斉東野人の斉東野語 「コトノハとりっく」

野蛮人(=斉東野人)による珍論奇説(=斉東野語)。コトノハ(言葉)に潜(ひそ)むトリックを覗(のぞ)いてみました。

番外編Ⅲ 【洋画の日本語タイトル】

2017年06月20日 | 言葉
 

 洋画通にしてジャズ通、島中誠・元ニューヨーク特派員発の第3弾です。

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 洋画の日本語のタイトルには、かなりでたらめなものが多い。大別すると、原題を誤解しているものと、原題や内容を無視して勝手に作っているもの、原題をそのままカタカナに直した安直なものに分けられる。

 英語の発音を知らない
 英語を少々かじった人なら間違えようのない邦題がある。「Mad Bomber」(マッド・ボマー)を「マッド・ボンバー」にしてしまうなどその典型である。「スポンティニアス・コンバッション」は「スポンテイニアス・コンバスチョン(自然発火)」と正確に書かなければならない。「question」のように―tionの前に「s」がつくと、「ション」じゃなくて「チョン」になる。これは常識である。「自然発火」だけにしておけば、恥をさらさなくて済んだのに。

 原題の誤訳
 「戦略空軍命令」という米映画の原題は「Strategic Air Command」だった。commandだけで部隊を意味する。だから、「戦略空軍」だけでいい。命令は余計である。
 「友情ある説得」という邦題ほどバカげた例は、ほかにあるまい。原題の「The Friendly Persuasion」を、配給会社は何の考えもなしにこう翻訳したのだろう。しかし「Friendly」とは「フレンド会派」のこと、つまりクエーカー教徒のことであり、「persuasion」は信条。この映画の情報を事前に得ていたら、こんな邦題にはならなかった。主人公のゲーリー・クーパーは非戦・絶対的平和主義を信奉する男だが、その息子・アンソニー・パーキンスが武器を取り参戦するというので親子間に亀裂が生じるという内容だ。友情にも説得にも無関係の映画だから、これはひどい。

 原題を無視して失敗
 いい原題なのに、勝手な邦題をつけた例が「歌えロレッタ愛のために」。カントリー・ウエスタンの名歌手ロレッタ・リンの半生を描いた作品で、原題は「Coalminer‘s Daughter」(炭鉱夫の娘)。彼女の最大のヒット曲から題名をとっている。だから、こんな甘ったれた邦題にしないで、そのまま「炭鉱夫の娘」で良かったのである。主人公を演じたシシー・スペイシクがせっかく全曲を吹き替えなしで歌いきり、アカデミー賞主演女優賞を得たというのに、もったいない話である。作品の本質から離れた馬鹿馬鹿しい例として「忍者と悪女」(1963年、米)を挙げたい。原作はアラン・ポーの「The Raven」(大鴉)で怪奇的幻想詩。それがコメディータッチのホラー映画に化けてしまった。勿論、忍者なんて出てくるはずがない。奇抜なアイデアを出す人はどこにもいるだろう。しかし「これでよろしい」と許可を下した会社があった、ということが理解できない。

 カタカナへの置き換え
 日本の洋画配給会社が素敵な邦題をつけようと努力した形跡がないものが、いかに多いことか。「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」。原題をカタカナで表しただけである。この種のものに、「リバー・ランズ・スルー・イット」がある。直訳すれば「川はその中を流れる」。原題も意味不明だが邦題も訳がわからない。「ドゥ・ザ・ライト・シング」「ネバーセイ・ネバーアゲイン」「ストレンジャー・ザン・パラダイス」「ア・フュー・グッド・マン」「マイ・ライフ・アズ・ア・ドッグ」「エンジェル・アト・マイ・テーブル」など、まともな邦題を考えろよと言いたくなるものばかりだ。「レザボア・ドッグス」。直訳すれば「貯水池の犬」。これをどう邦訳するか、大いに知恵を絞ってほしかった。
 「Paris, Texas」という原題を翻訳するのは、意外に難しい。これは「パリ、テキサス」となっているが、少々投げやりで身も蓋もない。これだとフランスの首都パリと米テキサス州を並べたもの、と思う人が多いと思う。しかし、そうではない。正確に訳せば「テキサス州パリス」なのである。しかし、パリスではわかりにくい。さんざん知恵を絞った挙句、僕は「テキサス州パリ」という案を考えた。なぜなら、「テキサス州にもパリという地名があったのか」という驚きが、この映画のテーマだからだ。映画を見れば、わかってもらえる。

 先人に学べ
 昔はしゃれた邦題が多かった。「ペペ・ル・モコ」が「望郷」。「ウォータ―ルー・ブリッジ」が「哀愁」。「サマータイム」が「旅情」。実に締まった邦題である。「慕情」の原題は「Love is a Many Splendored Thing」。これをそのままカタカナにしたら、締まりがなくなったはず。2字に短く縮めたのは結構だった。
 「Spirit of St.Louis」はリンドバーグが初の大西洋単独無着陸横断飛行に成功した時(1927年)の単葉機の愛称(セントルイス号の魂)をそのまま映画のタイトルにしたものだが、これに「翼よ!あれが巴里の灯だ」とつけたのは見事だと、多くの映画ファンや評論家が絶賛している。
 「アパートの鍵貸します」は上司の情事のために部屋を貸し、出世を図るサラリーマンの話。その原題は無味乾燥な「The Apartment」。邦題を単なる「アパート」にしていたら、映画ファンから無視ないし敬遠されたことだろう。
 グレイス・ケリーがアカデミー賞を取った「喝采」は「The Country Girl」(田舎娘)が原題だが、売れない歌手のしょぼくれた地味な女房が、一転してまばゆいばかりの女性に変身する、その過程が素晴らしかった。この邦題もかなりの飛躍があるが、許せる範囲かと思う。
 無実の罪を訴えながらガス室に送られる女死刑囚を描いたのが「I want to Live!」。「私は生きたい!」の意だが、邦題は「私は死にたくない」だった。これには感心した。合格点を与えたい。
 「ボニー・アンド・クライド」「ブッチ・キャシディ&ザ・サンダンス・キッド」という著名な悪党たち(?)の名前をあえて避けて「俺たちに明日はない」とか「明日に向って撃て!」と思い切った邦題をつけたのも買える。さらに昔にさかのぼると、仏映画「7月14日」には、「巴里祭」というしゃれた邦題を考えついた。こうした先達たちの後を追う人がいなくなったのは残念である。
   < 島中 誠(Makoto Shimanaka)>