おやじのつぶやき2

「おやじのつぶやき」続編。街道歩きや川歩き、散歩がてらの写真付きでお届けします。

9月23日(土)。秋分の日。向島百花園。なたまめ。おみなえし。はぎのトンネル。ススキ。彼岸花。そして「新内流し」演奏。

2023-09-24 13:41:40 | 向島百花園

午前中の雨も上がった午後。

菩提寺の彼岸会は日曜日に参詣することにして、「向島百花園」へ。

秋を迎える草花が。暑い夏だったせいか、ちょっと満開が遅いかな?

「なたまめ」。大柄の豆。

ナタマメ(鉈豆)

マメ亜科の蔓性の一年草。原産地は熱帯アジアまたはアフリカ。刀豆(トウズ、タチマメ、ナタマメ)、帯刀(タテハキ)ともよばれる。日本へは江戸時代に渡来。約25センチメートルほどの豆果を結ぶ。以前から漢方薬として知られており、近年では健康食品、健康茶としても一般的に知られるようになった。

アジアアフリカ熱帯原産とされ、食用や薬用として栽培される。日本には江戸時代初頭にから伝わった。特に薩摩では江戸時代から栽培が盛んでNHK大河ドラマ篤姫』のワンシーンでも長旅の無事を祈る餞別として送られていた。福神漬けの材料にもなる

おみなえし(女郎花)。

ほおずき。

そして、お目当ての「はぎのトンネル」。

白と紅と。

  

  

園内のいたるところに「はぎ」。

                  

          

       

「ひがんばな」が、ちらほら。

                     

そのうち、三味線を弾きながら歩く浴衣姿の二人の女性。

勝新派社中による「新内流し」と「三味線演奏」。初めて実際に屋外を流して歩くのを見ました。

 

        男性も加わり、「義太夫語り」。

      

            

曲名は聞き逃しましたが、歌謡曲「明治一代女」と関連が深いもののようです。

『巳之さん堪忍して下さい。騙すつもりじゃなかったけど どうしてもあの人と別れられないこのお梅の気持 騙したんじゃない 騙したんじゃない・・・ ア 巳之さんお前さん何をするの 危ない!危ない!堪忍して か・・・ア 巳之さん巳之さん あたしは大変なことをしてしまった』

※その元となった「花井お梅事件(別名箱屋事件)」

美貌で勝気な芸者お梅は二十歳そこそこで待合を持ち女将となりますが、名義人を父にしたばかりに自分の待合から締め出されます。何とか店を取り戻そうと、かつて自分が芸者時代に箱屋として使い、そのときも待合の使用人として使ってやっていた峯吉(唄では巳之吉)に相談します。しかし峯吉は多大の恩にも拘らず、欲に目がくらんで、父親の側に立ってお梅を苛み、あろうことか関係を迫ります。逆上したお梅は峯吉を浜町河岸に追い、背中に出刃包丁を突き立て殺害します。峯吉殺しを父親に告げてからお梅は日本橋久松署へ自首しました。

この後は、「すみだ川」「宵待草」「みだれ髪」「悲しい酒」を観客と一緒に。

       

・・・聴き終わって園内を。

「みずあおい」。

<img src="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/57/fe355d5b3c1e8fa2b6bc6f9526e77edb.jpg">「ふよう」。

      すすき。

もみじ。

「萩を詠む」句集。

次回は「月見の会」。9月28日(木)~9月30日(土)。

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ローカル私鉄の旅。38。「わたらせ渓谷鐵道」。その3。

2023-09-24 13:28:18 | ローカル鉄道

車窓から。黒保根(くろほね)大橋。

「水沼(みずぬま)」。

全国的にも珍しい、駅構内に温泉のある駅として知られ、上りホームに隣接して水沼駅温泉センター「すっぴん美人の湯」が併設されています(休業中)。渡良瀬川を望む「かっぱ風呂(露天風呂)」からの眺めは絶景です。
駅近くには、「森と水のビレッジ スミテラス水沼」がオープン。BBQやパンケーキなどのブランチが楽しめる新名所です。 また、山麓にはさわやかな気候の花見ヶ原キャンプ場や利平茶屋森林公園があり、夏期は多くの人々で賑わいます。常鑑寺、医光寺、古路瀬渓谷などの数々の名所・旧跡があります。
1997(平成9)年には「関東の駅百選」に選定されました。

             自販機。

のんびりと列車の旅。

         

小さな集落に。

                  

「花輪(はなわ)」。

渡良瀬川が中心に流れるみどり市東町は、江戸時代に足尾の粗銅を運ぶあかがね街道の宿場町として栄えました。当時の銅蔵や古文書が今も残っています。
1865(慶応元)年10月12日、花輪に生まれた石原和三郎は、だれもが歌ったことのある童謡「うさぎとかめ」「金太郎」の作詞者です。童謡の父として称される石原和三郎の出身地であることにちなみ、駅のホームにはうさぎとかめの石像が設置されています。また、列車の発着時には「うさぎとかめ」のメロディーが流れ、訪れる観光客を出迎えます。
駅近くの旧花輪小学校は、日本鋼管の創立者である今泉嘉一郎の寄付により建てられたものです。1931(昭和6)年に建てられた木造の校舎が今も残り、登録有形文化財に指定されています。校庭には和三郎の功績をたたえる歌碑もあります。

童謡『うさぎとかめ』。

もしもし かめよ かめさんよ
せかいのうちで おまえほど
あゆみの のろい ものはない
どうして そんなに のろいのか 

なんと おっしゃる うさぎさん
そんなら おまえと かけくらべ
むこうの おやまの ふもとまで
どちらが さきに かけつくか

どんなに かめが いそいでも
どうせ ばんまで かかるだろ
ここらで ちょっと 一ねむり
グーグーグーグー グーグーグー

これは ねすぎた しくじった
ピョンピョンピョンピョン
ピョンピョンピョン
あんまりおそい うさぎさん
さっきのじまんは どうしたの

※1901年(明治34年)に『幼年唱歌 二編上巻』上で発表された。

『金太郎』

まさかりかついで きんたろう
くまにまたがり おうまのけいこ
ハイ シィ ドウ ドウ ハイ ドウ ドウ
ハイ シィ ドウ ドウ ハイ ドウ ドウ

あしがらやまの やまおくで
けだものあつめて すもうのけいこ
ハッケヨイヨイ ノコッタ
ハッケヨイヨイ ノコッタ

※1900年(明治33年)『幼年唱歌』に掲載された。

              史跡案内板。

「中野」。

わたらせ渓谷鐵道の開業と同時にできた駅です。 小夜戸(さやど)地区の入口にあたる場所に、地元からの請願駅として開業しました。 ゆるやかな曲線上にプラットホームのみが設置されたのどかな無人駅です。ホームの先には100mほど続く桜並木があり、春は乗客の目を楽しませてくれます。

             

紅葉には、まだまだ。  

                   次第に山間部へ。

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ローカル私鉄の旅。37。「わたらせ渓谷鐵道」。その2。

2023-09-22 18:33:38 | ローカル鉄道

「運動公園」。

次第に郊外へ。

               

「わたらせ渓谷鐡道株式会社本社」。

「大間々」。

          下り方向。

トロッコわたらせ渓谷号の始発・終着駅で、わたらせ渓谷鐵道の車両基地があります。
駅前には、引退した開業当時の車両(レールバス「わ89形」)が保存展示されています。
駅舎及びプラットホームが登録有形文化財として登録されています。
大間々町は江戸時代に足尾銅山に通じる「あかがね街道」の宿場となり、絹糸や農産物の産地として栄えました。商店街には歴史のある酒蔵や醤油蔵があります。

(この項、「」HPより)

大間々駅は、明治44年(1911)4月15日に開業しました。現在の本屋は開業当初の本屋の老朽化や貨物輸送や旅客の増加で建て替えられたもので、昭和16年3月30日に竣工したものです。木造平屋建セメント瓦葺で外壁はモルタル塗り、内部待合室は内壁の腰は人造石、壁面はモルタル塗りで昭和初期のモダンな雰囲気が現在でも残されています。半世紀以上も現役で稼働してきた歴史的経過の中で、明治から昭和初期にかけての歴史的な建造物の建ち並ぶ大間々の町並みと調和し、市場町として発展してきた大間々町の玄関口にふさわしい風格を持っています。

(この項、「」HPより)

わたらせ渓谷鐵道わ89-300形気動車。

車内風景。

              車内広告。

右手に渡良瀬川。

足尾の山々が見えてきます。

左手には森が迫る。

旧養蚕農家の趣。【高窓のある民家】

蚕は、群馬の農村経済を支える柱でした。「身上(家財、財産)をつくるのもつぶすのも蚕」といい、座敷を蚕室とし、「身上がけ」「命がけ」で蚕を飼いました。それだけに、人々は蚕を大切に「オカイコ」「オカイコサマ」「オコ(蚕)サマ」と尊称で呼ぶのが普通でした。そんな養蚕は、群馬の民家構造にも大きな影響を与えました。
 富士見村原之郷や渋川市赤城町勝保沢、片品村針山では、掃き立ててから2階で飼育し、下の炉で松などの太い薪を燃やして煙を立てる「いぶし飼い」を行っていました。天井の板はすき間を開けて、暖かい空気が上昇するように、2階はまわりに障子をめぐらし、床にむしろをひきました。
 大正から昭和にかけて、稚蚕期に蚕室を目張りして、養蚕火鉢などで保温する密閉育になると、稚蚕期は下の座敷で飼い、大きくなったら2階も含め家全体を使って飼うようになります。一般に、養蚕農家の二階は、蚕室として活用できるように、仕切が無く広々としています。さらに、2階への採光や、壮蚕期に必要な空気の流れを良くするため、さまざまな民家構造が考え出されていきました。
 北部山間部にある、茅葺き屋根の妻を切り落とした民家。赤城南麓に分布する、茅葺き屋根の前面ヒラの一部を切り落とした赤城型民家。あるいは、榛名山麓のやはり前面のヒラを切り落としてそこに庇(ひさし)をつけた榛名型民家。屋根の棟の上に、換気のために建てられた高窓(ヤグラ。ウダツとも言う。)も養蚕農家の特徴です。

(この項、「」HPより)

コスモスが咲き乱れる。

「上神梅(かみかんばい)」。

2008(平成20)年に、駅舎及びプラットホームがわたらせ渓谷鐵道の施設としては初めて登録有形文化財に登録されました。足尾鉄道の開業当初からの歴史を見守ってきた駅舎は1912(大正元)年の建造で、駅舎ファンの間では全国的にも「横綱級」と称えられています。珍しい木製の改札が残り、昔と変わらぬ姿の現役の駅舎とともに写真撮影スポットとしても人気があります。

「本宿(もとじゅく)」。

    <img src="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/9a/4cdcc2aa755846b1b061bf1d6f16ebfb.jpg">渓谷と山間を進む。   

 

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ローカル私鉄の旅。36。「わたらせ渓谷鐵道」。その1。

2023-09-21 18:33:38 | ローカル鉄道

JR桐生1番線ホーム。

わたらせ渓谷鐵道

わたらせ渓谷線は、足尾銅山から産出される鉱石輸送のために私鉄の足尾鉄道が敷設し、のちに国有化された足尾線が由来である。桐生駅から大間々駅までは市街地を走り、大間々駅から北の区間では、路線名の通り渡良瀬川上流の渓谷に沿って沢や支川を渡りながら谷筋を遡る。特に初夏の新緑と秋の紅葉の風景が美しく、臨時運行されるトロッコ列車では、風に当たりながら渓谷美を堪能できる。足尾地区では、本路線の建設目的であった足尾銅山の跡地や関連施設が沿線に残っており、一部が観光・見学施設として開放されている一方、廃止された旧足尾本山駅付近では、過去の歴史的な公害である足尾鉱毒事件の影響によりいまだにはげ山が連なり、異観を呈している。

足尾銅山は昭和48年(1973)に閉山しましたが、坑内等廃水処理は中才浄水場で続けられ、処理の段階で発生する廃泥はポンプにより簀子橋堆積場に送られています。銅山で用いる各種機械を製造・修理してきた間藤工場は、現在特殊鋳物製造工場として稼働しています。

また、煙害により荒廃した松木地区の治山・緑化事業は、本山製錬所に自熔製錬技術が導入された昭和30年代より徐々に治山工事と緑化工事の効果が現れ、現在では広範囲に緑が蘇りつつあります。さらに国民の環境に対する意識の高揚から、植樹に対する関心が高まり、平成8年(1996)に足尾に緑を育てる会の活動開始、平成12年に足尾環境学習センター開設が行われ、多くの人が当地を訪れ、植樹活動が行われています。

9月19日(火)。晴れ。日光市には雨、雷の予報が出ていて、どうしようか迷いましたが、・・・

   

車内風景。

             仕事、観光、地元。連休明けの平日のせいか、乗客は少ない。

桐生駅南口、インパクトあるお店。

しばらくは両毛線と並行。

渡良瀬川を渡ります。

                 

次第に両毛線から離れていきます。

東武線が近づいてきます。

 

「相老(あいおい)」。

わたらせ渓谷鐵道東武鉄道である。

わたらせ渓谷鐵道のわたらせ渓谷線と、東武鉄道の桐生線が乗り入れ、接続駅となっている。駅番号はわたらせ渓谷鐵道がWK03、東武鉄道がTI 56

駅名は、駅の所在地である旧相生村の地名をそのまま使用すると兵庫県相生駅と重なることと、共に老いるという考えから『生』を『老』に変更した。(「Wikipedia」より)

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JR「久留里線」。その7。(ローカル私鉄の旅。番外編。)

2023-09-19 18:35:50 | ローカル鉄道

木更津市郊外。

「上総清川」。

「道の駅 木更津うまくたの里」

※「東京湾アクアライン」に通じる自動車道にある。名称は、「うまくた」となっている。「うまい」をかけたものか。

千葉県・木更津東インターのすぐ横にある「道の駅木更津 うまくたの里」。木更津市初の道の駅として2017年にオープンし、体験型テーマパークとして数々のメディアに取り上げられる人気で、すでに来場者は650万人を突破している。
9,488m2の敷地に立つ施設内には地元名産品が約2,000点揃い、地元契約農家の野菜や果物、行列店の新グルメやピーナッツ商品など千葉の魅力を堪能できる場所だ。ちなみに「うまくた」とは道の駅がある富来田地区周辺の昔の地名なのだそう。(「マイナビニュース」より)

           

こうして木更津駅に戻ってきます。

       

木更津は「房総往還」の時、半日かけて見て回りました。その時の記録。

 

 

 

動画からいくつか紹介。

     

             

                  

        

房総往還歩きでは、この踏切を左から右へと渡り、木更津駅前に向かいました。

関東エリアのローカル私鉄の旅もあとわずか。次回は、「わたらせ渓谷鉄道」に乗る予定です。

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