おやじのつぶやき2

「おやじのつぶやき」続編。街道歩きや川歩き、散歩がてらの写真付きでお届けします。

西武線「西武園駅」~JR八高線「箱根ヶ崎駅」。その8。出会いの辻・六道の辻。旧日光街道。青梅街道。

2023-01-16 18:38:06 | 都県境を探る

瑞穂町の住宅地に向かいます。

「狭山湖堰堤から7.0㎞」。

富士山が意外に近くに。

「出会いの辻」へ。

案内板。

庚申塔。

「六道庚申塚」と「六道の辻」解説板。

この庚申塚は、江戸時代後期の文化10年癸酉(1813年)に武州多摩郡石畑村下組(瑞穂町石畑地区)の人々によって建立されたものです。・・・当時この場所は、旧石畑村と隣村との境界にあたり、村境の「サエの神」(守り神)を祀るのにふさわしいところでした。また、この場所は古くからの交通の要衝で、幾筋もの道が開かれ交差しています。・・・ここは昔から「六道の辻」と呼ばれていました。「六道山」の名称も、これに由来します。・・・当初、庚申塔の脇には榎が植えられ茂っていましたが枯死し、現在はその後植えられた二代目の榎が大きく茂っています。

                 

坂下に「瑞穂農芸高」が。

「遺跡広場」解説板。

主に縄文時代早期から中期(今から約9000~3500年前)にかけて営まれた遺跡で、縄文時代の土器・石斧・磨石・石皿・石鏃・掻器など、当時の調理や狩猟に関する生活道具が多数発見されました。穽穴(おとしあな:狩猟のための罠)が多数発見されています。こうしたことから当時この一帯は、狩猟・採集を生業とした縄文人の狩猟場であり居住地であった可能性が高いと思われます。このほか、ごくわずかですが旧石器時代の尖頭器(槍先)や古代(奈良・平安時代)の須恵器なども発見されており、大昔から人々がこの地を行き交っていたことがうかがわれます。

さて、この先どうしようかと、・・・。

「都県境」には、もう少し北西に進めば、出会いますが、ここで今回は、終了。

「都立瑞穂農芸高校」のところから、JR八高線「箱根ヶ崎駅」に向かうことにしました。

広い道路を下っていきます。平らになると、富士山が近く大きく見えます。

               

瑞穂町マンホール。

町の木「松」にとまる「オオタカ」を中央に大きく描き、力強さを表現しました。上部には、みずほの「み」を図案化し、平和・団結と瑞穂町の飛躍発展を象徴した「町章」を配置。周囲には、町の花であり特産品である東京狭山茶の「茶の花」をあしらいました。オオタカは狭山丘陵に生息する鷹の一種。絶滅が危ぶまれた時期もありましたが、ボランティアの密猟監視活動等によって保護され、今は町内の平地林でも営巣・繁殖する姿が見られます。六道山公園の展望台は、大空を舞うオオタカが一年中観察できる人気スポットです。(「東京都下水道局」HPより)

上の無彩色盤。

「残堀川」。

     

               「源流から約640mです」。

残堀川

西多摩郡瑞穂町箱根ヶ崎の狭山池を源とし、武蔵村山市、昭島市、立川市を貫流して、日野橋上流で多摩川に合流する東京都知事が管理する流域面積34.7km2、法定延長14.5kmの多摩川水系の1級河川である。
本川は、かつて古多摩川の扇状地勾配に沿って府中方面へ流下していたが、江戸時代には玉川上水の助水に利用するため、またその後もたびたび人為的な流路変更が行われてきた河川(水路)である。
流域は、狭山丘陵を除いて、ほとんどが関東ローム層で覆われた平坦な台地となっており、中央線や青梅街道、五日市街道等の交通網の整備と相まって、都市化の著しい地域である。 
本川の改修は河川事業として、30㎜/hr規模の改修を昭和 34年度から47年度まで、多摩川合流点より瑞穂町境まで実施し、次に、50㎜/hrの本格改修が昭和49年度に着手され、平成20年に全川の改修が概成し現在に至っている。

(この項、「東京都建設局」HPより)

※ところで、「残堀川」が「残堀」の名の如く、水流のほとんど見られない「瀬切れ」をおこすようになったのは?

以下、「Wikipedia」では厳しい指摘がなされています。

1963年昭和38年)には氾濫対策とあわせて逆に玉川上水が残堀川をくぐる形に変更し、1982年(昭和57年)「残堀川流域整備計画」が策定され、その計画に沿って河川改修工事が施工された。しかしそれ以降は年間を通じて、降雨時およびその直後を除くと水流の殆ど見られない「瀬切れ」を頻繁におこすようになり、場所によってはその名の如く「堀だけが残る川」となってしまった。

理由としては、水源である狭山池自体の流出量減少に加えて、都市化による雨水の浸透の減少、下水道の普及による河川への排水の減少なども原因の一因ではないかと考えられたが、一定時期(短期的)を境に河川の瀬切れが起こった事(瀬切れが起こった時期に残堀川流域の地域に大きな都市化=舗装インフラの激増や下水インフラの激増などは特に顕著に無かった為)を考慮すると、表層(ローム層)を流れていた河道を、河川改修工事により層まで掘り下げたため、伏流(地下を流れる)しやすくなった工事のずさんさが、一番の原因だと考えられる。・・・その後の2007年6月東京都は不透水層の設置等の瀬切れ対策を含んだ河川整備計画を発表した。

     

上の○が「瑞穂農芸」、下の○が「箱根ヶ崎駅」、南に広がるのが「横田基地」。

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