ますます川幅が広くなって、
対岸は、川崎市川崎区殿町付近。
遠く河口付近に見える橋は、「多摩川スカイブリッジ」。
「多摩川羽田地区自然環境保護指定区域」の標示。
「海から2K」。
川面にほんの少し見えるのは、「ねずみ島」?
右奥に見えるようですが。
(「今昔マップ」より。
昭和の初期まではこの島まで河川敷で畑があったそうです。河川改修で川幅を広げる際、畑の持ち主が買収に応じなかったため、とり残されたと言われています。今も標高3mで、川崎市に属しています。
※都県境は、かつては川崎市寄りになっていたようです。
1970年代のようす。顕著な島の姿。
2010年代のようす。小さく、中洲のよう。
大田区側の羽田第一水門。
水門に通じる舟だまり。
今も漁船や船宿があります。
案内板。海老取川と多摩川の合流点付近。
「五十間鼻無縁仏堂の由来」。
創建年代は、不明でありますが、多摩川、又、関東大震災、先の第二次世界大戦の、昭和二十年三月十日の東京大空襲の
折には、かなりの数の水難者が漂着致しました。その方々を、お祀りしていると言われております。
元は、多摩川河口寄りの川の中に、角塔婆が一本立っているだけで有りましたが 初代 漁業組合長 故 伊東久義氏が
管理し毎年お盆には、盆棚を作り、有縁無縁の御霊供養をしていました。昭和五十三年護岸工事に伴い、現在地に移転しました。その後荒廃著しく、仲七町会 小峰守之氏 故 伊東米次郎氏 大東町会 故 伊東秀雄氏 が、私財を持ち寄り復興致しました。
又、平成十六年に、村石工業、北浦工業、羽田葬祭スミヤ、中山美装、中山機設、の協力により新たに、ブロック塀、角塔婆、桟橋、などを修理、増設、現在に至ります。
又、新年の水難祈願として、初日の出と共に、羽田本町日蓮宗 長照寺 住職 並びに信者の方々が、水難者への供養を、毎年行っています。
※五十間鼻(ごじゅっけんばな])
東京都大田区羽田六丁目の、多摩川と海老取川の分流点に所在する石積みの沈床。その名称は、増水時の急流に対する護岸のため、水中に長さ五十間(約90m)に渡って石を敷き詰めたことに由来する。遠景に多摩川河口と東京国際空港(羽田空港)を眺望でき、釣りスポットや初日の出スポットとしても知られる。
・・・周辺は東京湾の干満の影響を受ける汽水域で、干潮時には石積みの上を歩くことが可能だが、満潮時には全体が川底に沈む。接続する羽田六丁目の河岸はコンクリートで護岸されているが、岸のすぐ下には干潟が存在し、干潮時には岸から降りることができる。
(この項、「Wikipedia」より)
辨(弁)天橋。