斉東野人の斉東野語 「コトノハとりっく」

野蛮人(=斉東野人)による珍論奇説(=斉東野語)。コトノハ(言葉)に潜(ひそ)むトリックを覗(のぞ)いてみました。

38 【雪下ろし、雪掘り、&『北越雪譜』】

2018年01月09日 | 言葉
 真冬の積乱雲
「冬でも入道雲がモクモク出ているって、ご存知でしたか?」
 いつだったかテレビの天気予報で、気象予報士サンが女性アナウンサーへ、こんな質問をしていた。一瞬、女性アナウンサーが不思議そうな表情になる。
「秋にも結構たくさん入道雲を見ますけど、冬は見ませんし……」
「ところが雪国では、冬も夏以上に入道雲の活発な年があります」
「えっ、冬の入道雲ですかア……」
「はい、冬です!」
 冬晴れと強風続きの関東地方では雲の一片さえ見えない日も多いから、東京のキー局で仕事をする女性アナウンサーの不審顔も無理はあるまい。

 「雪下ろし」はカミナリ様のこと
 入道雲、積乱雲、雷雲。どれも俳句では夏の季語でもあり、勢い盛んな夏の象徴と思われている。ところが豪雪地では、雪雲に隠れて上空の入道雲は見えないのに、多くの人が「ああ、雪下ろしのことか!」と思い当る。新聞社の仕事で6年間すごした山間豪雪地の新潟県六日町(現在の南魚沼市)では、厚い雪雲に光る稲妻のことを「雪下ろし」と呼んでいた。歌の題名ではないが「冬の稲妻」。カミナリ様が雪雲の中で吠えるのは、まるで笊(ざる)を逆さまにして底を叩くように、ため込んだ大量の雪を地上へブチまける合図である。「さあ、雪国の皆様、これからドカ雪ですよ」と。山陰地方では「雪起(お)こし」とも呼ぶようだ。

 雪は音も無く降る。柔らかな雪の表面が音を吸収するからだと説明されている。昨夜はやけに静かだったなア、と思いながら翌朝目覚めると、積雪が1メートル以上増えている場合が珍しくない。そんな時、寝入りばなに布団の中で聞いた「ゴー、ゴー」という不思議な音に思い当る。大きな花火5、6発を一度に打ち上げたような大音響の夏のカミナリとは異なり、天空のはるか彼方(かなた)で巨大なケモノがイビキでも掻(か)いているかの如き音だった。あるいは夢うつつの境い目で聞いた幻聴だったのか。

 雪掘り、雪揚(あ)げ、雪を払う
 さて、では屋根に積もった雪を地上に下ろすことは何と呼ぶか。同じ新潟県内でも雪の少ない平野部の蒲原(かんばら)地方などでは「雪下ろし」と言うが、山間豪雪地の魚沼の人たちは「雪掘り」と呼んでいた。流雪溝や消雪パイプが普及していなかった時代、豪雪地では屋根の雪は地上へ落とさず、地上へ積み上げるものであった。屋根の高さより地上の雪嵩(ゆきかさ)の方が高いから、屋根から雪を除くには、下から上へ積み上げなければならない。「下ろす」と「掘る」。流雪溝や消雪パイプが普及しても、市街地から離れた区域では現在も「掘る」である。

 越後塩沢(現・南魚沼市)の縮(ちぢみ)商人だった鈴木牧之(ぼくし)が天保8年(1837年)に68歳で出版した名著『北越雪譜(ほくえつせっぷ)』には「雪を掃(はら)う」の項に「雪揚(あ)げ」の語も見える。「雪掘り」だから「雪揚げ」、すなわち「雪上げ」。「雪下ろし」とは反対に、雪を屋根から落とすのではなく「掘り、上げる」わけだ。
<――右は大家(たいか)の事をいふ。小家の貧しきは掘夫(ほりふ)をやとふべきも費(つひえ)あれば(=脚注「出費になるので」)男女をいとはず一家雪をほる。吾里にかぎらず雪ふかき処は皆然りなり。此雪いくばくかの力をつひやし、いくばくかの銭を費(つひや)し、終日ほりたる跡へその夜大雪降り、夜明けて見れば元のごとし。かかる時は主人(あるじ)はさら也、下人(しもべ)も頭を低(たれ)て嘆息(ためいき)をつくのみ也。大抵(たいてい)雪降るごとに掘るゆゑに、里言(りげん)に一番掘(いちばんぼり)二番掘といふ>
 「雪を掃う」の項の一部を引用した。現在も江戸の昔も豪雪地の人の心は、あまり変わらないようでもある。それにしても「雪を掃う」のお題などは、牧之一流のユーモアだ。「雪をはらう」は「落花をはらう」と同じく、京や江戸の都では風雅な所作である。ところが越後の国塩沢の雪ときたら、こんなにも難儀なシロモノなのだ、と言いたいのだろう。

<雪の飄々翩々(ひょうひょうへんぺん)たるを観て花に喩(たと)え玉に比べ、勝望美景(しょうぼうびけい)を愛し、酒色音律(しゅしょくおんりつ)の楽しみを添え、画に写し詞(ことば)につらねて称翫(しょうがん)するは和漢古今の通例なれども、是(これ)雪の浅き国の楽しみ也。我越後のごとく年毎(としごと)に幾丈(いくじょう)の雪を視(み)ば、何の楽しきことかあらん>。牧之は別の項で、こうも書いている・

 我が雪掘り経験
 筆者が籍を置いた新聞社は1回ごとに「雪下ろし手当」を支給してくれたが、土木作業員の「掘夫」サンへ頼もうにも、忙しい時期は極端に忙しいのが彼らだ。優先順位を言うなら、まず普段の仕事でもある道路除雪、次に自分の家の雪掘り。依頼に応じるとしても、雪掘りが困難な高齢者世帯、それも知り合いの高齢者世帯が優先される。とても20代の若者宅などへは来てくれない。そこで仕方なく筆者もスノーダンプを片手に屋根へ上ることになる。雪の多い冬は10回近く上った。
 昼間はドカ雪の記事を送稿しなければならないので、屋根に上るのは夜になってから。雪止めがあっても耐雪仕様の二階トタン屋根は滑りやすい。高所恐怖症ならずとも、おっかなびっくりの作業だ。スノーダンプを雪の山に差し、屋根の傾斜を利用して地上へ落とす。流雪溝が家の前を流れていたので、実際の作業は「雪下ろし」である。2時間も繰り返し、ほぼ屋根上の雪を落とし終えた頃には、凍(い)てつく寒気にもかかわらず汗で下着がびっしょりになってしまう。
 夜空を見上げると魚沼丘陵の各スキー場から放たれたナイター・スキー用のカクテル光線が、ただただ美しかった。慎重に降りて一目散に風呂場へ駆け込む。仕上げの熱い風呂も、地獄にホトケとはこのことぞ、と思えるほど有り難かった。   (引用した『北越雪譜』は野島出版社刊です)