL OVERCOME SOME DAY いつか勝つ時がくる。差別偏見にはNOだ。