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斉東野人の斉東野語 「コトノハとりっく」

野蛮人(=斉東野人)による珍論奇説(=斉東野語)。コトノハ(言葉)に潜(ひそ)むトリックを覗(のぞ)いてみました。

36 【ちーちゃんのおねだり】

2017年12月09日 | 言葉

 おねだりの天才?
 孫のちーちゃんは3歳と6か月。共稼ぎの娘夫婦の手助けにと週に3日、保育園からの降園時間にジイジがちーちゃんのお迎えに行く。ジイジの家と娘夫婦の家とは「スープがちょうど冷めそうな」距離。そのちーちゃん、女の子は言葉が早いと言うが、ジイジの贔屓(ひいき)目なのか確かに早い気がする。大人と普通に会話が出来るからだ。
「あのね、ジイジね! ちーちゃんとお手手つないで、自転車、買いに行こうよ! アンパンマンの自転車がいいよ!」
 3歳のお誕生日を前にした頃、ちーちゃんがジイジに、頻(しき)りにおねだりをするようになった。保育園からの帰り道、おしゃれなアパートの前に差し掛かるたびに、ジイジの自転車の後ろ座席で声を上げる。アパートの脇にピンク色の補助輪付きの自転車が置いてあって、それが目にとまるらしい。
「そうだね。お手手つないで、ね!」
 ジイジも答える。「お手手つないで行こうよ」という誘いのコトバが、ジイジの心を蕩(とろ)けさせる。それでなくともジイジは、ちーちゃんのためなら何でも買ってあげるつもりでいる。ちーちゃんの母親から、つまりジイジの娘から「あまり買い与えないようにしてネ」とクギを刺されて我慢しているが、本当は「お手手つないで」今すぐアンパンマンの自転車を買いに行きたいくらいだ。

 とはいえ3歳の幼児が安全に自転車を漕げるとも思えない。ジイジは、ちーちゃんの家の庭にあった赤い三輪車を思い浮かべながら聞いてみる。
「おウチにある三輪車は、漕げるようになったの? 三輪車のペダルが漕げないと、自転車は漕げないからね!」
「あのね、ちーちゃんはね、お母さんが後ろから押してくれれば、漕げるよ、三輪車! だから大丈夫だよ!」
「でも、それじゃあ自転車は無理だよ。独りで三輪車が漕げるように、ならないと!」
「ふーん」
 以上のやりとりも、おねだりの後で毎回必ず繰り返される。何度も繰り返すところが、3歳児の3歳児たるユエンだろうか。ある時「どうして、お父さんと、お手手つないで買いに行かないの?」と聞いてみたら、答えは「だって、お父さんは買ってくれないの、おもちゃを」だった。誰が自分に甘いかも、しっかり見抜いていたわけだ。

 疑問氷解?
 ちーちゃんは歌も好きだ。保育園の歌はすぐ覚えるし、シンガー・ソングライターよろしく(?)、つまり口から出まかせの歌もよく口ずさむ。時に歌詞が七五調に整っていたりするので笑ってしまう。ある日、後ろ座席から聞こえてきた元気な歌声にジイジは驚いた。
<♪♪ ジンセイは かみひこうき ねがいのせて とんでいくよ かぜのなかを……>
 おやおや、3歳にしてジンセイの歌か……と感心するも、後で母親に聞くと「ああ、それ? NHKの朝ドラの主題歌なの。ちょうど保育園へ行く時間に流れてくるので、覚えちゃったのよ」だった。道理で、どこかで聞いたような歌だった。真似だと分かっても、感心グセの付いているジイジは「よく暗記できたものだなア」と、またここで感心してしまう。ついでなので「お手手つないで」の件を尋ねてみると「ううん、私が教えたわけではないわ。もしかしたら、保育園の先生が使っていた、お誘いのコトバだったのかもしれないわねえ」との答えだった。なるほど、独りポツンとしてマイペースな子を遊びの輪の中へ誘うような時に「さあ、みんなとお砂遊びしましょう。先生と、お手手つないで行ってみましょう!」と言うのかもしれない。ちーちゃん自身じゃなく、ほかの子供が先生に言われているのを、横で聞いて覚えた可能性もありそうだ。

 「感動を与えた」?
 ちーちゃんが「お手手つないでアンパンマンの自転車を買いに行こうよ!」と言うようになってから半年。やっと最近、独りで三輪車のペダルが漕げるようになったらしい。
「あのね、ジイジね、ちーちゃん、先生に感動を与えたの! だから、アンパンマンの自転車、ちーちゃんに買ってあげてね!」
 ごく最近のこと。やはり保育園からの帰り道だった。
「へえー、ちーちゃんが、先生に感動を与えたって? どうしたの?」
「あのね、ちーちゃんが三輪車を漕げるようになったの。そおーしたら先生が『うわー、ちーちゃん、先生に感動与えた!』だって……」
 なるほど、なるほど。保育園の園庭に、三輪車が何台かあるのを思い出した。半年かけて練習したすえ独りで漕げるようになったのだろう。園庭でチャレンジする姿を見てきた先生は、やっと漕げるようになったちーちゃんの姿に「感動を与えられた」と思ったのかもしれない。

 ただ、この「感動を与える」という言い方、ちょっとヘンだ。3歳児が保育園の先生に「与えた」と言うのでは“上から目線”だろう。活躍したスポーツ選手がテレビのインタビューに「みなさんに感動を与えたい」や「夢を与えたい」と答える場面がしばしばあるので、「与える」が流行(はや)ったのか。しかし選手たちも、こんな時は控えめに「感動を贈り(送り)届けたい」や「感動を届けたい」「感動をプレゼントしたい」と言い替えた方が、良いように思う。

 評価急落?
 さて、話は戻る。「お手手つないで買いに行こうよ!」で蕩けたジイジの心が「感動を与えた」のコトバで一挙に冷えてしまったのかと言えば、もちろん、そんなことはない。大人のスポーツ選手が言えば違和感を覚えるコトバも、舌の回らない3歳児から聞けば、その“上から目線”が、かえって眩(まぶ)しく映ることもある。お分かりだろうか? 孫を持つ身になって初めて実感できることかもしれない。
 まッ、そういうわけで、ちーちゃんへのクリスマスプレゼントは、補助輪付きの自転車と決まった。ちーちゃんは知らないだろうが、ちーちゃんと「お手手つないで自転車を買いに行く」ことが、ジイジへの何よりのクリスマスプレゼントなのである。