鳥な人たち
空を飛ぶことに熱中していた時期がある。少年の頃でなく大人になってから、それも還暦がカウントダウンに入った定年前の話だ。スカイスポーツの盛んな埼玉県内の荒川河川敷で、超軽量機(ウルトラライトプレーン)やスカイダイビング、モーター・パラグライダー(パワード・パラグライダー)などを目にしたのが、きっかけだった。
キャノピーと呼ばれる化繊製の翼と、扇風機を連想させるガソリンエンジンを背負って飛ぶモーター・パラグライダーの教室に、さっそく入校する。入校2日目には独りで空を飛んだ。在職中は出張が多く、高度1万メートルのジャンボ機から見る光景に物珍しさは感じなかったが、たかだか200メートルから見た地上の光景は新鮮だった。堤防上を原付バイクで走る農夫の姿、麦畑の細い畝筋や民家の瓦模様、時には荒川を泳ぐ魚群(たぶん鯉)までもが、はっきりと見えた。操作も至って簡単。すっかり鳥になった気分で、鳥瞰(ちょうかん)という言葉がしきりに浮かぶ。紙飛行機にでも乗っている気分といった方がよいか。以後、退職直後まで5年間通ったが、この初フライトがいちばん感動的だった。
「赤とんぼの大群を見たよ! 高度は500メートルぐらいかな。あんな大群で、あんな高い場所を飛ぶものなんだね。どこへ移動して行くのかな?」
ある秋の日、声優をしているという同年輩のAさんが、興奮冷(さ)めやらぬ顔で教えてくれた。“鳥な人たち”だから、こんなニュースに皆が夢中になる。以後飛ぶたびに赤とんぼの大群を探したが、ついに遭遇することは叶わなかった。
気持も体も若い高齢者たち
Aさんのほかにも、スパイラル降下の得意な塗装工のBさん。ローパス(低空飛行)が巧みでスクールの校長を冷や冷やさせていた会社役員のCさん。パラグライダーでは高度が保たれているほど安全である。皆が仕事を持ちながらスカイスポーツも楽しみ、そろって少年のような瞳の持ち主たちだった。長時間フライトの好きなDさんは60代半ば、いくら尋ねても定年前の仕事を教えてくれなかった。堅い仕事だったのかもしれない。いつもニコニコと楽しそうで、最初に親しくなったのがDさん。当時、スクールにやって来る人の大半は5、60歳代の人たちだった。
「子供も嫁に行ったり就職して独立したりで、親のテから離れた。それでウチの奴からお許しが出ましてネ。子供が在学中だと、まだ稼ぎ頭に死なれては困るから、決してお許しは出なかったでしょう。やっとお役御免、つまり『もう死んでもいいよ』ってことです!」
Dさんの弁。他の人からも同じような話を聞いた。こういう趣味を持つから元気なのか、元気だから、こうした趣味が楽しめるのか。どちらも真実だろう。はっきりしているのは、まだまだ気持も体も若い高齢者は多い、ということ。だが同時に、病気その他の理由から、働きたくとも働けない高齢者が多いことも事実である。
「高齢者」の定義はさまざま
昭和46年施行の「高年齢者雇用安定法」は「55歳以上」を「高年齢者」と規定した。当時は、まだ55歳定年が一般的だった。目新しいところでは平成19年の「高齢者の医療の確保に関する法律」で、ここでは65歳から74歳までを「前期高齢者」、75歳以上を「後期高齢者」と分けた。このような定義で特徴的な点は、国の担当官庁が主導し、行政側の必要から言葉が決められていること。雇用や医療で国と個人の負担割合の基準にする目的などからである。お役所言葉なので硬い表現になりがち。とりわけ「後期高齢者」という言い方には批判が集中した。年齢に該当するお年寄りたちは「後期の高齢者とは、あとは死を待つだけの高齢者という意味か? なんと失礼な!」と感じたことだろう。元のように「高齢者」1本で良いではないか、と。エリート官僚たちは、頭脳が優秀でも他人(ひと)の気持を思いやることはニガテなのかもしれない。
準高齢者、高齢者、超高齢者
日本老年学会と日本老年医学会が、今年2017年になってから「高齢者の名称を使うのは75歳からにしては、どうか」と提言した。日本老年医学会は、文部科学省が設立を認可した団体。医師の側から「高齢者」の定義に迫った点が注目される。日本人の平均寿命が大きく伸びていることが背景となった。同時に65歳から74歳までを「準高齢者」、90歳以上を「超高齢者」と呼ぶことも提言している。
同じ年齢層でも「前期高齢者」より「準高齢者」の方が、該当するお年寄りたちの受けは良いだろう。75歳から89歳の層の人にとっても「後期高齢者」から「後期」が取れただけで、いくらか気分が軽くなるかもしれない。「一億総活躍社会」の趣旨からも「これ以上頑張らずに完全リタイヤするか……」という気にさせる「後期高齢者」の語はふさわしくあるまい。
といって「超高齢者」の語は、どうか。「超」は「後期」より刺激的な語だ。「高齢者を超えたのだから、そろそろ姨捨山の方へ」と促すニュアンスさえ感じさせる。90歳を超えてなお元気に働くお年寄りたちが多い事実を考えれば、あえて90歳以上に「超」を加える必要はあったのか。
言葉のトリック
お役所発のコトノハとはいえ、国民に与える影響は大きい。むしろ役所主導であればこそ心理的負担になり得るし、負担を除くマジックにもなり得る。コトノハのトリックである。
日本老年医学会前理事長の大内尉義・東京虎の門病院長は、全国紙の特集記事の中で「65~74歳の元気な人たちから『高齢者』というくびきを取り除き、就労やボランティアなどで生き生きと社会参加できる世の中を作ってほしいと願った」と趣旨を述べる一方で「年金の支給年齢の引き上げなど、社会保障の切り捨てにつながると危惧する声もあった。これは我々の本意ではない。65~74歳の時期は、特に個人差が大きく、支援が必要な人もいる」とクギをさした。同感である。
空を飛ぶお年寄りを見て「高齢者は皆元気だ」と断じるのは危険だ。オレオレ詐欺で大金を失った老婦人のニュースに「イマドキの高齢者は金持ちだ」と感心(?)するのも早合点である。個人差は大きい。行政が手を差し伸べるべきは、病気がちで低収入の高齢者たちだ。一律に年齢で区切ることに、期待するほどの意味はない。
空を飛ぶことに熱中していた時期がある。少年の頃でなく大人になってから、それも還暦がカウントダウンに入った定年前の話だ。スカイスポーツの盛んな埼玉県内の荒川河川敷で、超軽量機(ウルトラライトプレーン)やスカイダイビング、モーター・パラグライダー(パワード・パラグライダー)などを目にしたのが、きっかけだった。
キャノピーと呼ばれる化繊製の翼と、扇風機を連想させるガソリンエンジンを背負って飛ぶモーター・パラグライダーの教室に、さっそく入校する。入校2日目には独りで空を飛んだ。在職中は出張が多く、高度1万メートルのジャンボ機から見る光景に物珍しさは感じなかったが、たかだか200メートルから見た地上の光景は新鮮だった。堤防上を原付バイクで走る農夫の姿、麦畑の細い畝筋や民家の瓦模様、時には荒川を泳ぐ魚群(たぶん鯉)までもが、はっきりと見えた。操作も至って簡単。すっかり鳥になった気分で、鳥瞰(ちょうかん)という言葉がしきりに浮かぶ。紙飛行機にでも乗っている気分といった方がよいか。以後、退職直後まで5年間通ったが、この初フライトがいちばん感動的だった。
「赤とんぼの大群を見たよ! 高度は500メートルぐらいかな。あんな大群で、あんな高い場所を飛ぶものなんだね。どこへ移動して行くのかな?」
ある秋の日、声優をしているという同年輩のAさんが、興奮冷(さ)めやらぬ顔で教えてくれた。“鳥な人たち”だから、こんなニュースに皆が夢中になる。以後飛ぶたびに赤とんぼの大群を探したが、ついに遭遇することは叶わなかった。
気持も体も若い高齢者たち
Aさんのほかにも、スパイラル降下の得意な塗装工のBさん。ローパス(低空飛行)が巧みでスクールの校長を冷や冷やさせていた会社役員のCさん。パラグライダーでは高度が保たれているほど安全である。皆が仕事を持ちながらスカイスポーツも楽しみ、そろって少年のような瞳の持ち主たちだった。長時間フライトの好きなDさんは60代半ば、いくら尋ねても定年前の仕事を教えてくれなかった。堅い仕事だったのかもしれない。いつもニコニコと楽しそうで、最初に親しくなったのがDさん。当時、スクールにやって来る人の大半は5、60歳代の人たちだった。
「子供も嫁に行ったり就職して独立したりで、親のテから離れた。それでウチの奴からお許しが出ましてネ。子供が在学中だと、まだ稼ぎ頭に死なれては困るから、決してお許しは出なかったでしょう。やっとお役御免、つまり『もう死んでもいいよ』ってことです!」
Dさんの弁。他の人からも同じような話を聞いた。こういう趣味を持つから元気なのか、元気だから、こうした趣味が楽しめるのか。どちらも真実だろう。はっきりしているのは、まだまだ気持も体も若い高齢者は多い、ということ。だが同時に、病気その他の理由から、働きたくとも働けない高齢者が多いことも事実である。
「高齢者」の定義はさまざま
昭和46年施行の「高年齢者雇用安定法」は「55歳以上」を「高年齢者」と規定した。当時は、まだ55歳定年が一般的だった。目新しいところでは平成19年の「高齢者の医療の確保に関する法律」で、ここでは65歳から74歳までを「前期高齢者」、75歳以上を「後期高齢者」と分けた。このような定義で特徴的な点は、国の担当官庁が主導し、行政側の必要から言葉が決められていること。雇用や医療で国と個人の負担割合の基準にする目的などからである。お役所言葉なので硬い表現になりがち。とりわけ「後期高齢者」という言い方には批判が集中した。年齢に該当するお年寄りたちは「後期の高齢者とは、あとは死を待つだけの高齢者という意味か? なんと失礼な!」と感じたことだろう。元のように「高齢者」1本で良いではないか、と。エリート官僚たちは、頭脳が優秀でも他人(ひと)の気持を思いやることはニガテなのかもしれない。
準高齢者、高齢者、超高齢者
日本老年学会と日本老年医学会が、今年2017年になってから「高齢者の名称を使うのは75歳からにしては、どうか」と提言した。日本老年医学会は、文部科学省が設立を認可した団体。医師の側から「高齢者」の定義に迫った点が注目される。日本人の平均寿命が大きく伸びていることが背景となった。同時に65歳から74歳までを「準高齢者」、90歳以上を「超高齢者」と呼ぶことも提言している。
同じ年齢層でも「前期高齢者」より「準高齢者」の方が、該当するお年寄りたちの受けは良いだろう。75歳から89歳の層の人にとっても「後期高齢者」から「後期」が取れただけで、いくらか気分が軽くなるかもしれない。「一億総活躍社会」の趣旨からも「これ以上頑張らずに完全リタイヤするか……」という気にさせる「後期高齢者」の語はふさわしくあるまい。
といって「超高齢者」の語は、どうか。「超」は「後期」より刺激的な語だ。「高齢者を超えたのだから、そろそろ姨捨山の方へ」と促すニュアンスさえ感じさせる。90歳を超えてなお元気に働くお年寄りたちが多い事実を考えれば、あえて90歳以上に「超」を加える必要はあったのか。
言葉のトリック
お役所発のコトノハとはいえ、国民に与える影響は大きい。むしろ役所主導であればこそ心理的負担になり得るし、負担を除くマジックにもなり得る。コトノハのトリックである。
日本老年医学会前理事長の大内尉義・東京虎の門病院長は、全国紙の特集記事の中で「65~74歳の元気な人たちから『高齢者』というくびきを取り除き、就労やボランティアなどで生き生きと社会参加できる世の中を作ってほしいと願った」と趣旨を述べる一方で「年金の支給年齢の引き上げなど、社会保障の切り捨てにつながると危惧する声もあった。これは我々の本意ではない。65~74歳の時期は、特に個人差が大きく、支援が必要な人もいる」とクギをさした。同感である。
空を飛ぶお年寄りを見て「高齢者は皆元気だ」と断じるのは危険だ。オレオレ詐欺で大金を失った老婦人のニュースに「イマドキの高齢者は金持ちだ」と感心(?)するのも早合点である。個人差は大きい。行政が手を差し伸べるべきは、病気がちで低収入の高齢者たちだ。一律に年齢で区切ることに、期待するほどの意味はない。