「向島百花園」。
入口に紅白の冬牡丹。
牡丹: 別名は「富貴草」「富貴花」「百花王」「花王」「花神」「花中の王」「百花の王」「天香国色」 「名取草」「深見草」「二十日草(廿日草)」「忘れ草」「鎧草」「ぼうたん」「ぼうたんぐさ」など多数。
原産地は中国西北部。花を観賞するために栽培されている。・・・。元は薬用として利用されていたが、盛唐期以降、牡丹の花が「花の王」として他のどの花よりも愛好されるようになった。たとえば、『松窓雑録』によれば、玄宗の頃に初めて牡丹が愛でられるようになったものの、当時は「木芍薬」と呼ばれていたと記載される。また、隋の煬帝や初唐の則天武后が牡丹を愛でたという故事がある。ただし郭紹林はこれらの故事を慎重に検討し、虚構であると結論づけている。 清代以降、1929年までは中国の国花であったとされることもあるが、清政府が公的に制定した記録はみられない。
(この項、「Wikipedia」より)
冬牡丹。
唐の詩人・白居易(白楽天)「長恨歌」の一節。
唐の皇帝玄宗が楊貴妃の色香に迷い、政務を疎かにしたため、安禄山の乱が起こり、都落ちするはめに。楊貴妃を死に追いやった後、乱が治まり、再び都に戻ってくる・・・。
楊貴妃の美貌を「牡丹」に喩えている。
漢皇色を重んじて傾国を思ふ 御宇多年求むれども得ず
楊家に女有り初めて長成し 養はれて深閨に在り人未だ識らず
天生の麗質自ら棄て難く 一朝選ばれて君王の側に在り
眸を迴らして一笑すれば百媚生じ 六宮の粉黛顔色無し
春寒うして浴を賜ふ華清の池 温泉水滑らかにして凝脂を洗ふ
侍児扶け起こせば嬌として力無し 始めて是れ新たに恩沢を承くる時
雲鬢花顔金歩揺 芙蓉の帳暖かにして春宵を度る
・・・
馬嵬坡下泥土の中 玉顔を見ず空しく死せる処
君臣相顧みて尽く衣を霑ほす 東のかた都門を望み馬に信せて帰る
帰り来たれば池苑皆旧に依る 太液の芙蓉未央の柳
芙蓉は面の如く柳は眉の如し 此に対して如何ぞ涙の垂れざらん
・・・
昔から美しい女性のことを「立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は百合の花」と表現しますが、芍薬も牡丹も同じボタン科。牡丹が花の王、「花王」と呼ばれるのに対し、芍薬は花の宰相、「花相」と呼ばれるそうです。
芍薬。(「Wikipedia」より)
梅二枝。
古木にはやっと蕾らしきものが。
冬至梅。
唐梅。
八重寒紅(やえかんこう)。
他にも。まゆみ。
・昔、この木で弓を作ったので 、「真弓」の名になった。真弓の樹質は硬いが、柔軟性がある。
・ピンク色の実が割れてオレンジ色の種子が出てくる。この様子がとても美しい。
・「檀」とも書く。
・材で、こけしや将棋の駒をつくる。
・春、この若葉を 菜飯(なめし)として食べるとおいしいらしい。
・「白檀弓(しらまゆみ) いま春山に 行く雲の 逝きや別れむ 恋しきものを」(万葉集)
・「天の原 ふりさけ見れば 白真弓 張りてかけたり 夜道はよけむ」(同)
・「南淵(みなぶち)の 細川山に 立つ壇(まゆみ) 弓束(ゆづか)纏(ま)くまで 人に知らえじ」 (同)
・「み薦(すず)刈る 信濃の真弓 わが引かば 貴人(うまひと)さびて いなと言はむかも」(同)
・「しらまゆみ 磯辺の山の 松の葉の 常磐にものを 思ふころかな」(金槐和歌集 源実朝)
(この項「」HPより)
足もとには、
「春の七草」。
スカイツリー。
門前に紅白の梅の木。
しろかが。 ひとえかんこう。
児童公園の百日紅。<img src="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/19/96f00f9ddd06d5969e9bb6ddcc4d5652.jpg">
今年は、久々に「梅まつり」が開催されるようです。
ところで、隅田公園のユリカモメはどうしているか?
ところが、隅田公園の池が工事中。隅田川にも、
ほとんどいません。
餌場を求めて移動したのでしょうか?