沿道に満開のツツジ。
「等々力排水樋管」。
「等々力」という地名は、対岸の川崎市にもあります。
当地は、もともと多摩川の流れが南に屈曲していたところに張り出した、荏原郡等々力村に属する半島状の土地であったが、洪水や多摩川の付け替えが行われた結果、対岸の飛び地となった。宝暦12年(1762年)の小杉村絵図にも、現在の川崎側の等々力の南側を、多摩川の本流から分流して蛇行した流路が「古川」として描かれている。
江戸時代には旧河道の土地をめぐり等々力村と小杉村で争いとなり、宮内村が立ちあって境界が定められ、幕府側でのその裁決の文書には大岡越前守の名も残っている。
明治末期に、多摩川に沿って府県境が引き直され、当地は神奈川県橘樹郡中原村へと編入された。
・・・江戸時代に「等々力」の字が当てられた。
この付近の今昔。
2010年代のようす。○が飛び地だったところ。
余談ですが、「田園調布駅」を中心に同心円状に住宅地が広がり、都内有数の高級住宅地となっています。
田園調布は、1918年(大正7年)に実業家渋沢栄一らによって立ち上げられた「理想的な住宅地『田園都市』の開発」を目的とする田園都市株式会社により主に開発され、1923年(大正12年)8月から分譲開始した地域である。田園都市株式会社は東急電鉄、東急不動産の始祖にあたる会社である。(「Wikipedia」より)
1880年代のようす。
大きな広場が続きます。
多摩川緑地広場。
遠くに武蔵小杉のタワーマンション群。
東京都市大学グラウンド。
テニスコート。
この先で、世田谷区から大田区に入ります。
けっこう長く「世田谷区」区域を歩きました。
振り返る。
上沼部排水樋管。
河口まで大田区になります。
東急線、丸子橋が遠くに。
左手に森が迫って来ます。
「多摩川台公園(大田区田園調布)」。丘の上には、多くの古墳があるようです。
案内図。
「田園調布4丁目」信号。
上流を望む。
下流を望む。対岸に釣り人の姿。
岸辺で釣り人が。