おやじのつぶやき2

「おやじのつぶやき」続編。街道歩きや川歩き、散歩がてらの写真付きでお届けします。

成田線「水郷駅」~「笹川駅」。その6。(「佐原銚子街道」をゆく。第2日目。)

2024-05-25 13:39:02 | 銚子往還

 

「第二佐原銚子街道踏切」。

                        「笹川駅」方向。

「小見川駅」方向。

「国道356号(利根水郷ライン)」。右手に「高橋いちご園」。

この地域でも、房総特有の槇の生け垣が続きます。

タイヨー 東庄店。

            向こうに水田が広がる。利根川の対岸には、鹿島臨海工業地帯(神栖)の高い煙突群。

バス停「新切(しんせつ)」。

雪洞風の街灯。

右手奥に「笹川駅」。今回はここまで。

駅に向かいます。

             「水の里 風ロマン 東庄町」というアーケード。

成田線「笹川駅」。

駅前の広場。

右手の駐輪場にあるモニュメント。

                      タイトルは「積雲の彼方へ」。葉と人と鳥が融合したかたち。 

足下に、

「天井に ツバメのお家 があります。 ご注意下さい。 あたたかく見守ってね」

見上げると、

小見川とここと、ツバメに出会いました。

跨線橋から。銚子方向。

南東側。

上りホーム。次回はこの駅から。

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成田線「水郷駅」~「笹川駅」。その5。(「佐原銚子街道」をゆく。第2日目。)

2024-05-24 15:53:57 | 銚子往還

左折し、直畝道を進みます。この道筋は大きな桝形(曲尺手)?

街道沿いに集落。

この付近の今昔。

(現在)左折した後、成田線沿いに進む。

(1880年代)阿玉川の集落。舟運のための道が見える。

広く大きな屋敷。

「飯沼観音六里」。銚子駅まであと24㎞弱となります。

ということは、あと6時間。軟弱な小生。あと2.5日ペース。

成田線沿いの直線道になります。

左手下には水田が広がる。

眼下は成田線の線路。「黒部川」、その向こうに「利根川」。

          

北西遠くに「筑波山」(↓)。

                利根川歩きのときは、筑波山を眺めながらの歩きでしたが、振り返るときにのみ。

「東庄(とうのしょう)町」に入ります。

成田線。

        

右手は森。

色褪せた看板。「ようこそ東庄へ。これよりいちご街道」。 

成東駅から歩いたときにも「いちご街道」がありましたが、東庄町でもイチゴ栽培が盛んなのですね。

この先、イチゴの販売所やいちご狩りの農園があります。

上り電車(千葉・成田行き)が通過中。

踏切を渡ると、「笹川」の町並みに。

踏切の手前に、「わが町には相撲がある」。

諏訪神社秋季大祭(笹川相撲まつり) 東庄町観光協会

天保水滸伝ゆかりの相撲まつり

笹川の相撲まつりは、浪曲や講談で有名な「天保水滸伝」にも登場する由緒あるおまつり。現在は、7つの地区の廻り番により、毎年7月最終土曜日に開催され、自衛隊力士や町内の子ども会力士による「団体戦」や「勝ち抜き戦」、「三役相撲」など多くの取組が行われる。当日は、山車の引き回しも夜10時まで行われ見どころ満載。

大相撲の巡業や相撲部屋の夏合宿などが行われているようです。

※「天保水滸伝」については、この後、次回の街道歩きの冒頭で。

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成田線「水郷駅」~「笹川駅」。その4。(「佐原銚子街道」をゆく。第2日目。)

2024-05-23 15:26:03 | 銚子往還

国道356号に合流します。

                左折し、国道歩き。この通りが「(旧)佐原銚子街道」になっています。

                    

頭上を何羽ものツバメが飛び交っています。

このお店の「デ」の上に巣がありました。(↓)    

近所の工場に毎年、ツバメがやってきましたが、近年はまったく見なくなりました。久々のツバメの姿を見ました。

ツバメ (「Wikipedia」より)

・・・

「燕尾服」の由来となったオスの尾羽は長ければ長いほどモテる?!

全長17cm。オスメス同色ですが、尾は長い方がオスです。空中を飛んでいる虫を餌にしていますので、農薬を使っていなかった昔は稲作の害虫を食べてくれる大切な鳥でした。そのためツバメを大切にするような言いつたえが各地にありました。日本で繁殖をしたツバメは台湾を経由してフィリピン、マレーシアで越冬する事が知られています。ツバメは南の国からやって来る渡り鳥の代表です。一般的には夏鳥ですが、暖かい地方では越冬するものもいます。家の軒下(のきした)に巣をつくったツバメは、雷や火事を防ぐ生きものと信じられ、子どもを生み育てるおめでたいしるしの鳥として人々に愛され、大切にされました。今も町の商店や消防署、警察署、駅のホームなどで、子育てから巣立ちまでを見せてくれる身近な鳥です。

オスカー・ワイルドの有名な童話をご紹介しましょう。 ある町の高い円柱の上に「幸福な王子」と呼ばれる立像がありました。あるときそこへ飛んできたツバメがひと休みしようと降りると、王子の眼から涙がこぼれているのに気づき、そのわけをたずねました。王子は「高いところから町を見ていると、かわいそうなことが起きているのがわかって悲しいから」と答えました。情(なさけ)ぶかい王子に感心したツバメは、王子の目になっている宝石や、からだに張ってある金パクを不幸な人に届ける役をひき受けて働きました。やがて冬が来て、ツバメは凍(こご)え死に、王子の像もボロボロになってこわされましたが、心やさしい王子とツバメは天国に召されていきました。

今来たと 顔を並べる つばめかな 一茶

(この項、「サントリーの愛鳥活動」HPより)

「青面金剛(しょうめんこんごう)」碑。神は庚申とも呼ばれる。

左手にいい匂いと煙が。

若い職人がウナギを素焼きしています。 

オクマヤは明治5年(1872年)の創業よりご愛顧を頂いております。
”肉質の柔らかな良質のうなぎ”を厳選し、一品一品真心を込めて作らせていただいております。
当店自慢の炭火うなぎの白焼き、うなぎ佃煮、川魚佃煮等取り揃えておりますので、ぜひご賞味くださ「い。

(「

」HPより)

大きなウナギの白焼き。

  

街道歩きを続けます。右に大きく曲がります。                

告示「阿玉川区総植土を令和6年5月9日(木・大安)とします」。

これはどういう行事なのでしょうか? 

 

「成田線」の踏切を渡ります。

「佐原銚子街道踏切」。

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成田線「水郷駅」~「笹川駅」。その3。(「佐原銚子街道」をゆく。第2日目。)

2024-05-21 15:57:58 | 銚子往還

古代、小見川の大部分は海であり、陸地部には縄文人が住み着いていた。そのため現在でもその地域には貝塚が多数存在している(白井、阿玉台、木内、内野、良文等)。

46世紀には、日本の他地区と同様、小見川でも古墳が作られた。100基程見つかっており、代表例として三ノ分目大塚山古墳や、城山古墳群が挙げられる。

鎌倉時代に入ると、千葉氏の勢力が強まり、その一族である粟飯原朝秀が小見川城を築いた。一方で、西地区の一部(織幡など)は香取神宮が領有を主張していた。

粟飯原氏はその後も、源氏足利氏北条氏と密接に関わり地域を支配していた。しかし、やがて千葉氏の勢力が衰え、天文21年(1552年)に正木時茂により小見川城が攻略されると、粟飯原氏一族は離散した。また、香取神宮も天正19年(1591年)の太閤検地によって多くの社領を失い、織幡は普通の村落になった。

文禄3年(1594年)、松平家忠が小見川に封ぜられた。これが小見川藩の始まりである。続いて土井利勝安藤重信が封ぜられ、その後天領などを経て慶安2年(1649年)、内田信濃守正信の領するところとなり、以降幕末まで内田氏による統治が続いた。また、この頃から利根川東遷事業により、東北地方銚子醤油などが利根川を経由して江戸に運ばれるようになった。これにより佐原などはその中継地として栄えたが、小見川もまたその恩恵を受けた。・・・

※残念ながら、小見川の町並みは、明治 13 年(1880)、明治 20 年(1887)、明治 21 年(1888)と立て続けに大火に遭っている。・・・これにより多くの商家も焼失したと言われているが、現在も、新町通りの谷屋呉服店などいくつかの商家などが残っており、江戸時代末期の創業であるが、ちば醤油や飯田本店などの醸造業者が今も営業を続けている。・・・

この付近の今昔。

                        (現在)北方が「利根川」など河川改修されている。

                          (1880年代)湖沼が広がっている。

       中央左寄りの集落が「小見川」。    

「黒部川」沿いの古い建物。

下流方向。「大橋」。

                    「銚子街道」上の橋。

上流方向。農業排水路なのでしょうか、けっこう濁っている。

「振袖専門店 谷屋呉服店」。

               街道沿いのお店。土蔵、古い店構え。

                

解説板。

部川にほど近い旧銚子街道沿いに南面して建つ呉服店で、創業は嘉永元年(1848)とされる。旧小見川町の代表的商家の土蔵で、現在は貝紫(アカニシ貝)の染色製品を展示する夢紫美術館として一般に公開されている。

蔵は明治後期のもので、南北棟、土蔵造2階建瓦葺。平入で、店舗側の東面に蔵前を設け、入口には重厚な黒漆喰仕上げの観音開きの扉をしつらえている。西面は下見板張、2階の表通りに面して観音開きの窓を設ける。外観上は標準的な造りの土蔵であるが、洪水に備えて床高を上げるなどの工夫や、防火構造壁(厚さ60cm)も併せ持っている。

千個の貝からわずか数グラム

貝紫は、膨大な数の巻貝を必要とし、希少かつあまりにも高価なため、帝王や貴族の式服にしか使用を許されず「最も高貴な色」と言われてきました。権威の証でもあったことから「帝王紫」や「クレオパトラの紫」と重宝されていましたが、東ローマ帝国の滅亡とともに途絶え幻の色と なりました。秋山は藍の発酵からヒントを得て独自の手法で日本近海に生息するアカニシ貝の内臓(パープル腺)から紫の色素の抽出と染色に成功し、現代に蘇らせました。

類まれな美しい色と優れた堅牢性において貝紫は、染織職人にとり他の追随を許さない天与の染料です。

"創業177年の谷屋呉服店です。成人式の振袖レンタルと購入、ママ振袖、成人式当日の着付け・ヘアメイクのお支度、前撮り写真撮影のお手伝いをしております。地域の皆様がいつご来店いただいてもお喜びいただけるように、常時1,800枚以上の振袖をご用意しております。振袖は今トレンドのくすみ系やアースカラーなどの流行柄から伝統的な京友禅をはじめ絞り柄などの古典柄、レトロ柄、モダン柄など、色のバリエーションやデザインイメージも豊富。袋帯、帯締め、帯揚げ、半襟、重ね襟、草履、バッグ、髪飾りなども幅広く取り揃え、経験豊富なスタッフが上品でおしゃれな振袖コーディネートをご提案いたします。老舗着物専門店としての伝統と実績でお客様の成人式や前撮り撮影を最高の日にするために、スタッフが一丸となってサポートいたします。ぜひお気軽にご相談ください。"

立派なお屋敷。

「佐原銚子街道」(旧道)を振り返る。

<img src="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/bd/2239993407ff02f9a493b3cd4ceffa32.jpg">桝形を過ぎ、国道356号に向かう。

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カルガモ4羽。梅の実も大きく。かるみや。やまあじさい。緑が濃くなった「向島百花園」。立葵。

2024-05-20 15:36:05 | 銚子往還

すっかり緑が濃くなった「向島百花園」。

<img src="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/1d/e850474d7fc25041cfe89b7957dbcd85.jpg">

         

5月18日(土)。このところ、不思議と土曜日に晴れるの日が続きます。

       

その後のカルガモは? 

           いました! 

2組のつがい?

          

池を思い思いにスイスイ。

あやめ。水辺も初夏らしく。

梅の実も大きく、色づきつつ。「とうばい」。

「しろかが」

 

                        「べにすずめ」。

「かるみや」。

カルミアはコンペイトウのような形をした、色濃い蕾を持っています。花が開くと皿形になり、色は薄く模様が入って、蕾の様子とは全く異なった印象を受けます。開いた花をよく見てみると、雄しべの先は花弁のくぼみの中に収まっています。この雄しべは、飛来した昆虫などによって刺激を受けると飛び出して、花粉も散るというおもしろい仕組みをもった花です。
カルミアは、7種からなる小さな属で、北アメリカとキューバに分布する常緑低木です。一般にカルミアと呼ばれるのはラティフォリア種(Kalmia latifolia)をさし、いくつかの品種が鉢植えや庭植えの花木として栽培されます。栽培はシャクナゲに準じ、夏の暑さと乾燥に注意が必要です。(「」より)

「しゃくなげ」。

葛の葉。

やまあじさい。

「にわふじ」。

「寺島なす」の花。

「せんだん」。

※”栴檀は双葉より芳し” の栴檀は、この栴檀のことではなく、白檀(びゃくだん)という木のことを指す。 (白檀は別名を栴檀と呼ぶ)

 <参考>”栴檀は双葉より芳し” (せんだんは ふたばよりかんばし)。

栴檀(白檀)は発芽したころから芳香を放つことから、優れた人物は、幼いときから他と違って優れていることを示すことわざ。

「さくらそう」。

「やまぶきそう」。

帰途、近所の公園で「立葵(たちあおい)」の花を目にします。

 

    これから見頃に。

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