おやじのつぶやき2

「おやじのつぶやき」続編。街道歩きや川歩き、散歩がてらの写真付きでお届けします。

成田線「水郷駅」~「笹川駅」。その2。(「佐原銚子街道」をゆく。第2日目。)

2024-05-19 13:35:53 | 銚子往還

用水路脇を歩きます。

                   

明照保育園。

左手が開けてきます。

と、そちらを眺めながら歩いていたので、「飯沼観音七里道標」を見逃してしまいます。

「COCO'S小見川店」と反対側の国道沿いにあった!

「城山公園」に向かう道の角に、「御大典記念碑」。

                         「北 大倉村 津之宮方面 西 分郷神里村方向」

「東 小見川町 笹川町 銚子町方面」

※1928年(昭和3年)11月10日、京都御所で挙行された昭和天皇の即位式を記念したもので、全国にある。この石碑は道標にもなっている。

※「城山公園」

城山の名前のとおり鎌倉時代から戦国時代末期にかけて、豪族粟飯原氏の城が築かれたところで、今でも城跡の一部が残っているほか、古代の古墳群もあります。

 現在では70種余り、約6,000本のさまざまな樹木が植えられ、四季を通じていろいろな花木が楽しめる公園となっています。中でも春は、1,000本のソメイヨシノと4,000本のつつじが山一帯に咲き乱れ、北総随一の花見の名所として知られています。ほかにも、夏のアジサイやサルスベリ、秋のアベリアやキンモクセイなどが、行楽に訪れる家族連れの目を楽しませています。

 

 公園内には、遊具が整備された「アスレチック広場」や「チビッコ広場」「わんぱく広場」のほか、茶会や華道などの集まりもできる数寄屋造りの「清風荘」があり、子どもから大人まで楽しめます。

(この項、「」HPより)

水田が広がります。                 

         右手奥、「利根川」に架かる橋が、「小見川大橋」。

「小見川大橋入口」交差点。

        

バス停「八日市場」。小見川の町中に入ります。

                  

国道から離れて街中を歩きます。初代松本幸四郎墓所。

歌舞伎役者の初代松本幸四郎の墓は、JR小見川駅から歩いて10分程の善光寺にあります。本堂に通じる参道の入り口には、「初代松本幸四郎の墓所入口」と刻まれた碑が建てられており、参道を100メートル程歩いていくと本堂前に設けられた案内板が墓所まで案内してくれます。

 初代松本幸四郎は、延宝2年(1674年)に小見川の島田家に生まれ、10歳の時に佐原の小間物屋「高麗屋(こうらいや)」に奉公しました。元禄の初め江戸に出て久松多四郎の門に入り、最初は松本小四郎と名乗りました。

 享保元年(1710年)に幸四郎と改名。享保13年(1722年)11月に「弁慶」の当たり役で喝采を浴び、荒事立役を最も得意としました。弁慶の上演回数は実に千数百回に及び、2代目市川団十郎と並び当代の名優と称せられました。享保15年(1730年)3月25日、57歳で、その生涯を閉じています。

(この項、「香取市」HPより)

鶴嶋製作所。

江戸末期からの清酒造りの蔵元だったが、昭和37年に廃業、機械加工工場として再出発した。

旧道。

       

この付近の今昔。

                     (現在)南にも市街地が広がっています。

赤い線が国道356号。旧道は北にそれた道筋。枡形(曲尺手)が二カ所、残っています。川は「黒部川」。

                     (1880年代)北側には大きな湖(沼地)。

   北にある利根川に通じる水路を活用して発展した町。

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成田線「水郷駅」~「笹川駅」。その1。(「佐原銚子街道」をゆく。第2日目。)

2024-05-18 13:32:48 | 銚子往還

5月10日。快晴。佐原銚子街道歩きの続き。

水郷駅。下車客1名。

「一の分目(いちのわけめ)」

※地名は新田開発に伴う地割に関係するものと思われます。「三の分目(さんのわけめ)」という地名も同様か。

この付近の今昔。

                        (現在)現在も水田が広がる。

          赤い線が「国道356号」。

                        (1880年代)街道は、集落に沿って続く。

利根川は、周囲の河川、沼地などで流路が狭くなっていた。後、大規模な河川改修がなされ、現在のような流れに。

バス停「水郷駅」。

                

右手に「前方後円墳」。

                            「三ノ分目大塚山古墳」。

            

解説板。

香取市一ノ分目・三ノ分目・富田地区の利根川に沿った微高地上には10基以上の古墳が確認されており、「豊浦古墳群」と総称されている。中でも最大の本古墳は、墳丘の全長が123mの前方後円墳で、後円部の径68m、高さ9.5m、前方部の幅62m、高さ7.5m。墳丘は三段に築かれ、周囲には盾形に周堀が巡っている。これは、現在のところ、利根川(旧鬼怒川)下流域最大で、千葉県内でも屈指の規模を誇る。また、墳頂と各段の平坦部には円筒埴輪列や朝顔形埴輪が確認されている。後円部墳頂は共同墓地となっているが、その傍らに大きな板石が3枚立っている。これは石棺に使われた石材で、底石には側壁石と小口石を載せるための切り込みがみられる。この石棺は長持形石棺と呼ばれ、畿内では5世紀の大王や大豪族級の大型古墳に採用された形式である。しかし、この石棺がいつ、どのような経緯で掘り出されたのか、副葬品は何があったのかなどは、わかっていない。本古墳は、墳丘の形、埴輪や石棺の特徴などから、古墳時代中期の5世紀ごろに築造されたと考えられる。香取地域においても、強大な勢力をもつ首長がいたことを物語る古墳で、香取市のみならず、関東地方を代表する中期古墳である。

墳丘に上がってみます。

  

                 写真の3つが板石。

よく原形が保たれています。

水田の部分が、かつての堀跡?

来た道に戻ります。

     左が古墳。

下から見上げた全景。

国道に復帰。「三之分目」。

大きな石碑(詳細不明)。

左手奥が利根川。

周囲が開けてきます。

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JR成田線「佐原駅」~「水郷駅」。その6。(「佐原銚子街道」をゆく。第1日目。)

2024-05-16 15:38:22 | 銚子往還

狭い歩道。家などのところでは下りたり上がったりで、けっこう膝にこたえます。車の行き来も多い。

車道を歩いたり、歩道に上がったり・・・。もうじき「水郷駅」のはずですが。

右手に立派な長屋門。

               

左手には「旧大倉小学校」。

2022年3月末をもって、香取市立大倉小学校(千葉県香取市大倉501)が閉校します。

1879年に千手院を仮校舎として大倉小学校が創設。ここが当校の創立起源となります。水田地帯が広がる自然環境に恵まれた同校は、児童数35名の小規模校。この地域では梨栽培が盛んなため、学校の校庭でも梨が育てられています。自然と触れ合う授業が多いことでふるさとを知る機会となっているそうです。また授業間の時間には縄跳びを行ったり、昼休みに「ロング昼休み」を実施したりと楽しく体力づくりにも励んでいます。

143年間に渡りこの地区を見守り続けてきた同校ですが、残念ながら2022年に閉校。その歴史は新設の統合校の香取市立水の郷小学校に引き継がれ、同校は学び舎としての役目を終えます。ゆかりのある方はこの場所にもう一度足を運んでみてはいかがでしょうか。(2021年8月執筆)

(この項「」HPより)

右へ緩いカーブ。その角に古い石塔が3つ。

                           詳細不明。  

バス停「大倉」。  

やっと右手奥に「水郷駅」が見えてきました。   

街道は先に続きます。   

なかなかおしゃれな駅舎。  

利根川方向を望む。   

何とかたどり着きました。

ところが、ホームには高い跨線橋を上がって下りることに。痛む膝にはこたえます。

   住宅の向こうに水田が広がる。 

          住宅地。

「小見川駅」方向。

「香取駅」方向。

次回も国道356号線歩きが続きます。

 

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JR成田線「佐原駅」~「水郷駅」。その5。(「佐原銚子街道」をゆく。第1日目。)

2024-05-15 15:33:29 | 銚子往還

右手、線路の向こうは丘陵。

成田線・国道356号は台地の裾を縫うように進む。

バス停「側高(そばたか)青年館」。この先に、「側高神社」の大きな看板。

左手は利根川堤に続く田んぼ。

水準点。これも民家の敷地内にある。「海抜2.0m」。

「側高神社入口」。

奇祭「髭撫祭(ひげなでまつり)」で知られる側高神社は、香取神宮第一の摂社です。香取神宮の祭神である経津主命と縁故の深い神を祀った神社ですが、その主祭神は神秘とされて明らかにされていません。
鳥居をくぐって拝殿へと向かう石段の脇には、「四季の甕」と呼ばれる石段が並んでいます。石段の側から春の甕、夏の甕、秋の甕、冬の甕といい、夫々の甕の水量が四季折々の降水量を示すとされています。
この神社は利根川を見下ろす台地に建立されていますが、はるか昔は香取ヶ浦と呼ばれる広大な内海が眼下に広がっていたであろうと想像されます。そして境内には樹齢500年を超えるといわれる夫婦杉があり、さらに太さ7.4mもの杉のご神木も見事に聳え立っています。
本殿は寛文五年(1665)の建立で、独自の構造を持つ本殿は当地域ではほかに例がなく、昭和57年に千葉県の有形文化財に指定されました。

毎年1月第2日曜日に行われる髭撫祭は今から約800年前、鎌倉時代の建保二年(1214年)に始められたと伝えられています。大倉村中の氏子を氏族別に18組に分け、18当番の各組が毎年交互に2組ずつ祭り当番・請当番として奉仕するしきたりで、祭当番引き継ぎの行事として執り行われます。当日、神前に注連縄(しめなわ)を張り、鶴亀遊ぶ蓬莱山(ほうらいさん)を飾り、両当番は西と東に分かれて酒を飲み合います。年番のみが髭をつけています。紋付羽織袴という古式の礼装に威儀を正し、荒筵(あらむしろ)の上に著座し、二人ずつ交互に出て七引き合いの杯事を行い、初献より七献目(満献)まで、一杯・三・五・七・七・五・一杯と定められています。この定められた杯を飲み干したのち、年番は請年番に酒を勧めるため立派なひげを撫でます。これは「もっと飲め」という合図で、請年番は断れないしきたりになっています。これが「ひげなでまつり」といわれる所以です。見事に飲み干す度に勇者を褒めはやす鬨(とき)の声が新年早々の側高山に湧き上がり、今なお昔ながらの手振り床しく、五穀豊穣、子孫繁栄を祈念して引き継がれているのです。貴重な伝統文化であり、昭和52年に市の無形民俗文化財に指定されました。

(この項「」HPより)

「東関東自動車道」の橋梁。

             

利根川河畔を望む。

            田植えを終えたばかりの水田が広がる。

この踏切際に道標「飯沼観世音八里」があるようですが、車の行き来が激しく確認できず。

バス停「丸峰入口」。

成田線上り電車が通過。

         この1本後の電車に乗るつもりです。しかし、膝の痛みがますます激しく、やっと歩いている感じ。

丘陵が迫ってきます。

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JR成田線「佐原駅」~「水郷駅」。その4。(「佐原銚子街道」をゆく。第1日目。)

2024-05-14 18:38:54 | 銚子往還

田植えの時期。                  

来た道を振り返る。

バス停「かわじり橋」。「川尻」。

利根川沿いに進んできた国道356号「利根水郷ライン」に合流。

国道に入ってすぐ左手に、「香取神宮一ノ鳥居(津宮鳥居)」。

ここは、利根川歩きのときに立ち寄っています。大鳥居と「与謝野晶子歌碑」があります。

バス停「津の宮」。

国道356号線「利根水郷ライン」を進みます。

                  この先からは、利根川河畔と少し離れていきます。

この国道は、銚子・小見川・対岸にある鹿島臨海工業地帯への幹線道路。大型トラックなどがひっきりなしに行き来します。

路肩も狭く、けっこう歩くのに苦労します。信号も少なく、スピードを出して通り過ぎるので、恐い!

バス停「香取駅」。 

駅までは、かなり歩きます。

バス停「堀川」。 

遠くに鹿島線の利根川橋梁。

「鹿島線」の高架をくぐります。

振り返ると、

            右に「鹿島線」、左に「成田線」。

鹿島線

成田線の佐原駅から銚子側の1駅先にある香取駅から分岐し、水郷潮来あやめ園や十二橋めぐりなどの水郷の観光地を持つ潮来駅鹿島神宮鹿島臨海工業地帯のある鹿嶋市の中心である鹿島神宮駅を経由し、鹿島サッカースタジアム駅を終点とする。

※去年の夏、「関東ローカル線の旅」で乗りました。

左手に「鹿島線」。

そして、5月12日は「母の日」。3人の子どもたちが思い思いの心を込めて。むしろ、嫁さんたちが、・・・。

        

             <img src="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/ee/0ebbdf67851d4c0158dc861ac9e4ace8.jpg">

父の日よりも心温まる、やっかみ日でした。

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