斎藤知事の百条委員会での答弁が終わった。今後答弁はやらないとのこと。パワハラは認めてない。指導に少し行き過ぎた感はあったと言ってるが、謝罪する気はなさそうだ。自殺した告発者の職員や家族に謝罪する気はない。未だに、パワハラ告発というより、誹謗中傷の類だと告発者を非難している。なにしろ、選挙戦が面白い展開になった。最初は誰も応援者なんかいないのに、最後は斎藤コールが神戸の街に響き渡った。斎藤知事はマスコミにいじめられてる。マスコミから斎藤知事を守りましょうと、多くの賛同者が集まった。日本での最近の選挙戦は、変な選挙選が繰り広げられる。犬、猫が立候補するのだ。斎藤知事を応援する人々の感覚はひとりぼっちの知事を守ってあげたいという感じなのか。母性本能をくすぐったのかもしれない。今の日本は女の感性で動いている。男がだめだ。大衆心理も潜在的に女性的だ。斎藤知事は演説もへた、大衆を熱狂させるようなカリスマ性もない。それが女の母性本能をくすぐったのかもしれない。守ってあげたいと思わせるようだ。斎藤知事が肉体的にマッチョでトランプみたいな演説したら、落選していたかもしれない。日本では弱弱しさのほうが受けるのだ。欧米とは全く逆の現象だ、欧米では弱弱しい政治家、指導者は受けない。演説で涙を見せただけでも、落選してしまう。日本は特殊な感性の国だ。政治家の選挙に芸能人への推しみたいな心理が働いてる。最近の選挙では、フャン心理が強く出るようだ。支持者を増やすというより、フャンを増やしたほうが勝利に近づくようだ。日本では1+1は2ではない。単純ではないのだ。欧米で生まれた民主主義を日本に根ずかせるには時間がかかる。日本人の独特の感性を理解しないと政界で生きてゆけない。投票に勝てない。